なぜハワイと言えばアロハシャツなのか?日本人移民が残した意外なルーツ
このページでは『チコちゃんに叱られる!(2025年12月12日放送)』で取り上げられる予定の「なぜハワイと言えばアロハシャツなのか?」という疑問について、放送前の段階で分かっている事実をもとにまとめています。
アロハシャツは南国の開放的なイメージだけで語られがちですが、その背景には日本人移民の暮らしと工夫、そして多文化が交わったハワイならではの歴史がありました。
アロハシャツはどこで生まれた服なのか
アロハシャツは『ハワイアンシャツ』とも呼ばれ、ハワイで生まれた衣類です。
1930年代ごろから一般に販売されるようになり、色鮮やかなプリント生地と開襟の形が特徴として定着しました。最初から「観光用の服」として生まれたわけではなく、ハワイで暮らす人々の生活の中から自然に形づくられていった服です。
日本人移民がハワイに渡った時代背景
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、多くの日本人が仕事を求めてハワイへ渡りました。
サトウキビ農園で働く人が多く、その後はホノルルを中心に仕立屋や商店を開く人も増えていきます。こうした日本人移民のコミュニティが、ハワイの街に新しい文化や暮らし方を根付かせていきました。
着物・浴衣の布が洋服に仕立て直された理由
当時の日本人移民が持っていた衣類は、着物や浴衣が中心でした。
ハワイの暑い気候や仕事のしやすさを考えると、そのまま和服を着続けるのは大変です。そこで、古くなった着物や浴衣の布を使い、洋服として仕立て直す工夫が生まれました。
和柄の布は色や模様が豊かで、現地の人や訪れた人の目にも新鮮に映ったことが、広がるきっかけになりました。
パラカ(開襟シャツ)との融合で生まれたデザイン
アロハシャツの形のもとになったのが『パラカ』と呼ばれる開襟シャツです。
これはヨーロッパ由来の作業着がハワイで広まったもので、動きやすく風通しのよい形が特徴でした。
このパラカの形に、着物や浴衣の布を組み合わせたことで、和の模様を持つ開襟シャツが生まれ、現在のアロハシャツの原型になっていきます。
1930年代に広まった「アロハシャツ」という名前
1930年代に入ると、こうしたシャツは商品として販売されるようになります。
1935年には、ホノルルの仕立屋 Musashi-ya Shoten(ムサシヤ) が新聞広告で『アロハシャツ』という名前を使い、この呼び名が広まりました。
その後、エラリー・チャン らによる商標登録も行われ、名称として定着していきます。
ハワイの象徴として世界に定着した流れ
アロハシャツは、地元の人だけでなく観光客にも親しまれる存在になりました。
第二次世界大戦後、ハワイを訪れた人々がアメリカ本土へ持ち帰ったことで人気が拡大し、映画や観光ブームとともに「ハワイを象徴する服」として世界に知られるようになります。
現在ではカジュアルな服装としてだけでなく、場面によっては正装としても受け入れられています。
まとめ
アロハシャツは、ハワイで生まれた服でありながら、その背景には日本人移民が持ち込んだ着物や浴衣の布、そして現地の衣文化との融合がありました。
「ハワイと言えばアロハシャツ」というイメージの裏側には、暮らしの中の工夫と、多文化が自然に混ざり合った歴史が息づいています。
※この記事は放送前の情報をもとに作成しています。放送後、内容が明らかになり次第、書き直します。
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