伊勢神宮への旅スタート!桑名の鳥居と焼きハマグリ、追分、神戸宿の歴史をめぐる30分|2025年4月5日放送
2025年4月5日(土)に放送された『ブラタモリ』では、新シリーズ「伊勢神宮への旅」がスタートしました。第一夜の舞台は三重県の桑名・四日市・鈴鹿。江戸時代に大流行した「お伊勢参り」の名残をたどりながら、タモリさんが伊勢路の魅力を体感しました。今回のテーマは「憧れのお伊勢参り~行けばわかるさ 伊勢路の魅力~」。知られざる歴史、信仰の文化、そして地元グルメに迫った内容となっています。
ブラタモリ伊勢神宮への旅、第1週の詳細が出ました!😎 pic.twitter.com/EPftBsLYtk
— ブラタモリ (@buratamori2018) March 28, 2025
桑名の旅は巨大な鳥居からはじまる
三重県桑名市にある「七里の渡し跡」には、伊勢神宮への玄関口を象徴する鳥居が建っています。この鳥居は「伊勢国一の鳥居」とも呼ばれ、旅人たちが伊勢へ向かうときに最初にくぐる神聖な門として長く親しまれてきました。現在の鳥居も、伊勢神宮の内宮宇治橋で使用されていたものを下賜された特別なもので、定期的に建て替えられています。
江戸時代の東海道は、熱田(名古屋)から桑名へ海を渡る「七里の渡し」が正式なルートとされており、舟で海を越えて桑名にたどり着いた旅人たちは、この鳥居を見て神の国に足を踏み入れる思いを新たにしていました。
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鳥居の前には波打ち際の石畳が広がっており、潮風に吹かれながらの参拝気分が味わえる
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「七里の渡し」の「七里」は、熱田から桑名までの距離(約28km)を示す
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鳥居の向こうには、伊勢路が静かに続いている
この場所は単なる道の分岐点ではなく、信仰の切り替え地点としての役割を持っていました。人々は現世から神域へと入る意識を持ち、旅の心構えを整えることが求められたのです。また、この鳥居の存在によって、桑名が伊勢参りの「入口の町」として栄えていたことがよく分かります。
当時の参拝者たちは、鳥居の前で舟旅の無事を感謝し、これから始まる陸の道に向けて祈りを捧げていたといわれています。今も鳥居は静かに川辺に立ち、往時の情景を想像させてくれる貴重な歴史の証人となっています。訪れた人はその空気感に包まれ、昔と変わらぬ旅の始まりを体感できます。
桑名名物・焼きハマグリで舌鼓
桑名の旅のもう一つの楽しみは、地元の味を堪能できることです。特に有名なのが「焼きハマグリ」。この地域では古くから蛤の漁が盛んで、桑名産のハマグリは全国的にも評価が高く、江戸時代から名物として知られていました。
焼きハマグリは、浜辺の炭火でじっくりと焼き上げられ、焼くことで殻が自然に開き、じゅわっと旨味たっぷりの汁があふれ出るのが特徴です。味付けは基本的に何もせず、海の塩気とハマグリ本来の風味を生かしたシンプルな調理法が伝統とされています。
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貝が開いた瞬間が食べ頃とされ、絶妙な焼き加減が求められる
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焼くことで身がふっくらとし、噛むたびに甘みと旨味が広がる
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その香ばしい香りが町中に漂い、旅人の食欲を誘ったとされる
「その手は桑名の焼蛤」ということわざも、この料理の知名度と印象の強さを物語っています。これは洒落のような言い回しで、「話題をそらす」という意味合いでも使われるのですが、それほどまでに焼きハマグリが全国的に知られていた証拠でもあります。
タモリさんは、今回の放送で老舗の料理店に立ち寄り、焼きたてのハマグリをじっくりと味わいました。網の上でパチパチと焼ける音や、立ち上る湯気、ひと口食べたときの表情から、素材の良さと技の高さ、そして歴史の重みをしっかり感じ取っていたことがわかります。
桑名は東海道と伊勢路の交差点に位置し、宿場町として多くの旅人を迎えてきた町です。そこで振る舞われる焼きハマグリは、ただの食事ではなく、長旅の疲れを癒すもてなしの一品でもありました。焼きハマグリを通して、桑名の人々の温かさや、旅文化の豊かさが今も感じられます。
四日市「日永の追分」で東海道と伊勢路が分かれる
四日市市の日永地区にある「日永の追分」は、東海道と伊勢街道が分かれる分岐点として江戸時代の旅人たちにとって非常に重要な場所でした。この三差路は、当時の旅の目的によって進むべき方向を決める岐路であり、多くの人がここで足を止め、道しるべを頼りに目的地を選びました。
この場所の様子は、江戸時代に出版された「伊勢参宮名所図会」にも描かれており、交差点のまわりには旅籠、茶店、土産物屋などが建ち並び、活気に満ちた空間だったことがわかります。当時の絵には人々の姿も細かく描かれ、それぞれの道へと進む前の賑わいや緊張感が読み取れます。
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東海道を行く人々は仕事や公務などの用事が多く、伊勢路に進む人々は信仰の旅が目的だった
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分岐点には立派な石碑や道標が建ち、旅人に道を示していた
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「右いせ道」「左京道」などと刻まれた文字が今も読み取れるものもある
この地には今も当時の名残を感じる道標が残されており、現代の私たちも実際にその場所を歩くことで、数百年前の旅人と同じ視点で道を選ぶ体験ができます。旅に出る人の思いが交錯したこの場所では、それぞれの進む道に込められた期待や不安、信仰の心などが自然と感じられるのが魅力です。
また、「日永の追分」には、旅立つ前に手を清めるための手水場が設けられていたことも大きな特徴です。これは、伊勢まで行けない人々に対しても、せめて神宮の水に手を合わせるような心構えを持ってもらおうという信仰的な配慮でした。伊勢に行けずとも、その場所で祈ることで心を通わせることができるという、当時の日本人の信仰のあり方が垣間見えます。
タモリさんも実際にこの交差点を歩きながら、それぞれの道の意味を深く味わい、江戸の旅人たちの選択と背景に思いを寄せていました。単なる分岐点ではなく、人の思いや歴史が何層にも重なる「旅の交差点」であることが、今も変わらず大切に残されています。
鈴鹿の神戸宿で木戸の痕跡をたどる
伊勢神宮から約65km、旅の終盤に訪れたのは鈴鹿市の神戸宿(かんべじゅく)です。ここはかつて東海道の宿場町として栄え、神戸城の城下町を守るための重要な拠点でした。その入口には「見附(みつけ)」と呼ばれる木戸(門)があり、町の出入りを管理し、防犯や防衛の役割を果たしていました。
現在、木戸そのものは残っていませんが、通りの形や地形、石碑の配置などから当時の構造を読み取ることができます。タモリさんは、その痕跡をじっくりと観察しながら、木戸の存在が宿場町にとってどれだけ重要なものだったのかを丁寧に解説していました。
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木戸は直線ではなく道がわざと曲がるように設計されており、敵の侵入を防ぐ工夫がされていた
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木戸のそばには見張り所や番所が置かれ、昼夜を問わず監視が行われていた
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通行人は身分や目的を確認され、無用な者の立ち入りが制限されていた
神戸宿には、こうした防衛の工夫だけでなく、旅人をもてなす宿場町としての一面もあったことが記録からわかっています。江戸から京都、そして伊勢へ向かう道中の要所として、多くの人が行き交い、賑わっていた風景が想像できます。
現在の神戸地区は、住宅地として整備されて静かな町並みが広がっていますが、町の随所には昔の石碑や曲がった道筋、古い建物の一部などが残されており、歴史の香りを今に伝えています。一見すると何の変哲もない町角が、実は数百年前の人々の暮らしや町の仕組みを伝える手がかりになっているのです。
タモリさんは、この神戸宿の木戸跡を歩きながら、江戸の人々がどのように町を守り、旅人を迎え入れていたのかという点に深く触れました。こうした視点で町を見直すことで、何気ない風景の中にも歴史の重みや人々の工夫を感じることができる。そんな学びのあるシーンで旅は締めくくられました。
まとめ
今回のブラタモリ「伊勢神宮への旅・第一夜」では、江戸時代の人々が歩いた伊勢路を、桑名・四日市・鈴鹿という3つの町を通して辿る旅が描かれました。巨大な鳥居、歴史あるグルメ、街道の分岐、宿場町の防衛――それぞれの場所に込められた物語をタモリさんの視点でじっくりと紹介しており、視聴者も旅人になった気持ちで楽しめる内容でした。
次回の放送では、さらに伊勢路を進み、伊勢神宮へと近づく道中が紹介される予定です。続きも見逃せません。
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