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Eテレ【先人たちの底力 知恵泉】水木しげる “鬼太郎”と“戦記漫画”の間に|創作の信念・初期風刺・戦争体験の背景を読み解く|2025年12月2日

先人たちの底力 知恵泉
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『水木しげる “鬼太郎”と“戦記漫画”の間に』

水木しげるが歩んだ道は、妖怪の世界と戦争の現実という、まったく異なる二つの世界が強く結びついています。
今回の知恵泉では、そのあいだにある“しなやかな対応力”と“ゆるがない信念”がどのように作品へ流れ込んでいったのかが深く掘り下げられます。

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妖怪とともに育った子ども時代の記憶

水木しげるは鳥取県境港市に生まれ、幼いころから“見えないもの”を自然に受け入れる環境で育ちました。
家にいた「のんのんばあ」が語る妖怪話は、ただ怖いだけではありません。目には見えない存在を敬い、暮らしのなかに息づく“民間伝承の感覚”そのものでした。

境港の町並みには、古い言い伝えや土地の歴史が残り、妖怪が日常の延長にあるような世界観が存在していました。
その中に囲まれて育ったことで、水木しげるは妖怪を「怖がらせるための存在」ではなく、「先人が残した文化」として受け止めていきます。

さらに、水木は小学生のころから絵を描くことが大好きで、先生に勧められて個展を開くほどでした。
子どもながらに“描くことで世界を捉える力”を養っていったことは、のちの『妖怪』の造形に大きな影響を与えます。

妖怪を創作する際、古い絵巻や民俗資料を参考にしながら、時代に合わせて形を再構築する姿勢が一貫して見られるのは、こうした原体験があったからこそです。

風刺漫画から少年漫画へ変化していく“鬼太郎”

『ゲゲゲの鬼太郎』は、初期は風刺の強い作品として始まりました。
社会の裏側、人の弱さや醜さを浮かび上がらせるような、独特の空気をまとった漫画でした。

しかし時代が進み、少年誌で連載されるようになると、水木しげるは読者層に合わせて作品へアレンジを加える必要に迫られます。
それでも、水木の核心部分は変わりません。
妖怪を“正義の味方”に寄せすぎないよう、物語の重心を慎重に保ちながら、作品全体を少年向けに開いていきました。

とくに重要なのは、ねずみ男の存在です。

・人の弱さを体現するキャラクター
・欲深く、打算的で、だらしない
・しかしどこか憎めず、現実味がある

このキャラクターによって、鬼太郎の世界には“善悪では語れない温度”が入り込みます。
少年漫画の枠組みのなかで風刺性を残すために、ねずみ男は欠かせない存在となりました。

番組でも、このアレンジの背景にある“柔軟な対応力”が語られることが予想されます。

戦友への思いがにじむ『総員玉砕せよ!』

昭和元禄の時代、水木しげるは戦記漫画『総員玉砕せよ!』を発表しました。
ポップな『鬼太郎』とは対照的に、この作品は徹底して戦争の理不尽さを描くものです。

若いころ、南方の激戦地へ出征し、爆撃で左腕を失い、命の境目を何度も見た水木しげるにとって、戦争は生涯消えない記憶でした。
戦場では多くの仲間が命を落とし、その無念が心に深く残り続けます。

『総員玉砕せよ!』は、そうした戦友への思いを「忘れられてほしくない」という切実な気持ちで描かれた作品です。

・戦場の不条理
・命令の重さ
・恐怖と絶望
・残された者の虚しさ

これらを描いた作品は娯楽ではなく、“証言”の性格を強く持ちます。
番組紹介文にある「不条理な戦場の現実をえぐり出す」という言葉は、この作品の核心をよく表しています。

いつも笑っていた晩年、その奥にある揺るぎない信念

晩年の水木しげるは、テレビに出ている姿が穏やかで、ユーモアにあふれていました。
しかし、その明るさの奥には、仕事に向き合う強い信念がありました。

妖怪を描くときには、古い絵巻の姿形や民俗的な“型”を守りつつ、自分の観察力で新しい命を吹き込む。
戦争を描くときには、自分が見た地獄から目をそらさず、過度な脚色を避け、体験者にしか見えない景色をできる限り正直に記す。

作品はジャンルも表現も大きく違いますが、根っこには
「消えていくものを残したい」
という思いが常にあるように見えます。

妖怪は先人から伝わる文化、戦記漫画は戦友から託された記憶。
水木しげるは、どちらも同じくらい大切にし、作品という形で未来へ渡していきました。

まとめ

今回の知恵泉で取り上げられる水木しげるは、単に二つのジャンルの作品を生んだ漫画家ではありません。
妖怪と戦争、静と動、光と影。そのどちらの世界にも真剣に向き合い、作品へ昇華していった人です。

『ゲゲゲの鬼太郎』のユーモアと『総員玉砕せよ!』の深い痛み。
その間にある想像力と信念が、いまも強く読み継がれる理由につながっています。

初期鬼太郎と現代アニメ版の“世界観の違い”

鬼太郎の物語は、時代とともに大きく姿を変えてきました。初期の鬼太郎は、妖怪の恐怖や不気味さをそのまま映し出すホラー色の強い世界が中心でした。一方、現代アニメ版の鬼太郎は、社会の変化に合わせて、人間と妖怪の関係性や現代社会が抱える問題を描く深いテーマへと広がっています。ここでは、その変化をより丁寧に見ていきながら、鬼太郎という作品がどのように受け手の心に寄り添い続けてきたのかを、あらためて感じられる内容にしています。初期の闇に潜む妖怪の姿と、現代アニメが描く新しい視点。その両方の魅力を重ねながら、鬼太郎の世界がなぜ今も色あせないのかをじっくりと見つめていきます。

初期鬼太郎の世界観の“根っこ”にある恐怖の描写

初期の鬼太郎作品は、貸本漫画『墓場鬼太郎』から始まりました。そこでは、妖怪や怪異が人間とは違う“もうひとつの世界”に生きていることが、強い迫力で描かれています。特に、1968年のアニメ第1シリーズはモノクロ表現で、暗さや影の深さが際立ち、妖怪が持つ恐怖や不気味さがまっすぐ伝わるつくりになっていました。短編中心の構成で、ひとつひとつの話が怪異そのものの怖さと向き合う内容になっており、読む側・観る側に強い印象を残します。昭和の時代背景もあり、子どもたちが感じる“夜道の怖さ”や“目に見えないものへの恐れ”と重なる部分が多く、作品全体がホラーとしての魅力に満ちていました。

現代アニメ版が描く“人と妖怪の距離”の変化

現代に入ってからのリブートシリーズでは、作品の空気そのものが少しずつ変わっていきます。2018年に放送された第6期では、スマートフォンやネット社会など、現代の生活に根ざしたモチーフが積極的に取り入れられました。これにより、妖怪の怖さだけではなく、「人間が抱える不安」や「社会問題」に重ね合わせて妖怪が描かれるようになります。キャラクターの姿や性格も、昔の“得体の知れない存在”から、感情を持ち、悩みや想いを抱える“身近な存在”へと広がっています。とくに女性キャラクターが大人っぽく描かれたり、人間の側の視点が増えたりするなど、視聴者が物語に入りやすい工夫が強く感じられます。章立ての物語構成や長期的なテーマ設定も加わり、ドラマとしての深さも増しています。

時代とともに変化した“受け手の視点”

作品世界の変化の背景には、受け手である視聴者の価値観や生活が大きく変わったことがあります。昭和の子どもたちが感じていた恐怖や怪異への想像力は、時代とともに姿を変えました。現代では、暗い夜道よりも、スマホやSNSにまつわる不安、社会問題の複雑さなど、別の“見えない怖さ”が存在しています。鬼太郎シリーズは、その時代の人々が抱える“怖さ”や“悩み”を映し出すように変わり続けてきたといえます。また、アニメーション技術の発展によって、妖怪の描写も幅広い表現が可能になり、物語の奥行きを深める一因となりました。

変わらずに残る魅力と、進化した鬼太郎の姿

初期鬼太郎は、民俗に根ざした妖怪の“恐怖”をまっすぐ伝える力がありました。現代アニメ版では、人間の生活や社会の問題を映す“鏡”として妖怪が描かれています。どちらの作品にも共通しているのは、目に見えないものへの想像力を呼び起こし、人間社会の本質を見つめ直す力があることです。鬼太郎は、時代の空気に合わせて変化しながらも、作品の核となる“妖怪と人間のあいだにあるもの”をずっと守り続けてきました。そのため、今でも幅広い世代に愛され続けているのだと感じます。


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