福山雅治「クスノキ」に込めた思いとは?被爆80年、平和をつなぐ歌の力
2025年8月5日放送のNHK「クローズアップ現代」では、長崎出身の歌手・福山雅治さんが登場し、彼の楽曲「クスノキ」が長崎平和記念式典で歌われることになった背景と想いが深く紹介されました。11年前に発表されたこの曲が、被爆80年の節目に子どもたちの声で歌われるという出来事は、今を生きる私たちに平和の大切さを静かに、けれど確かに語りかけてきます。
「クスノキ」が長崎で歌われるという奇跡
今回の放送では、福山雅治さんが「クスノキ」が長崎平和記念式典で小学生たちに歌われることについて、「想像すらしていなかった」と語った様子が紹介されました。この歌は2011年に制作され、長崎にある被爆クスノキの視点から描かれた平和の歌です。
その木は、1945年8月9日の原爆投下で大きな被害を受けながらも、焼けたあとに再び芽を出し、今では高さ20メートルをこえる大木に成長しました。長崎の人々にとっては希望や生命力の象徴であり、福山さんにとっても大切な存在です。
家族の記憶と原爆の記憶が交差した場所
福山さんの父と祖母は、爆心地から3キロ離れた場所で原爆に遭遇しました。ほとんどの人が即死した1キロ圏内とは違い、命は助かったものの、大きな影響を受けた世代です。
また、福山さんが高校生のとき、父をがんで亡くしています。父が入院していた病院は原爆病院と呼ばれ、近くには山王神社があり、そこにあったのが被爆クスノキでした。つらい気持ちを抱えながら、その木の前に立ったとき、自分の悩みがちっぽけに思えたと、番組で語っていました。
原爆をテーマにした歌をどう作るか悩み続けた日々
福山さんは、「社会の課題を歌にするのは自分にとって“マスト”だと思っていた」とも語りました。これは、夏休みの宿題で祖父母に戦争体験を聞いた経験や、社会と向き合う責任を感じたことが影響しているそうです。
しかし当時は、作詞作曲の力がまだ十分でなく、平和や原爆というテーマに正面から向き合う自信がなかったとのこと。それでも、2011年にNHKスペシャルで絶滅危惧種の動物たちと出会ったことが大きな転機となり、自然の目線を借りてなら表現できるかもしれないと、「クスノキ」という曲が生まれました。
被爆者や市民の心に届いた「クスノキ」
番組では、被爆者・森田博満さん(90)のエピソードも紹介されました。10歳で被爆し、その後は「被爆者」として差別を受けるなど苦しい時期を過ごしました。しかし、地元に帰ってクスノキを見たとき、立ち上がる勇気をもらったと語っています。
このように、「クスノキ」は単なる歌ではなく、人の心を支える力を持つ存在となっています。
全国に広がる「クスノキ」の歌声と活動
「クスノキ」は長崎だけでなく、全国各地の学校やイベントでも歌われるようになってきました。
福島県郡山市の中学校では、教師の星美由紀さんが「クスノキ」を平和学習に取り入れています。彼女は、原発事故で2人の子どもと避難生活を送りましたが、「クスノキ」の歌に心が励まされたそうです。
さらに、山王神社の被爆クスノキから採れた種を全国に広げる活動も行われています。被爆を体験した木の命を、次の世代に引き継ぐことで、平和の心も一緒に育てようという取り組みです。
新たなアレンジで「クスノキ」は未来へ
福山雅治さんは、今年新たに「クスノキ」のアレンジ版を制作しました。そのタイトルは「クスノキ−500年の風に吹かれて−」。時間を超えて受け継がれていくメッセージを込めた作品です。
そして8月9日には、福山さん自身が市民5000人と一緒に「クスノキ」を歌うイベントも予定されています。さらに、爆心地から近い2つの小学校の子どもたちが平和記念式典でこの歌を合唱する予定です。
音楽の力で平和の想いを未来へ
スタジオで福山さんは、「音楽はもしかしたらクスノキより長く生きるかもしれない」と語りました。これは、人の心に残るメロディや歌詞が、木と同じように、何百年先まで残っていく力を持っているという意味です。
長崎に根を張り、命をつないできたクスノキのように、福山さんの歌も、これから未来へと平和の種をまいていくのかもしれません。
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