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NHK【小泉八雲のおもかげ】ばけばけの俳優トミー・バストウが見た“八雲の原点” ニューオーリンズのガンボスープと精霊の森の記憶|2025年11月3日

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異国を旅した心の記憶 小泉八雲とトミー・バストウの不思議な旅路

朝ドラ『ばけばけ』で小泉八雲を演じたトミー・バストウさん。彼が番組の中で訪ね歩いたのは、アイルランドとニューオーリンズ。明治の日本を愛した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の足跡を、自身もアイルランド系であるトミーさんが辿りました。「遠い国で生きた人が、なぜ日本に惹かれたのか」。その理由を探しながら、彼は八雲が見た“心の風景”に触れていきます。この記事では、番組の旅を一緒に追いかけながら、小泉八雲の魅力と彼が残した文化の息づかいを感じていきます。

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ギリシャ生まれ・アイルランド育ち 幼少期に刻まれた“孤独”と“自然信仰”

小泉八雲は1850年、ギリシャ・レフカダ島に生まれました。父はアイルランド人の軍医、母はギリシャ人。しかし家庭は不安定で、5歳になるころには両親と離れ離れに。彼はアイルランド・ダブリンの親戚のもとで暮らしますが、そこでも愛情に恵まれず、幼少期は深い孤独の中にありました。

トミー・バストウさんがまず訪れたのは、このダブリン。街並みには今も中世の雰囲気が残り、ハーンが見たであろう石造りの建物や霧の立ちこめる通りが続いています。トミーさんは「この静けさと寂しさが、彼の心の奥に“影”をつくったのではないか」と語ります。

さらに彼が足を運んだのは、ハーンが幼少期に何度も訪れたメイヨー州の森。ここは“精霊が宿る森”と呼ばれ、アイルランドの人々にとって神聖な場所です。ケルト文化には古くから「自然界のすべてに神が宿る」という考えがあり、森や石、風までもが“生きている”と信じられていました。
ハーンがのちに日本の“八百万の神”の思想に強く惹かれた背景には、このケルト的な自然信仰の記憶があったのです。幼い日の体験が、彼の文学世界の根底を支え続けました。

子守唄と“母の記憶” アイルランドと日本をつなぐ音

ゴールウェイはハーンが幼少期に暮らした地のひとつで、海の風が穏やかに吹く街です。トミーさんは、現地の人々が今も口ずさむ古い子守唄を耳にしました。
この歌こそ、八雲が日本に渡ってからも記憶の奥に残り、のちに作品『知られぬ日本の面影』の情感につながったといわれています。
異国で聴いた旋律を心の中で抱きしめ、日本の子どもや家族を描いた八雲。彼の作品には、常に“母への憧れ”と“子を思う優しさ”が流れています。
トミーさんは「八雲の日本への愛は、失われた母への思慕と重なっている」と語り、静かに目を閉じました。彼の表情には、文化を超えて共感する人間のあたたかさがにじんでいました。

19歳で渡米 ニューオーリンズで出会った多様な文化と“音”

ハーンは19歳で単身アメリカに渡り、新聞記者として働き始めます。行き着いたのはニューオーリンズ。ここはフランス系やスペイン系、黒人、クレオール(混血)の人々が入り混じる多文化都市で、音楽と信仰が独自の形で発展した土地です。

トミーさんはまず、ハーンが勤務していたザ・コマーシャル紙デイリー・シティ・アイテムの記録を訪ね、彼が残した記事を読みました。ハーンは記者としての筆致を生かしながら、人種差別に苦しむ黒人たちの生活を丁寧に描きました。彼が興味を持ったのは、単なる異文化としての“珍しさ”ではなく、人間としての尊厳でした。

この地でハーンが強く惹かれたのが、アフリカ系の民間信仰『ブードゥー教』。その中心的存在だったマリー・ラヴューという女性司祭に取材し、敬意をもって紹介しています。白人社会からは偏見を受けた存在でしたが、ハーンはその精神性を「自然への畏れと祈り」として理解しました。

トミーさんはニューオーリンズ歴史博物館を訪れ、当時のブードゥー祭具や儀式の記録を見学。「八雲はここで、人種や宗教を越えた“人間の心の信仰”に気づいたのでは」と感じたといいます。

ジャズ誕生の地“コンゴ広場”と八雲の筆跡

ハーンの記事の中には、何度も登場する場所があります。それがコンゴ・スクウェア(コンゴ広場)です。
奴隷解放以前、黒人たちが日曜日だけ踊りや歌を楽しむことを許されていた場所であり、ここが後のジャズ誕生の原点
となりました。太鼓のリズム、即興の歌声、身体の動き——それは悲しみと自由の象徴でもありました。

トミーさんがこの広場に立ったとき、街角では今もジャズが流れていました。「八雲が見た光景と同じ音が、150年後の今も生きている」と彼は語ります。ハーンは白人社会の外にある人々の文化を理解しようとし、彼らの音楽をノートに記録し続けた。
それは“排除ではなく共鳴”の文学——彼の作品の根底に流れる哲学そのものでした。

食の記録『クレオールの料理本』に見る文化の融合

1885年、ニューオーリンズでの生活の中から生まれたのが『クレオールの料理本』です。ハーンが現地の人々から直接聞き取った家庭料理をまとめたもので、アメリカ南部では今も読み継がれています。
中でも代表的なのがガンボスープ。オクラ、鶏肉、ソーセージを煮込み、スパイスを効かせた濃厚なスープで、ご飯と一緒に食べるのが定番です。
トミーさんは現地のレストランでこのスープを味わい、「味噌汁のように、家族をつなぐ料理」と表現しました。
この料理には、アフリカ・フランス・スペイン・アメリカ——すべての文化が溶け合っています。八雲がその中に“共生の象徴”を見いだしたのも頷けます。

世界最大級の祭典“マルディグラ”と人々の笑顔

トミーさんが最後に訪れたのは、ニューオーリンズのマルディグラ。世界中から100万人以上が集うカーニバルです。
街中が音楽と色彩であふれ、仮面や衣装に身を包んだ人々がパレードを繰り広げます。その中には、八雲が愛したクレオール料理をテーマにした山車も登場。彼の残した文化的影響が今もこの街に息づいていることを感じさせます。

ハーンがこの街で学んだのは、異なる文化を拒まず“共に祝う心”でした。彼は1885年の万博で日本の文化に出会い、その精神性に惹かれていきます。喧騒の中に人の温もりを見つけたニューオーリンズの経験が、のちに日本で“静けさの美”を感じ取る感性を育んだともいえるでしょう。

まとめ:小泉八雲が私たちに残した“共感する力”

この記事のポイントは以下の3つです。
・小泉八雲の原点には、アイルランドの自然信仰と幼少期の孤独があった。
・ニューオーリンズでの多文化体験が、異なる人々への共感を育てた。
・彼の作品は“人種や宗教を越えた心の交流”を描いた人間愛の記録である。

トミー・バストウさんが巡った旅は、単なる追想ではありませんでした。
それは、異国を越えて人と人が理解し合うための“心の道”を再び歩く旅。

ギリシャ、アイルランド、アメリカ、そして日本——。
四つの文化を渡った小泉八雲の人生は、まるで地球の多様性そのものです。
彼が見た“違いを恐れず、受け入れる世界”は、今を生きる私たちにとっても大切な指針。
遠い時代の作家が残した“おもかげ”は、今も静かに、確かに息づいています。


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