海と夢を取り戻すための挑戦
このページでは『新プロジェクトX〜挑戦者たち〜 美ら海水族館誕生〜ジンベエザメと巨大水槽〜(2026年1月11日放送・再)』の内容を分かりやすくまとめています。
沖縄の海をそのまま見せたいという思いから始まり、謎だらけだった『ジンベエザメ』の飼育、そして世界でも前例のない巨大水槽づくりに挑んだ人たちの歩みを、番組の流れに沿って追っていきます。
海洋博の光と影から始まる北部の危機
物語の出発点は、1972年5月15日の沖縄本土復帰です。通貨はドルから円に変わり、物価は上がり、基地問題への不満から抗議の動きも続いていました。
1975年に開かれた『沖縄国際海洋博覧会』は、大きな期待を背負って始まりましたが、会場となった本部町の水族館では、九州や四国から運ばれた魚が中心で、沖縄の海そのものを伝えきれなかった面もありました。来場者数は目標に届かず、博覧会後には本土企業が撤退し、商店やホテルが次々と姿を消していきます。
そんな中、水族館の館長だった内田詮三は、このままでは水族館は続かないと強い危機感を持ちます。本土の水族館で経験を積み、イルカ研究でも知られた人物でした。飼育員の戸田実も本土出身で、初めて見た沖縄の海の豊かさに心を動かされていました。
2人は「沖縄ならではの海を見せなければ意味がない」と考え、地元の漁師を訪ね歩き、沖縄の魚を探す日々を始めます。ここから、美ら海水族館の本当の物語が動き出します。
ジンベエザメと出会い飼育をゼロから作った日々
1980年、地元漁師から一本の電話が入ります。港にとてつもなく大きな魚がいるという知らせでした。駆けつけた内田が思わず声を上げたほどの存在、それが『ジンベエザメ』でした。当時は生態がほとんど分かっていない、謎の生きものです。
その個体はすでに死んでいましたが、内田はここで大きな夢を口にします。「ジンベエザメは沖縄の宝だ。世界で初めて、水槽で展示しよう」。
実際の飼育は失敗の連続でした。サメ獲り名人の平良幸信が協力し、体長5.1メートルの個体を捕獲しますが、飼育開始から10日で餌を食べずに死んでしまいます。戸田はそこで終わらせず、亡くなった個体を解剖し、体のつくりや食べ方を調べ続けました。
再挑戦では、自作のホースを使って口元まで餌を運び、少しずつ距離を縮めます。すると、ジンベエザメは落ち着いて餌を食べ始めました。さらに驚かされたのが、体を立てて餌を食べる姿です。
ただ、その姿は同時に新たな課題を突きつけます。当時の水槽は深さ3.5メートルで、立つと尾びれが底に当たり、命に関わる危険がありました。本当の姿を見せたいからこそ、安全な環境を作らなければならない。ここで、次の大きな挑戦が生まれます。
立って食べる姿を見せるための世界一巨大水槽構想
沖縄本土復帰30周年の記念事業として、水族館のリニューアル計画が動き出します。内田は思い切った提案をします。「ジンベエザメが立って餌を食べられる、世界一の巨大水槽を造る」。
設計を託されたのが、沖縄の建築家国場幸房です。代表作として知られる『ムーンビーチ ミュージアムリゾート』など、沖縄の光や風を生かした建築で評価されてきました。戦後の荒れた沖縄で、ヤンバルの森の木漏れ日と風に癒やされた体験が、国場の建築の原点でした。
国場が打ち出したのは「柱をなくす」という発想です。世界中の巨大水槽は、太い柱で支えられていますが、それでは視界が途切れてしまいます。ジンベエザメが悠々と泳ぐ姿を一望できる空間を作るには、柱が邪魔でした。
しかしこの構想は、国内外のメーカーから次々と断られます。「水圧に耐えられるはずがない」。柱のない巨大水槽は、誰も経験したことのない挑戦でした。
柱なし巨大アクリル水槽を背負った香川の町工場
そんな中、「話だけでも聞きたい」と名乗りを上げたのが、香川県のアクリル加工の町工場でした。社長の敷山哲洋は、国場から「柱なしの巨大水槽はできますか」と聞かれ、即座に「できます」と答えます。
この会社は、大手に比べて決して有名ではありませんでした。仕事が少なく、倒産の危機もあり、生簀づくりなどで食いつないできた時期もありました。それでも海外の水族館水槽を手がけ、少しずつ技術を積み上げてきました。息子の敷山靖洋は、「技術が完成してから受けた仕事ではない」と振り返ります。
水槽の大きさは、高さ8.2メートル、幅22.5メートル、水量7500トン。巨大なアクリルパネルを16枚重ね、厚さ60センチにし、それを7枚つなげて一枚にします。重量は135トン。
従来の方法では限界が見え、敷山哲洋は「立てたまま接着する」という危険な方法を選びます。重力で接着剤の状態が変わる中、職人たちは何度も実験を繰り返しました。さらに、光が差し込む『アクアルーム』では、鉄骨をなくし、アーチ型のアクリルだけで支える設計に変更されます。
曲げたアクリルは厚みが変わり、わずかな段差でも割れる恐れがあります。15人の職人が、ミリ単位で磨き続ける日々が続きました。しかも失敗すれば、建物を壊すしかない。後戻りできない状況で、プロジェクトは最後の山場を迎えます。
完成とその後に続く挑戦
7枚の巨大パネルがつながり、7500トンの海水が注がれます。水槽が揺れる音に周囲が緊張する中、敷山たちは動きませんでした。それは壊れる音ではなく、水圧で水槽が安定していく音だと信じていたからです。水は一滴も漏れませんでした。
2002年11月1日、沖縄美ら海水族館が開館します。子どもたちが水槽に駆け寄り、『ジンベエザメ』が立って餌を食べる姿に大きな歓声が上がりました。内田と戸田が思い描いた光景が、ついに現実になった瞬間です。
『美ら海』という名前は、沖縄の言葉で「美しい海」を意味します。開館翌年には日本一の入場者数を記録し、今では年間約340万人が訪れる場所になりました。
その後も物語は続きます。ジンベエザメは飼育30年を迎え、世界最長飼育記録を更新中です。戸田は退職後もボランティアとして飼育法を伝え、繁殖に挑み続けています。敷山靖洋は海外の大型水族館建設にも関わり、国場幸房の建築の思いは安谷健へと受け継がれています。
この番組は、巨大水槽の完成で終わる話ではありません。沖縄の海を未来へ伝えたいという思いが、人から人へと受け継がれていく長い挑戦の物語でした。
NHK【新プロジェクトX】4500トン 巨大橋を架け替えよ!大潮だけの輸送作戦と多摩川しじみ漁への配慮・ステンレス摩擦軽減工法とは|2025年11月29日
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