半世紀の悲願が動いた日 北陸新幹線と飯山トンネルの物語
このページでは『新プロジェクトX 半世紀の悲願 北陸新幹線〜飯山トンネルを穿(うが)て〜(2026年1月24日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
舞台は、北陸新幹線の開通までの長い道のり。立ちはだかったのは北アルプスの山々、豪雪地帯、そして“魔の山”と呼ばれた『飯山トンネル』です。
番組では、全長22キロの巨大トンネルに挑んだ技術者たちの現場、前代未聞の崩落事故、そして復旧までの粘り強い取り組みが描かれました。この記事では、その全エピソードを時系列で追いながら、『飯山トンネル』工事の裏側を具体的に紹介します。
北陸が遠かった時代と新幹線への願い
物語は、北陸が「本当に遠かった」時代から始まります。
今では東京から金沢まで新幹線で一直線につながっていますが、かつてはそうではありませんでした。
金沢から上野へ向かうには特急を乗り継ぎ、長い時間をかけて移動していました。しかも冬になれば状況はさらに厳しくなります。日本海側特有の豪雪が線路をふさぎ、列車はたびたび大きく遅れました。
番組では、急行『北陸』が大雪の影響で大幅に遅れた出来事も紹介されました。時間どおりに着かないどころか、到着までに想像を超える時間がかかったという事実が、当時の北陸の交通事情を物語っています。
「北陸にも新幹線を」
そんな声が地域で高まっていったのは自然な流れでした。
昭和48年に示された構想の中で北陸ルートも描かれましたが、実現までは遠い道のりでした。北アルプスの険しい山々、日本海側の急な地形、そして毎年の豪雪。
自然は簡単に道を譲ってくれません。さらに採算の問題もあり、計画はなかなか前に進みませんでした。
それでも、移動の不便さを知っている人たちの願いは消えませんでした。
半世紀にわたる悲願は、こうして静かに、しかし確実に積み重なっていきます。
最大の難関『飯山トンネル』に挑む
どこを通すのか。
それがまず大きな問題でした。
北アルプスをまっすぐ抜ける案も検討されましたが、地形の厳しさから実現は難しいと判断されます。別のルートも、湧き水の量が多すぎることが分かり、断念せざるを得ませんでした。
そこで浮上したのが、全長22キロにおよぶ『飯山トンネル』です。
しかしここも簡単な場所ではありませんでした。
地層が横に重なっているのではなく、縦に折れ曲がるように入り組んでいる構造。掘り進めるたびに岩の性質が変わります。軟らかい地盤が続いたかと思えば、急に硬い層が現れる。さらに地下水も多く、わずかな変化が工事に大きな影響を与えました。
過去に「難工事」と呼ばれたトンネルよりもさらに長い距離を掘る必要があり、そのスケールだけでも前例の少ない挑戦でした。
計画段階では、何度もボーリング調査が行われます。試験的に掘り、地質を確かめ、データを集める作業が続きました。経済効果の試算も重ねられ、工期をどう短縮するかが議論されます。
そしてたどり着いたのが、複数の工区に分けて同時に掘り進める方法でした。
一方向からではなく、いくつもの地点から山に挑む。
『飯山トンネル』は、こうして本格的な工事へと動き出していきます。
軟弱地盤と地下水 “魔の山”との格闘
1998年、いよいよ『飯山トンネル』の本格工事が始まりました。
全国から建設会社が集まり、関わった人はのべ65万人。まさに国家規模のプロジェクトでした。
最初は順調に進んでいるように見えました。
しかし、山はすぐに本当の姿を見せます。
掘り進めると、可燃性のガスが発生します。さらに、トンネルを支える鋼材が強い圧力で変形する事態も起きました。地盤が想像以上に軟らかく、山そのものが押しつぶすように迫ってきます。
思うように前へ進めず、月に数メートルしか掘れない区間もありました。
そこで導入されたのが、多重に支える新しい工法です。
トンネル内部を何重にも補強して、山の圧力を分散させる方法でした。
ただし、この工法には大きな難しさがありました。
補強を追加する「タイミング」がわずかにずれるだけで、支えが機能しなくなる可能性があったのです。早すぎても遅すぎてもいけない。山の動きを正確に読むことが欠かせませんでした。
現場では、毎日複数回の計測が行われました。
トンネル内の変形、地盤のわずかな動き、圧力の変化。集められたデータは専門チームに送られ、解析が続けられます。
山のほんの小さな変化を見逃さない。
その地道な積み重ねが、少しずつ工事を前へと進めていきました。
“魔の山”との格闘は、力だけではなく、緻密な計測と判断の連続でもありました。
前代未聞の崩落事故と復旧への道
2003年9月。
それまで積み重ねてきた工事の流れが、一瞬で止まります。
『飯山トンネル』の先端部で、大規模な崩落が発生しました。
岩盤が崩れ、そこへ地下水が一気に流れ込みます。トンネル内部は水で満たされ、現場は緊急対応に追われました。
地上にも異変が現れます。
山の一部が陥没し、大きな穴があきました。崩れた範囲は、トンネルの先端から地上近くまで達していました。
原因を調べると、狭い範囲に存在していた水を通さない断層が見つかります。その背後には大量の地下水がたまっていました。掘削によってバランスが崩れ、水が一気に流れ込んだのです。
この断層は事前の調査では確認できなかった場所でした。
工事は一時中断。
しかし、計画は止まりませんでした。
復旧のために選ばれたのは、反対側から掘り進める方法です。崩落した場所へ直接近づくのではなく、安全な側から慎重に距離を縮めていきます。
さらに、崩落地点の手前で地盤を薬剤によって固める作業が続きました。水の流れを抑え、地盤を安定させるための処置です。
すぐに結果が出るものではなく、時間をかけて少しずつ固めていく工程でした。
掘削を再開しても、地質は一様ではありませんでした。
左側は崩れやすい層、右側は硬い層というように、性質が分かれる区間もあります。重機を使い分けながら、慎重に前へ進みます。
崩落事故のあと、工事はより丁寧に、より時間をかけて進められました。
一歩ずつ、確実に。
『飯山トンネル』の復旧は、短期決戦ではなく、粘り強さの積み重ねでした。
豪雪の中でつながったトンネル
2006年、現場に再び大きな試練が訪れます。
厳しい寒波と記録的な豪雪です。
最低気温は氷点下。
山は深い雪に覆われ、資材の搬入や作業員の移動も簡単ではありませんでした。それでも、崩落地点の手前で続けていた地盤を固める作業は止まりませんでした。水の流れを抑え、崩れやすい部分を安定させる工程が、寒さの中で静かに続きます。
地元の建設会社が除雪や資材運搬を担い、現場を支えました。
雪で閉ざされがちな地域だからこそ、工事を止めないための協力が重ねられていきます。
そして、反対側から進めていた掘削が、ついに崩落地点へと近づきます。
慎重に固めた地盤を少しずつ掘り進め、ついに両側がつながりました。
全長22キロの『飯山トンネル』が貫通した瞬間です。
長い年月をかけた工事が、一つの節目を迎えました。
その後、関連する工事も完了し、2015年3月14日、北陸新幹線が開業します。
金沢へ向かう新幹線が走り出し、半世紀にわたる願いが形になりました。
番組では開業後の支えにも光を当てています。
石川県の白山総合車両所では、走行距離に応じた分解点検が行われています。豪雪地帯を走るため、車両には雪をかき分ける装置が備えられ、駅では車体に付着した雪を落とす作業も続けられています。
トンネルが完成して終わりではありません。
雪とともに生きる地域で、北陸新幹線を安全に走らせ続ける取り組みは、いまも続いています。
まとめ
『飯山トンネル』は、地形、地下水、崩落事故という幾重もの壁を越えて完成しました。
北陸新幹線の開通は、一つの工事の成功ではなく、半世紀にわたる挑戦の積み重ねです。
番組は、“魔の山”と向き合い続けた技術者たちの歩みを、現場の具体的な出来事とともに伝えていました。
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