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【ブラタモリ】伊勢神宮への旅・第五夜|斎宮跡と夫婦岩の謎を探る(2025年5月10日放送)

バラエティ

伊勢神宮への旅・第五夜

2025年5月10日放送の「ブラタモリ」は、ついにシリーズ完結編。伊勢神宮への旅・第五夜では、古代の神話と信仰、そして地形と文化が交錯する伊勢の地をタモリさんが歩きます。今回の舞台は、神に仕えた皇女・斎王の宮殿跡「斎宮」、自然信仰の象徴「二見浦」、そして参拝の始まりとなる「外宮」。それぞれの地に秘められた歴史をたどることで、伊勢という特別な場所の本質に迫ります。
※放送後、詳しい内容が分かり次第、最新の情報を更新します。

斎王が暮らした「斎宮跡」から始まる神の旅

三重県多気郡明和町にある斎宮跡(さいくうあと)は、かつて伊勢神宮に仕えた特別な存在「斎王(さいおう)」が暮らした地として、今も多くの歴史ファンや観光客を引きつけています。この斎王制度は天武天皇の時代(7世紀後半)に始まり、約660年間続いた国家的な神事制度で、未婚の内親王や女王が選ばれ、伊勢神宮の神に仕えるために京都から伊勢へと旅をするのが特徴です。

選ばれた斎王は、まず京都の初斎院で1年間にわたり厳しい潔斎(けっさい)生活を送り、その後、総勢500人を超える大行列「斎王群行(さいおうぐんこう)」を組んで伊勢に向かいました。旅は20日以上を要し、沿道の村々では大歓迎を受けたと記録されています。

斎王が実際に神に仕える生活を送ったのがこの斎宮で、一つの独立した都のように整えられた宮殿群が存在していたことが、現在の発掘で明らかになっています。調査では以下のような数多くの遺構と遺物が発見されています。

  • 奈良時代から鎌倉時代にかけての掘立柱建物跡

  • 儀式に使われたとされる土器・青磁・白磁などの高級陶器

  • 斎宮で交わされた文書の一部と見られる木簡(もっかん)

  • 当時の女性の暮らしを物語る化粧道具や装飾品

こうした出土品から、斎宮は単なる宗教施設ではなく、政治や文化の中心でもあったことが分かります。中でも、斎王が使用したとされる漆塗りの器や金箔を施した装飾品などは、斎王の高貴な立場と格式ある生活を象徴しています。

現在では、この壮大な歴史を伝えるために整備された施設がいくつかあります。たとえば「斎宮歴史博物館」では、発掘された実物資料や再現模型を通して、当時の斎宮の姿をわかりやすく学ぶことができます。また、隣接する「さいくう平安の杜」では、平安時代の宮殿の一部を復元した建物があり、訪れた人は当時の雰囲気を体感できます。

さらに、この地では毎年秋に「斎王まつり」が開催され、斎王群行を再現した行列が町を練り歩きます。これにより、古代の伊勢神宮と都をつなぐ信仰の旅路が、現代にも受け継がれていることを実感できます。

このように、斎宮跡は、単なる史跡ではなく、神に仕える女性たちの祈りと歴史が今も息づく場所です。伊勢神宮への旅のスタート地点として、深い意味を持つこの地を訪れることは、まさに心を清める時間となるでしょう。

古代と江戸時代、2つの「伊勢路」の違いとは?

伊勢神宮へと続く「伊勢路」は、同じ道でも時代によって大きくその姿を変えてきました。番組では、この道の変遷を古代と江戸時代の視点から紹介し、それぞれの役割や意味を比較しています。

古代の伊勢路は、国家の交通インフラとしての性格が強く、政務を支えるための道でした。おもに「官道(かんどう)」と呼ばれる道が整備され、各地の国府(こくふ)や都との連絡路として利用されました。特に重要だったのが、駅家(うまや)と呼ばれる中継所の存在です。

・駅家はおよそ16kmごとに設置され、馬を交代して効率よく物資や人を運べるよう工夫されていました
・利用するのは、主に公務を行う官人や使者たちで、庶民が自由に使える道ではありませんでした
・道の管理も中央政府の命令で行われ、道幅や標識も厳格に定められていたとされています

一方、江戸時代になると、伊勢路は庶民の信仰の道へと姿を変えていきます。江戸時代には「お伊勢参り」が庶民の間で大流行し、伊勢への旅が人々の憧れとなりました。それに伴って、道中の整備も大きく進みます。

・道の両側には宿場町が作られ、旅人のための宿や茶屋、食事処が立ち並ぶようになりました
施しの文化が生まれ、「柄杓(ひしゃく)を持つことで旅人に食べ物や寝床を与える」という風習が根付きました
・桑名から伊勢にかけての道のりでは、旅そのものを楽しむ文化が形成され、旅人同士の交流も盛んになりました

このように、古代と江戸時代では同じ「伊勢路」でもまったく異なる目的と役割が与えられていたことがわかります。

古代の伊勢路は、あくまで政務と物流のための道であり、限られた人しか通ることができない格式あるルートでした。一方で江戸時代は、信仰と娯楽を兼ねた庶民のための道へと進化し、日本文化の一つの象徴ともなりました。

この違いを知ることで、「伊勢へ向かう道」は単なる参道ではなく、時代の変化を映す鏡のような存在だったことに気づかされます。神への信仰、政治の流れ、人々の暮らし。それぞれの背景がこの道に重なり、私たちが今歩く伊勢路にもその面影が刻まれているのです。

神に出会う前の禊の場「二見浦の夫婦岩」

伊勢への旅の途中、斎宮跡から足をのばして訪れるのが「二見浦」です。この地は、お伊勢参りの前に身を清める「浜参宮」が行われた場所として知られています。二見浦の象徴とも言えるのが、大小2つの岩がしめ縄で結ばれた「夫婦岩」です。古くから夫婦円満や縁結びの象徴として信仰を集め、今も多くの参拝者が訪れます。

この夫婦岩は、男岩(おいわ)と女岩(めいわ)が並び立ち、太いしめ縄で繋がれています。毎年5月と9月には神事によってこのしめ縄が掛け替えられ、神聖な結びの象徴が保たれています。その姿は、荒波の中でも揺るがない夫婦の絆のようで、訪れる人の心に深く刻まれます。

さらに注目すべきなのは、夏至の時期にだけ見られる絶景です。6月頃、朝日が夫婦岩の間から昇る光景は神々しい美しさで、多くの人がその瞬間を一目見ようと集まります。空と海と太陽が一体となるような幻想的な景色は、まさに神の力を感じる時間といえるでしょう。

・夫婦岩の間から昇る朝日は「日の出の聖地」として特に有名
・日出直後、岩と海が黄金に輝く様子は神聖そのもの
・この光景を見ることで、新たな一歩を踏み出す勇気をもらえるという人も多いです

また、夫婦岩のすぐそばには「興玉神社(おきたまじんじゃ)」があります。ここには導きの神として知られる猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)が祀られ、旅の安全を願う人々に親しまれています。境内には数多くのカエルの像があり、「無事カエル」「若ガエル」などの語呂合わせから、交通安全や健康祈願のご利益があるとされています。

・猿田彦大神は、道を開く神として旅人の信仰を集めた
・カエルの石像に触れることで、災いを跳ね返す力が得られると信じられている
・興玉神社の手水舎にもカエルが配され、清らかな水での禊が行える

このように、二見浦はただの観光地ではなく、お伊勢参りの前に心と身体を清める「神に出会う準備の場所」として深い意味を持っています。静かな波の音、昇る朝日、揺れるしめ縄。そのすべてが、訪れる人々に癒しと浄化をもたらし、伊勢神宮へ向かう気持ちを整えてくれるのです。

かつての旅人も、現代の観光客も、ここ二見浦で一度立ち止まり、自分と向き合う時間を過ごしてきました。神に会う前の「はじまりの地」として、今も変わらぬ神聖さが息づいています。

伊勢神宮・外宮に秘められた東向きの謎

伊勢神宮の外宮(げくう)は、食物・穀物を司る神様「豊受大神(とようけのおおかみ)」を祀っている神社です。内宮が天照大神を祀るのに対し、外宮は天照大神に食事を供えるために存在しています。そのため、内宮と並び非常に重要な場所とされています。

一般的に神社は太陽の昇る方向である東や南を避け、南向きに建てられることが多い中で、外宮の正殿は例外的に東を向いています。この珍しい東向きの理由については、古くからさまざまな説が語られてきました。

・一つの有力な説は、天照大神が鎮座する内宮の方向に向いて建てられているという考え方です。つまり、豊受大神は天照大神に食物を供える存在として、内宮に向かって礼を尽くす姿勢を象徴しているともいえます。
・また別の説では、豊受大神はもともと京都府の丹波地方に祀られていた神様とされており、天照大神の神託により伊勢の地へと遷されてきたという言い伝えがあります。この「呼び寄せられた神」としての背景が、外宮の特別な方位設計に影響を与えたと考えられています。

実際の建築様式を見ても、外宮の正殿は東を向いており、その真正面にある鳥居や参道も、朝日を正面に受けるような設計になっています。これは日の出の光を神聖なものとする信仰とも関係があり、太陽神・天照大神への尊敬を表現しているともいえるでしょう。

・外宮の創建はおよそ1500年以上前、雄略天皇の時代にさかのぼります。この時代、天照大神の神託により「食を司る神を呼び寄せる必要がある」とされたことが、豊受大神を丹波から伊勢へと遷すきっかけになったと伝えられています。
・そのため、外宮の創建には政治的・宗教的な背景が深く絡んでおり、ただの付属的な存在ではなく、内宮と並び立つ重要な社と考えられてきました。

現在でも、伊勢神宮を参拝する際には「外宮先祭(げくうせんさい)」という習わしがあり、外宮を先に参拝してから内宮へ向かうのが正式な順序とされています。これは、豊受大神が天照大神の食事を準備する神であることから、先に感謝の意を表すという意味があります。

このように、伊勢神宮・外宮には古代から受け継がれる深い信仰と歴史的背景が込められており、その東向きの配置一つとっても、日本人の宗教観や礼儀作法、自然との調和を重んじる心があらわれています。目には見えにくいですが、その方角に込められた意味を理解することで、参拝の時間がより豊かで意義あるものになります

伊勢路の旅、ついに完結へ

第五夜では、斎王の歴史から始まり、禊の地・二見浦、そして外宮の謎へと続く、伊勢への道のりが描かれます。いずれの場所にも、伊勢信仰と日本人の心が色濃く刻まれており、単なる観光地では語れない深い物語があります。

ブラタモリの旅を通して見えてくるのは、「伊勢とは何か?」という問いに対する、時代と人々の答えの積み重ね。その終着点が、伊勢神宮なのです。次回の放送も見逃せません。

※放送の内容と異なる場合があります。
放送後、詳しい内容が分かり次第、最新の情報を更新します。

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