それでも、だから、伝えたい 写真に託した思いと回復の物語
このページでは『ハートネットTV 私のリカバリー それでも、だから、伝えたい 安田菜津紀(2025年12月23日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
戦乱や災害、迫害や貧困の只中にある世界の子どもたちを見つめ続けてきたフォトジャーナリストの安田菜津紀さんが、なぜ迷いながらも伝え続けてきたのか。その原点と現在地をたどることで、『写真』『伝えること』『回復』がどのようにつながっているのかが見えてきます。
フォトジャーナリストとして見つめてきた世界の子どもたち
安田菜津紀さんがフォトジャーナリストとして歩み始めた原点は、16歳のときに訪れたカンボジアでした。貧困の中で暮らす同世代の子どもたちと出会い、学校に通えない現実や、幼い年齢から働かざるを得ない日常を目の当たりにします。その体験は一度きりの訪問で終わらず、「この現実を知ってほしい」という思いとして心に残り続けました。その後、東南アジアや中東、アフリカ、日本国内へと取材の場は広がり、戦争、災害、難民、貧困といった状況の中で生きる人々、特に子どもたちの姿を撮り続けてきました。カメラを向ける先にあるのは、悲惨さだけではありません。笑顔や日常、未来への希望と不安が入り混じる「今を生きる姿」を残すことが、フォトジャーナリズムとしての役割だと考え、現場に足を運び続けています。
写真に込め続けてきた願いと、打ち砕かれる現実
取材の現場でシャッターを切るたび、安田菜津紀さんは「同じような苦しみを抱える子どもが、これ以上増えませんように」という願いを写真に込めてきました。しかし、戦争や貧困、迫害や災害は簡単に終わらず、状況が悪化していく現実にも何度も直面します。願いを込めても世界は変わらない、その無力感に打ちのめされることもありました。それでも写真を撮り続ける理由は、出来事を消費される情報にしないためです。写真には、その場にいた人の存在や声を残す力があります。単なる悲劇の記録ではなく、今も生きている人がそこにいるという事実を社会に伝えること。その積み重ねが、無関心を関心へとつなげると信じてきました。
志すきっかけとなった家族との葛藤と原体験
安田菜津紀さんが伝える仕事を志す背景には、家族をめぐる深い原体験があります。中学時代に父親と兄を相次いで亡くし、身近な人を失う痛みと向き合う時間を過ごしました。「家族とは何か」「失うとはどういうことか」という問いは、簡単に答えが出るものではありません。その問いを抱えたまま訪れたカンボジアで、同世代の子どもたちが家族について語る姿に触れます。守りたい人がいること、失う不安を抱えながら生きていること。その姿に、自分の中の痛みが重なり、誰かの声をそのまま伝えることの意味を強く意識するようになりました。この経験が、現場で出会う一人ひとりと向き合う今の姿勢につながっています。
カンボジアへの旅が形づくった「伝える」視点
カンボジアでの取材は、安田菜津紀さんにとって「伝える」という行為の原点となりました。内戦後の社会で、貧困や人身売買の影響を受けながら暮らす子どもたちと時間を共にする中で、外から眺めるだけでは見えない現実があることを学びます。写真は一瞬を切り取る表現ですが、その一瞬の中には、背景や歴史、言葉にならない思いが詰まっています。写真を見る人が想像し、考えるきっかけをつくること。それが「伝える」ことだと感じた経験でした。この視点はその後の取材活動の軸となり、どの現場でも変わらず大切にされています。
東日本大震災で見つめ直した伝えることの原点
東日本大震災後、安田菜津紀さんは被災地に通い、記録を続けてきました。街が壊れ、日常が失われた光景を前に、何を撮るべきか、何を伝えるべきかという問いに何度も向き合います。被害の大きさを伝えるだけではなく、そこで暮らしてきた人々の生活や思いを残すことが重要だと感じるようになりました。時間が経つにつれて薄れていく記憶を、未来につなぐ役割として写真がある。その考えは、震災の現場での経験を通して、よりはっきりとしたものになりました。
迷いと自問自答の中で、それでも伝え続ける理由
取材を重ねる中で、安田菜津紀さんは常に迷いと向き合ってきました。写真だけで社会は変えられない、構造的な問題は続いていく。その現実を理解したうえで、それでも伝え続ける理由は、現場で出会った人たちの声を無かったことにしないためです。伝えることは答えを示すことではなく、問いを社会に投げかけ続けること。悩み、自問自答しながらも、カメラを手に現場へ向かう姿勢は変わりません。ハートネットTV『私のリカバリー』で描かれるのは、その揺れ動きながらも前に進み続ける歩みそのものです。
まとめ
『ハートネットTV 私のリカバリー それでも、だから、伝えたい 安田菜津紀(2025年12月23日放送)』は、フォトジャーナリストとしての活動だけでなく、一人の人間としての回復の過程を描く内容です。
世界の子どもたち、家族との原体験、カンボジア、東日本大震災。それぞれの経験が重なり合い、「伝える」という行為にどんな意味があるのかを問い続けてきた歩みが語られます。
Eテレ【ハートネットTV】イタコ 中村タケ93歳の日々|日本で最後の全盲のイタコと消えゆく口寄せ文化|2025年12月22日
伝える側と受け取る側の距離について考えたこと

番組を見ながら強く感じたのは、「伝える側」と「受け取る側」のあいだには、いつも見えない距離があるということです。写真や言葉は一方通行に届くものではなく、受け取る人の経験や立場によって意味が変わるものだと、改めて意識させられました。安田菜津紀さんが続けてきた「伝える」という行為は、その距離を無理に埋めるのではなく、どう向き合うかを問い続ける営みなのだと感じます。ここでは筆者からの追加情報として、その距離について考えたことを紹介します。
伝える側が背負っている責任の重さ
伝える側は、目の前の出来事をただ外に出せばいいわけではありません。写真を撮るときも、言葉を選ぶときも、その先にいる受け取る側を意識し続ける必要があります。強すぎる表現は距離を広げてしまうこともあり、弱すぎれば現実が伝わらない。その間で揺れながら、何をどう伝えるかを考え続ける責任があると感じました。伝える行為は、勇気と同時に慎重さを求められる仕事です。
受け取る側が無意識につくる距離
一方で、距離をつくっているのは伝える側だけではありません。受け取る側もまた、無意識のうちに距離をつくっています。自分の日常から遠い出来事ほど、「大変そうだ」と感じながらも、どこか他人事として受け止めてしまうことがあります。理解できないから距離を取るのではなく、理解しようとしないことで距離が生まれるということに、はっとさせられました。
距離を埋めるのではなく、考える余白を残す
番組を通して印象に残ったのは、距離を無理に埋めようとしていない点です。伝える側が答えを用意するのではなく、受け取る側が自分で考える余白を残しているように感じました。距離があるからこそ、想像し、考える時間が生まれる。その時間こそが、伝えることと受け取ることを静かにつなげていくのだと思います。伝える側と受け取る側の距離は、消すものではなく、向き合い続けるものなのだと感じました。
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