「品格をまとう スーツ」
スーツという服は、形が決まっているように見えて、実は着る人の人生や価値観、そして作り手の思想が深く刻まれた特別な存在です。今回の『美の壺』では、英国・イタリア・現代の写真家・女性テーラー・ヴィンテージと、スーツをめぐる多彩な世界が一気に紹介される予定です。どのエピソードにも「スーツを身にまとう理由」があり、その背景には心に残る物語があります。
スーツを愛するハリー杉山さんの思いと原点
ハリー杉山さんがスーツを強く意識するようになった始まりには、お父さまの存在があります。ジャーナリストだった父が、取材先でも家でも常にスーツを身につけ、背筋を伸ばして歩く姿。その雰囲気に幼いころのハリーさんは胸を打たれ、スーツが持つ“人を変える空気”のようなものを強く感じたといいます。
スーツには「よし、頑張ろう」と気持ちを切り替える力がありますが、ハリーさんの中でその印象は父の姿と重なり、特別な意味を持つようになりました。大人になった今でもスーツを身につける理由は、単にファッションが好きだからではなく、人としての姿勢を整えるためでもあるのでしょう。こうした背景を知ると、ハリーさんがスーツに寄せる愛情の深さがより伝わってきます。
山でも海でもスーツで挑む写真家・長山一樹さんのスタイル
写真家の長山一樹さんは、スーツ姿で撮影を行う独特のスタイルで知られています。海辺に立つときも、山の中に分け入るときも、着ているのはスーツ。一般的に撮影現場では動きやすい服装が定番ですが、長山さんは「装いも作品の一部」という考えでスーツを選び続けています。
その根底には、芸術家や表現者に憧れた気持ちがあり、「作品に向き合う姿勢をまとうための服」としてスーツを扱っているようです。汗だくになって撮影する日も、潮風を受けながらシャッターを切る瞬間も、スーツは彼の“仕事の相棒”。スタイルを貫くという強い意志が、スーツという装いをさらに特別なものにしています。
英国スーツの魅力をつくる「イングリッシュドレープ」
英国のスーツは、クラシック好きにはたまらない“構築的な美しさ”が魅力です。その中核にあるのが『イングリッシュドレープ』と呼ばれるシルエット。
肩まわりにゆとりを持たせながらも、胸を立体的に見せるための仕立てで、落ち着いた風格を自然にまとうことができます。力強さと上品さを両立し、着る人をきりりと引き締めるのがこのスタイルの特徴です。
フォーマルな場やビジネスシーンで英国スーツが選ばれ続ける理由は、この「端正な佇まい」にあります。体のラインを自然に整え、言葉を使わずとも“自信”を表す服。それが英国スーツです。
ナポリ仕立ての軽やかさをつくる「雨降り袖」といせ込み
一方、イタリア・ナポリ発祥のスーツは、英国とは対照的。軽く、やわらかく、体の動きを妨げない仕立てが特徴です。
特に注目されるのは『雨降り袖』と呼ばれる肩のライン。縫い込む際に生まれる細かなシワが雨のように見えることからそう呼ばれています。この肩を作るには“いせ込み”という高い技術が必要で、生地に負担をかけず自然な丸みを生み出す職人技が光ります。
ナポリ仕立ては、軽快でラフなのに品がある点が魅力。レストランのディナーにも、休日のおしゃれにもフィットする“肩の力が抜けたエレガンス”が多くの人を魅了しています。
女性テーラーがつくる女性用スーツの新しい形
ここ数年、女性が自分に合ったスーツを求める流れが広がり、オーダーメイドの需要が高まっています。番組に登場する女性テーラーも、女性の体型に合わせて細かい部分を調整し、美しく着られるスーツを提供しています。
胸のライン、ウエストの絞り、肩のフィット感など、女性ならではのバランスを理解し、それを仕立てに落とし込む技術は非常に重要です。既製品では味わえない「自分だけのシルエット」が得られるのが、オーダースーツの大きな魅力。スーツを通して自分らしさを表現する女性が増えている理由も、こうした背景にあります。
若者に愛される100年前のヴィンテージスーツのロマン
100年以上前のヴィンテージスーツの人気が再び高まっています。
当時の素材や手縫いの技術、ボタンひとつに至るまでのこだわりなど、現代では再現が難しいディテールがたっぷり詰まっているからです。少し重いウール、時代を感じるシルエット、持ち主の歴史が刻まれた風合い。すべてが一点物であり、代わりのきかない“物語をまとった服”として若い世代にも響いています。
ファストファッションにはない「時代を超えた魅力」が、多くの人の心を掴んでいるのでしょう。
まとめ
スーツは単なるフォーマルウェアではなく、人の生き方や職人の技、文化の違いを映し出す奥深い世界です。英国の端正さ、ナポリの軽やかさ、写真家がまとう美学、父の背中に重ねた思い、ヴィンテージが語る時間の重なり。それぞれが“スーツをまとう意味”を教えてくれます。
スーツをもっと楽しむための用語を紹介します

ここでは、スーツの世界を知るうえで大切な専門用語を、初めての方でもわかりやすいようにまとめて紹介します。どれも仕立てに深く関わる言葉で、知っているだけでスーツの見え方や選び方がぐっと変わります。細かな技や形の違いを知ると、スーツの奥深さがより伝わってきます。
イングリッシュドレープ(English drape)
イングリッシュドレープは英国スタイルを象徴する仕立てで、肩まわりや胸にほどよいゆとりを持たせ、布が自然に落ちる立体的な形をつくるのが特徴です。布の流れが生む陰影が体のラインをきれいに見せ、上品な迫力をそっとまとわせます。胸や肩に余裕がありながら全体はすっきりと見えるため、クラシックなV字のシルエットが整い、重厚さと柔らかさを同時に感じられます。動いたときの揺れも美しく、英国らしい風格を求める人に長く愛されています。
マニカカミーチャ(Manica Camicia/雨降り袖)
ナポリ仕立てを語るうえで欠かせないのが、マニカカミーチャと呼ばれる肩のつくりです。シャツの袖のように軽く柔らかい仕立てで、肩に細かなギャザーが入るので、縦に流れるしわが雨のように見えることから「雨降り袖」と言われています。いせ込みを使いながら布を立体的に寄せていくため、肩に力が入り過ぎず自然な丸みが生まれます。軽くて動きやすく、肩が張らないので日常でも着やすく、ナポリのスーツらしい軽快さを象徴する仕様です。
イセ込み(いせこみ/Ease in)
いせ込みは、生地に立体感をつけるために欠かせない技です。一方の生地を少し長くし、短い側に丁寧に縫い合わせていくことで体の丸みを自然に再現できます。特に袖付けや肩など体の動きが大きい部分で使われ、仕立ての良し悪しを左右します。上手ないせ込みが施されたスーツは動いたときに生地がつっぱらず、形が崩れにくいのが特徴です。体のラインをきれいに見せながら快適に着られる理由が、この工程にあります。
ラペル(Lapel)
ラペルとは、ジャケットの前に折り返された部分で、スーツの表情を大きく決める重要なパーツです。もっとも一般的なノッチドラペルはビジネス用として親しまれ、ピークドラペルは角が上向きでフォーマルな雰囲気が強まり、ショールは丸い形でタキシードなどに使われます。幅や角度の違いで印象が変わるため、ラペルを見るだけでジャケットの雰囲気が理解できるようになります。
サヴィル・ロウ(Savile Row)
サヴィル・ロウはロンドンにあるテーラー街で、世界中の紳士服の基準とも言われる場所です。ビスポークを生み出した歴史あるエリアで、職人たちが受け継いできた技は今も大切に守られています。どの店も体型に合わせて型紙からつくるため、その人だけの一着が完成します。スーツの文化を語るうえで欠かせない場所であり、多くの人が「一度は訪れてみたい」と憧れる存在です。
フローティングキャンバス(Floating canvas)
フローティングキャンバスは、ジャケットの内側に入れる中布のことです。表地と裏地の間に入れることで前身頃にしっかりとした形を与えます。フルキャンバスは胸から裾まで広く使われる伝統的な方法で、着るたびに体に馴染んでいきます。ハーフキャンバスは胸の部分だけに使われ、軽さと形の良さを両立できます。この工程があるジャケットは、動いたときの揺れが美しく、長く形が崩れにくいのが特徴です。
ビスポーク(Bespoke)
ビスポークは、注文者の体に合わせて型紙からつくる特別な一着を指します。既製服やパターンオーダーと違って細かな体型の癖まで反映されるため、着心地もフィット感も全く違います。サヴィル・ロウの伝統として受け継がれてきた技で、布を選び、採寸し、仮縫いを重ねて仕上げていく過程そのものがスーツ文化の象徴でもあります。
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