B級グルメの「B級」はどこから来たのか?
このページでは『チコちゃんに叱られる!(2025年12月12日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
番組で取り上げられた「B級グルメのB級ってなに?」という疑問は、普段なにげなく使っている言葉の裏に、映画の歴史、世界恐慌、人々の暮らしの変化が深く関わっていることを教えてくれました。B級グルメは単なる安い料理ではなく、時代を生き抜いた知恵と楽しさの象徴でもあります。
「B級グルメ」という言葉が生まれた背景
『B級グルメ』という言葉が日本で使われ始めたのは1980年代半ばごろです。当時の雑誌では「味はA級、値段はB級」という表現が使われ、高級料理ではないものの、気軽に食べられて満足感のある料理を紹介していました。外食が特別なイベントではなくなり、日常の楽しみとして広がっていった時代背景も、この言葉の定着を後押ししました。
安いから仕方なく食べるのではなく、「この値段でこのおいしさなら十分うれしい」という前向きな評価が、『B級グルメ』という言葉に込められていたのです。
映画の世界にあったAピクチャーとBピクチャー
番組で紹介されたように、『B級グルメ』の「B」は映画の世界から来ています。アメリカ映画の黄金期、制作費が潤沢で大スターが出演する作品はAピクチャーと呼ばれていました。一方で、低予算・短期間で制作された作品はBピクチャーと呼ばれていました。
Bピクチャーは決して手抜き作品という意味ではなく、限られた条件の中で作られた映画という区分でした。アクション、西部劇、犯罪映画など、分かりやすい娯楽性を持ったジャンルが多く、観客にとっては気軽に楽しめる存在でした。
低予算でも面白さを追求したBピクチャー
Bピクチャーは、豪華なセットや有名俳優に頼ることができませんでした。その代わり、テンポの良さ、アイデア、勢いで観客を引き込みました。同じセットや小道具を使い回す、撮影日数を短縮するなどの工夫を重ねながら、「どうすれば楽しませられるか」を真剣に考えて作られていたのです。
こうした映画は「安いけどつまらない」のではなく、「安いのに面白い」という評価を受け、熱心なファンを生み出していきました。
大恐慌が生んだ2本立て映画という工夫
1929年、アメリカで起きた世界恐慌は、人々の暮らしを一変させました。映画業界も例外ではなく、観客数は大きく減少します。そこで映画館が考えたのが『2本立て映画』です。
1回分の料金でAピクチャーとBピクチャーの2本を上映することで、「同じお金で長く楽しめる」という価値を提供しました。BピクチャーはAピクチャーの前座として上映されましたが、観客にとっては「お得な1本」としてしっかり存在感を持っていました。この仕組みが、B級という考え方を広く浸透させるきっかけになりました。
Bピクチャーが大切にしていた価値観
Bピクチャーの根底にあったのは、完璧さよりも楽しさです。豪華ではないけれど、退屈しない。短くても印象に残る。そうした姿勢は、多くの人に支持されました。
この「背伸びしない」「身の丈で勝負する」「工夫で面白さを生む」という価値観は、映画の枠を超えて、人々の感覚に深く残っていきます。
食の世界に広がったB級グルメという考え方
映画のBピクチャーに込められていた価値観が、食の世界に持ち込まれたのが『B級グルメ』です。高級レストランの料理ではなく、屋台の焼きそば、町中華のラーメン、地元で長く親しまれてきた定食などが、その代表です。
材料は特別ではなくても、作り手の工夫や味のバランスで「また食べたい」と思わせる力がある。値段が安いこと自体が魅力なのではなく、「この値段でここまで楽しめる」という満足感が、B級グルメの本質です。
地域文化として根づいたB級グルメ
やがて『B級グルメ』は、地域の名物やご当地料理とも結びついていきます。観光客向けに作られた料理ではなく、地元の人が普段食べてきた味が注目されるようになりました。
この流れは、料理そのものだけでなく、その土地の歴史や暮らし方に目を向けるきっかけにもなり、B級グルメは食文化を語る大切な言葉として定着していきました。
まとめ
『B級グルメ』の「B級」は、映画のBピクチャーから生まれた言葉です。それは「ランクが低い」という意味ではなく、「安くても楽しめる」「工夫で魅力を生み出す」という価値観を表しています。
『チコちゃんに叱られる!』で紹介された背景を知ることで、身近な一杯のラーメンや屋台の料理が、時代を生き抜いてきた文化の結晶に見えてきます。B級グルメは、庶民の知恵と楽しさが詰まった、日本の食文化の大切な一面だと言えます。
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ご当地B級グルメが観光資源として注目されるようになった背景を紹介します

ご当地B級グルメは、もともとその土地で暮らす人たちが日常的に食べてきた、安くてお腹いっぱいになる庶民の味です。それが近年、観光の目玉として全国から人を呼ぶ存在になりました。その背景には、地域の置かれた状況と、人の動き、そして食の力が重なった現実があります。
地域経済の変化と「食」に向けられた期待
戦後、日本は高度経済成長を経験しましたが、その一方で地方では若者の都市流出が進み、商店街の衰退や人口減少が目立つようになりました。こうした中で、お金をかけずに地域の魅力を外に伝える方法として注目されたのが、地元に昔からある料理でした。特別に新しいものを作らなくても、すでに存在している食文化を活かせる点が、大きな強みになったのです。
市民主体の動きが全国に広がった2000年代
2000年代に入ると、自治体任せではなく、市民団体や商工会、飲食店が中心となって動く取り組みが各地で生まれました。その象徴的な例が、2000年に設立された「富士宮やきそば学会」です。地元の店や市民が一体となり、味の基準や焼き方を共有しながら発信したことで、富士宮やきそばは全国に知られる存在になりました。この流れは、後にB-1グランプリという形で全国へと広がっていきます。
親しみやすさが観光客の心を動かした理由
ご当地B級グルメが支持された大きな理由は、誰でも気軽に食べられることです。高級料理のような敷居の高さがなく、短い滞在時間でも楽しめるため、旅行者にとってはとても魅力的でした。また、その土地の家庭や食堂で育まれてきた味には、歴史や暮らしがそのまま詰まっており、「その地域らしさ」を強く感じられる体験になります。
自治体と観光協会による戦略的な活用
こうした動きを受けて、自治体や観光協会もB級グルメを地域ブランドとして正式に位置づけるようになりました。地元食材を使った料理は農業や水産業とも結びつきやすく、イベントやフェスティバルを通じて人の流れを生み出します。その結果、飲食だけでなく宿泊や土産物にも効果が広がり、地域全体の経済を動かす力を持つようになりました。
日常の味が「旅の目的」へ変わった瞬間
このように、ご当地B級グルメは、地域の普通の食事から、わざわざ食べに行く価値のある存在へと変わっていきました。派手さはなくても、その土地で長く愛されてきたという事実が、信頼や魅力につながっています。地域活性化への思い、市民の行動、そして食を楽しみたい人の気持ちが重なった結果、ご当地B級グルメは今や観光振興の中心的な存在として定着しているのです。
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