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【大追跡グローバルヒストリー】大河ドラマ「豊臣兄弟!」SP・謎の戦国商人 豊臣秀吉の世界戦略とルソン壺、原田喜右衛門が動かしたフィリピン交易史|2026年1月5日

大追跡グローバルヒストリー
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戦国の裏側で世界が動いていた

このページでは『大追跡グローバルヒストリー(2026年1月5日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
大河ドラマ『豊臣兄弟!』と連動した今回の放送は、豊臣秀吉の時代を「日本の戦国史」だけでなく「世界とつながり始めた歴史」として描いていました。金屏風に描かれた世界地図、フィリピン・ルソン島、巨万の富を生んだルソン壺、そして戦争を回避した一人の商人。表舞台に立たない存在が、歴史の流れを大きく動かしていたことが見えてきます。

秀吉の「金屏風」と世界地図が示す世界の見え方

番組冒頭で紹介されたのが、福井市浄得寺に伝わる、豊臣秀吉が所持していたとされる金屏風です。
この金屏風に描かれていたのは、当時日本にやって来ていたヨーロッパの宣教師がもたらした情報をもとに作られた、400年以上前の世界地図でした。

この世界地図は、日本や中国といった東アジア周辺だけを描いたものではありません。
南北アメリカの新大陸、さらに東南アジアの数多くの島々までが、かなり具体的に描き込まれていました。
まだ海外渡航が限られていた戦国時代に、これほど広い範囲の世界像が日本にもたらされていたこと自体が、強い驚きを与えます。

戦国時代というと、どうしても国内の合戦や勢力争いに目が向きがちです。
しかし、この金屏風が示しているのは、秀吉の周囲にはすでに「世界を俯瞰する視点」が存在していたという事実です。
海の向こうでどんな国が力を持ち、どこに富や資源が集まっているのか。
そうした情報が、宣教師や交易を通じて、日本の最高権力者のもとに集まっていました。

その中で、秀吉が特に強い関心を寄せていたと番組が示したのが『ルソン』、現在のフィリピンです。
ルソンは当時、大航海時代の国際交易の要衝であり、スペインが莫大な富を集めていた地域でもありました。
世界地図の中で、ルソンが「注目すべき場所」として意識されていたことは、偶然とは考えにくいものです。

この段階で、日本の権力者が海外の土地や資源、そして国際情勢を具体的に意識していたという点は、歴史の流れが大きく変わり始めていたことを示しています。
豊臣秀吉の時代は、日本史と世界史が本格的につながり始めた最初の瞬間でもあった。
そのことを、静かに、しかし確かに物語っているのが、この金屏風の世界地図でした。

フィリピン「イントラムロス」とルソンの価値

番組は舞台をフィリピンへ移し、首都マニラに今も残るイントラムロスを紹介しました。
イントラムロスとはスペイン語で『壁の内側』という意味を持ち、町そのものが堅固な城壁に囲まれた、巨大な要塞都市です。

この城壁は装飾や象徴のためのものではありません。
大航海時代、スペインがアジア各地との交易によって集めた莫大な富を守るため、本気で築かれた防衛拠点でした。
銀や香辛料、絹、陶磁器など、世界中から集まった富がこの地に集積し、それを外敵から守るために、町ごと壁で囲う必要があったのです。

番組では、こうした背景を踏まえたうえで、スペイン側の史料に残る記述が紹介されました。
そこには、豊臣秀吉が『ルソン』の金鉱山に強い関心を示していた可能性が記されているといいます。
日本側の史料だけを見ていると見えてこない視点ですが、海外に残る記録からは、秀吉がルソンを単なる遠い土地ではなく、戦略的に重要な地域として認識していた様子が浮かび上がります。

イントラムロスの分厚い城壁は、そのままルソンの価値を物語っています。
なぜ、ここまで強固な防御が必要だったのか。
それは、ルソンが世界規模の富の集積地であり、奪われれば国家の命運に直結する場所だったからです。

そうした場所に、日本の最高権力者が目を向けていたと考えると、時代の見え方が大きく変わってきます。
戦国時代の日本は、決して国内だけで完結した世界ではありませんでした。
海の向こうの富と力の動きを読み取り、そこに関わろうとする意識が、すでに生まれていたのです。

イントラムロスは、石で築かれた城壁であると同時に、
日本と世界が本格的につながり始めた時代の証人でもありました。

謎の存在「タイフーサ(倭寇)」とカガヤンの戦い

番組で特に強い印象を残したのが、『タイフーサ(倭寇)』という存在です。
この名前は日本史の教科書ではほとんど触れられませんが、番組ではフィリピン大学の研究者、ジェリー・ガランさんの解説を通して、その実像に迫っていきました。

ガランさんによると、豊臣秀吉の時代よりも前、すでにルソン島にはタイフーサと呼ばれる日本人系の海賊集団が活動していたといいます。
彼らは単なる小規模な海賊ではなく、20隻近い大型船を率いた大船団を組織し、ルソン島北部のカガヤンを拠点に勢力を広げていました。

この事実は、日本側の記録ではほとんど確認できません。
しかし、スペイン側の史料には、タイフーサが一定期間、この地域を実質的に支配していた様子が具体的に記されています。
当時の東南アジア海域が、すでに国境を越えた力のぶつかり合いの場だったことが、ここから見えてきます。

やがてタイフーサの船団は、スペイン艦隊との戦いに敗れ、その後歴史の表舞台から姿を消します。
日本側に記録が残らなかったことで、タイフーサの存在は長い間、歴史の影に埋もれてきました。

番組が示した重要なポイントは、
この「記録の欠落」そのものが、当時の歴史の特徴だという点です。
日本史の枠内だけを見ていると、タイフーサの存在は見えません。
しかし、海外に残る史料をたどることで、日本人がすでに東南アジアの海域で大きな影響力を持っていたという事実が、はっきりと浮かび上がってきます。

タイフーサの物語は、
戦国時代の日本が、国内だけで完結した社会ではなかったことを示しています。
海を越え、武装し、交易や勢力争いに関わっていた人々が確かに存在した。
その現実を、番組は静かに、しかし力強く伝えていました。

巨万の富を生んだ「ルソン壺」唐物不足が生んだ大ブーム

今回の放送で「お金の流れ」を最も分かりやすく象徴していたのが、『ルソン壺』です。
番組では、立花宗茂豊臣秀吉から拝領したと伝わるルソン壺が紹介され、その存在が戦国時代の経済感覚を物語る重要な手がかりとして描かれました。

当時の日本では、茶の湯の世界で中国製の『唐物』が最も高く評価されていました。
茶の湯は単なる趣味ではなく、権力や教養、財力を示す場でもあり、織田信長豊臣秀吉といった天下人たちは、希少な茶器を競うように集めていました。

しかし、この時代には大きな問題がありました。
中国・明王朝が海賊対策を理由に日本との交易を制限したため、本場の唐物が日本に入りにくくなっていたのです。
需要は高いのに、供給が途絶える。
この状況が、新たな「価値」を生み出す土壌となりました。

そこで注目されたのが、フィリピンに流通していた中国系の壺でした。
特に、ルソン島北部のビガンでは、中国由来の製陶技術を受け継ぐ『龍窯』と呼ばれる登り窯で壺が作られていました。
これらの壺は、中国本土で作られたものと同じ流れをくむ品質を持ちながら、日本ではまだ十分に知られていなかった存在でした。

日本の商人たちは、ここに目をつけます。
壺の表面や底に残る特徴的な印を手がかりに、どこで作られたのか、どれほど古いのかを見極め、価値の高い壺だけを選び抜いていきました。
この「目利き」こそが、商人たちの最大の武器でした。

番組では、当時の記録として「壺ひとつが現在の5000万円を超える価格で取引されていた」と紹介されました。
単なる陶器ではなく、富を生む商品として、ルソン壺が扱われていたことが分かります。

ルソン壺のブームは、
茶の湯という文化、国際情勢による貿易制限、そして商人の鋭い判断力が重なって生まれました。
『ルソン壺』は、戦国時代がすでに世界の経済と結びついた時代だったことを、はっきりと示す存在だったのです。

凄腕商人「原田喜右衛門」戦争回避と独占権のリアル

物語の中心にいたのが、謎の戦国商人、原田喜右衛門です。
番組では、武将でも外交官でもない一人の商人が、国と国の衝突を左右する場面に立ち会っていたことが描かれました。

1592年豊臣秀吉が送った書状に対する返答として、スペイン側の使節が日本へやって来ます。
原田は、その使節が秀吉に正式に会う前の段階で、いち早く接触しました。
目的はただ一つ、相手が何を考え、どこまで本気なのかを探ることでした。

スペイン側の史料には、
「日本の侵攻に備えるための時間稼ぎとして、返答の使節を派遣する」
という趣旨の内容が記されています。
つまり、表向きは外交使節でありながら、内心では日本を警戒していたのです。

さらに問題だったのが、秀吉への贈り物でした。
持参された品は、刀剣など価値の低いものばかりで、天下人である秀吉を満足させる内容ではありませんでした。
このままでは、秀吉の怒りを買い、戦争に発展しかねない緊迫した状況でした。

ここで原田は動きます。
彼は、ルソンで実際に流通していたスペインの貨幣を密かに用意し、
秀吉との謁見の直前、その貨幣を贈り物の中に忍ばせました。

結果は劇的でした。
秀吉はたちまち機嫌を良くし、使節を『黄金の茶室』に招き、特別な待遇でもてなします。
一触即発だった空気は、ここでひとまず和らぎました。

しかし、事態はそれで終わりません。
使節が帰国する途中、嵐によって船が遭難し、携えていた秀吉の書状が失われてしまいます。
外交において、書状の消失は致命的な出来事です。

原田は、この絶体絶命の状況を逆手に取ります。
彼は、実際の秀吉の書状とは正反対の穏健な内容をスペイン側に伝え、
両国にとって利益となる貿易関係の継続を推し進めました。

こうして、スペインとの戦争は回避されます。
そして実はこの裏で、原田はもう一つの成果を手にしていました。
それが、『ルソン壺』の独占権です。

商人にとって、戦争は航路を断ち、信用を壊し、利益を失う最悪の事態です。
だからこそ原田は、戦争を避けるために動きました。
同時に、危機のただ中でこそ生まれる巨大な商機を逃しませんでした。

原田喜右衛門は、
刀や兵ではなく、情報と判断力で歴史の流れを変えた存在でした。
番組が描いたのは、戦国時代の裏側で、
世界と日本を静かにつないでいた商人のリアルな姿だったのです。

まとめ

『大追跡グローバルヒストリー』が描いたのは、合戦の裏で動いていたもう一つの戦国史でした。豊臣秀吉の世界への視線、フィリピン・ルソンの価値、謎の倭寇タイフーサ、茶の湯が生んだルソン壺ブーム、そして原田喜右衛門という一人の商人。
歴史を動かしたのは、表に名を残す武将だけではありません。交易、情報、交渉を操った陰の存在たちが、日本と世界を静かにつないでいたことが、この放送からはっきりと伝わってきました。

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