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【NHKスペシャル】世界に広がる“風の電話”東日本大震災15年“それから”の物語 大槌町から世界550へ広がる祈りの電話と遺族の想いを解説|2026年3月8日

NHKスペシャル
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風の電話がつなぐ思い

このページでは「NHKスペシャル 世界に広がる“風の電話”東日本大震災15年“それから”の物語(2026年3月8日放送)」の内容を、流れに沿って分かりやすくまとめています。

岩手県大槌町の丘にたたずむ風の電話は、ただの電話ボックスではありません。もう会えない人に言葉を届けたい、その思いを受け止める場所です。番組では、東日本大震災で大切な人を失った家族の15年と、その思いが海を越えて世界へ広がっていく姿が描かれました。悲しみの話でありながら、前に進もうとする人の力も感じる内容で、最後まで静かに心を動かされる回でした。

風の電話が生まれた場所

風の電話があるのは、岩手県上閉伊郡大槌町です。大槌町は三陸沿岸部のほぼ中央にある町で、海と山の距離が近く、昔から漁業が盛んな地域として知られています。自然が豊かな一方で、2011年の東日本大震災では町全体が大きな被害を受けました。

この電話は、ガーデンデザイナーの佐々木格さんが、震災前の2010年に自宅の庭へ置いたものです。もともとは亡くなったいとこに思いを伝えるための私的な電話でしたが、震災後、会えなくなった家族や友人に話しかけたい人たちが訪れる場所になっていきました。回線はつながっていませんが、だからこそ言葉は空へ、風へ、という思いが込められています。

大槌町を襲った津波の現実

番組の出発点にあったのは、あの日の大槌町です。大槌町の震災記録では、町内の津波痕跡高は最大13.7m、浸水面積は4平方kmに及び、住宅地や市街地の52%が浸水したとされています。大槌町では地震発生から約30分後に10mを超す津波が押し寄せたと記録されており、番組が伝えた「短い時間で町が壊された」という重さがよく分かります。

風の電話は、そんな町の高台にあります。被災地では、目に見える復旧だけでなく、心の傷とどう向き合うかも長い課題でした。電話を訪れる人が絶えなかったのは、失った人との関係が終わっていないからです。言えなかった言葉、まだ言い足りない言葉を、ここでやっと口にできる人もいたのだと思います。

父に語りかけ続ける幸崎廉さん

2026年1月、番組は何度も風の電話を訪れてきた幸崎廉さんを追いました。廉さんは震災から5年目の冬に初めてここを訪れ、行方不明になった父・和彦さんに話しかけました。父が消息を絶ったのは岩手県大船渡市でした。大船渡市は岩手県沿岸南部の自治体で、三陸の海とともに暮らしてきた町です。

廉さんは、その後、自衛隊に入り、静岡で教育訓練を担当する立場になりました。家族を支えようと仕送りを続け、妹や弟の入学式、卒業式には父のスーツを着て足を運んできたという話がとても印象に残ります。悲しみを抱えたまま立ち止まるのではなく、父の代わりまではできなくても、父の思いを自分がつないでいこうとする姿がまっすぐでした。

毎年3月11日に家族で父のトラックが見つかった場所を訪ね、そのあとで風の電話へ向かう流れにも、15年の重みがあります。忘れないために行くのではなく、家族として今もつながっていることを確かめるために行く。番組はそんな時間の積み重ねを、静かに伝えていました。

被災地で重なった後悔と再出発

震災から年数がたっても、風の電話を訪れる理由は人それぞれです。番組では、アメリカから来た男性の姿も映されました。兄の自死を止められなかったことを責め続けてきた人が、風の電話を知って大槌町までやって来たのです。

当時の被災地では、震災から7年が過ぎても復旧工事が続いていました。壊れた場所を直しながら前に進もうとする町の姿と、自分の後悔を抱えたまま生きてきた男性の姿が重なります。誰かを助けられなかったという思いは、災害でも病気でも事故でも、自死でも、形は違っても深く残ります。風の電話が特別なのは、その思いを「なかったこと」にしない点です。

悲しみを消す場所ではなく、悲しみを持ったまま生きていくための場所。番組を見ていると、風の電話が多くの人に必要とされる理由が少しずつ見えてきました。

海を越えて広がる風の電話

風の電話は今、世界各地に広がっています。番組では、アメリカ北西部オリンピア近くの森の中に置かれた電話も紹介されました。友人が、亡くなったジョエルさんの家族のために設置したものです。父アンドレさんは、前へ進む理由が見つからない日にそこへ来て、娘に話しかけると語っていました。

また、新しく生まれる風の電話を調べ、ホームページにまとめている人の存在も描かれました。実際に海外では、風の電話の場所をまとめた地図サイトが公開され、各地の電話を探せるようになっています。2025年時点で、その地図には世界各地の風の電話が多数登録されており、番組が伝えた「550を超える」という広がりとも重なります。

言葉も文化も違うのに、この電話の形が広がるのは不思議です。でも考えてみると、大切な人を失ったあとに「もう一度だけ話したい」と思う気持ちは、どこでも同じなのだと思います。宗教の違いを越えて受け入れられているのも、答えを押しつけない場所だからなのでしょう。

砂漠に置かれた家族の電話

番組の中でも特に胸に残ったのが、アメリカ・ジョシュアツリーの風の電話です。ジョシュアツリー国立公園がある地域は、モハベ砂漠とコロラド砂漠という2つの砂漠環境が重なる場所として知られています。乾いた大地に置かれた電話の景色は、大槌の緑の中の電話とはまったく違うのに、そこに込められた思いはよく似ていました。

ゲイル・ラーナーさんと夫のコリン・キャンベルさんは、家族旅行中に飲酒運転の暴走事故に巻き込まれ、2人の子どもを失いました。深い悲しみの中で病院で偶然風の電話を知り、自分たちも作ることを決めたといいます。大きな喪失のあと、人は言葉を失いがちです。それでも、受話器を持つという小さな動作が、気持ちを外へ出すきっかけになるのだと感じました。

番組はここで、風の電話が「震災のためのもの」だけではなくなっていることをはっきり示しました。事故、病気、自死、戦争。理由は違っても、届かない相手に言葉を届けたい気持ちは共通しています。

戦争や別れの中で生まれる祈りの場所

世界には、ポーランドやオランダ、南アフリカなどにも風の電話が生まれています。番組では、ポーランドの電話に隣国ウクライナから避難してきた人たちが多く訪れていること、オランダでは新聞記事を読んだ女性の提案がきっかけになったことも伝えられました。

ここで見えてくるのは、風の電話が災害の記憶装置であると同時に、今起きている苦しみにも開かれた場だということです。戦争で故郷を離れた人にとっても、突然別れを経験した人にとっても、電話の前に立つ時間は、自分の気持ちを整理する大切な時間になります。

少し補足すると、こうした「語りかける行為」は、心理ケアの現場でも故人とのつながりを心の中で持ち続ける営みとして語られることがあります。忘れることだけが回復ではなく、つながり方を変えながら生きていく考え方です。風の電話は、それをとても分かりやすい形にした場所なのだと感じます。

息子の声とともに続くハナミズキの道

番組の終盤では、津波からの避難誘導をしていた長男を亡くした女性の歩みが映されました。女性は何度も風の電話を訪れ、息子に語りかけながら続けてきたことがあります。それが、避難道へのハナミズキ植樹です。

陸前高田市は岩手県の東南端、三陸海岸の南の玄関口に位置する町です。東日本大震災で大きな被害を受けた地域の1つで、今も防災と記憶の継承が大きなテーマになっています。ハナミズキは春に花をつける落葉樹で、道沿いに植えられることも多い木です。再び津波が来た時の目印になるように植えるという行動には、追悼だけでなく、次の命を守る願いも込められていました。

息子と話しながら木を植える。その姿は、失った命を未来の安全へつなぎ直す作業にも見えました。番組の最後にこの場面を置いたことで、風の電話は過去を見つめるだけの場所ではなく、これからの生き方を支える場所でもあるのだと伝わってきました。

15年後に見えた風の電話の意味

今回の「NHKスペシャル」は、東日本大震災から15年たった今だからこそ見えてくる風の電話の意味を丁寧に描いた回でした。大槌町の小さな電話ボックスから始まった思いが、世界中の悲しみとつながっていく流れは、とても静かなのに強い力を持っていました。

番組を見終えると、風の電話は亡くなった人に話しかける場所であると同時に、生きている人がまた歩き出すための場所でもあると分かります。言葉にしても答えは返ってこない。けれど、話しかけることで自分の中に少しずつ変化が生まれる。その積み重ねが、15年という時間の先にある「それから」の物語だったのだと思います。

NHK【あさイチ】ゆず 震災伝承ソング「幾重」に込めた思い|“幾重”の意味と佐藤敏郎さんの言葉、福島・双葉町で見えた15年の今 2026年2月9日


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