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NHK【ブラタモリ】青山通りの秘密!赤坂・表参道の名坂と青山家の歴史に迫る|2025年6月21日放送

ブラタモリ

青山通りバスツアー!赤坂〜表参道の魅力を探る旅

2025年6月21日放送のNHK総合「ブラタモリ」では、東京の一等地として知られる赤坂から表参道までを結ぶ“青山通り”にスポットを当て、2階建てバスで巡る特別な旅が紹介されました。タモリさんと佐藤茉那アナウンサーが、都市の歴史や地形、文化が交差するこのエリアを丁寧に歩き、今の青山通りがなぜ「ステキ」なのかを探っていきました。

【ブラタモリ】青山通りの秘密とは?江戸時代の大山街道や大名屋敷の痕跡を発見!|2025年6月14日

表参道の魅力を探る

表参道は明治神宮への参道として知られていますが、ただの宗教的な道ではなく、近代都市の発展を見据えた計画のもとで整備された先進的な都市道路です。番組では、表参道の美しい街並みや、カルチャーの発信地としての側面が紹介されました。

現在の表参道には、世界的に有名なハイブランドの店舗が軒を連ね、ファッションの街としての顔が定着しています。その背景には、かつてこの場所に建てられていた「同潤会青山アパート」の存在がありました。このアパートは大正時代に建てられた集合住宅で、当時としては画期的なモダンな設備を備えた建物でした。耐震性の高い鉄筋コンクリート造で、トイレや台所などが個別に整備されていたことが当時としては非常に珍しく、最先端の暮らしを象徴していたといわれています。

この同潤会アパートの跡地には、現在の「表参道ヒルズ」が建てられました。表参道ヒルズは、建物の高さや外観が周囲と調和するようにデザインされ、街の景観を守りつつ再開発された成功例としても有名です。

表参道は単におしゃれな街というだけではなく、新しい文化や価値観が生まれる場所でもありました。番組では、写真家の浅井慎平さんのマネージャーが、かつてタモリさんの仕事の世話をしていたことにも触れられていました。これは、表参道が新しい出会いやつながりを生み出してきた場所でもあることを示しています。

このエリアがどのようにして東京を代表するファッションストリートとなっていったのかは、以下のようなポイントで説明されていました。

・明治神宮への参道として計画的に整備された広い道路
・表参道に面した歴史的建築(同潤会アパート)を活かした都市再生
・海外文化の流入とともに形成された洗練された街並み
・若者や芸術家が集まりやすい立地と文化的土壌
・大通りに面したビルのファサードがデザイン性に優れている点

これらの要素が重なり、表参道は自然と「新しいカルチャーが育つ場所」へと変化していきました。また、道沿いに広がる並木道や、歩行者のための整備された歩道も快適で安全な街歩きを可能にしており、観光客だけでなく地元の人々からも親しまれています。

このように、表参道は歴史的背景と都市計画、そして文化の融合によって形づくられており、ただ通るだけでなく、過ごす価値のある道としての魅力が詰まった場所であることがよく伝わる内容となっていました。

江戸時代から続く歴史と坂の物語

青山通りは、江戸時代に整備された大山街道にルーツを持つ道で、古くから人々の生活や文化を支えてきました。この街道は、現在の神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社への参詣道として知られ、多くの人々が通った重要なルートでした。そのため、道幅は広めに取られ、傾斜もなだらかで、徒歩での移動がしやすい設計になっていたのが特徴です。

一方、青山通りと並行するように走る六本木通りは、1964年の東京オリンピックに向けて新たに整備された道路です。この道は、現代の車社会に合わせて計画されたため、地形の起伏をあまり考慮せずに敷かれました。結果として、六本木通りには上り下りのある区間が多く、歩行者にとってはやや負担の大きい道となっています。

番組ではこの違いを分かりやすく伝えるために、2つの通りを比較しながら紹介していました。青山学院大学の敷地の下を貫く青山トンネルの存在や、かつての地名「霞町」なども登場し、都市がどのように変化してきたかが丁寧に描かれていました。

また、道中で紹介されたのが、江戸時代に史上最強と称された力士・雷電為右衛門の墓がある寺です。力士として圧倒的な強さを誇った雷電の存在は、この地域に根付く歴史の重厚さを象徴しています。大相撲の歴史に名を刻む人物の墓が住宅地の中に静かにたたずんでいる様子からは、現代の東京にも江戸の面影がしっかりと残されていることが伝わってきました。

坂道にまつわる地名も、当時の生活を知るうえで貴重な情報です。「三分坂」は、傾斜が急なため、荷車を引く人たちが余計な労力をかけていた坂です。そのため、運搬費として「銀三分(さんぶ)」を上乗せする必要があり、それがそのまま坂の名前になったといわれています。

地名のルーツと青山家の歴史に触れる

番組では、青山通りの「青山」という地名の由来についても深く掘り下げられました。この地域名のもとになったのが青山家であり、その歴史は江戸時代の初期にまでさかのぼります。登場したのは、現在の当主である青山家第27代・青山忠靖さん。彼の話から、この一帯が青山家の拝領地だったことが明かされました。

青山家は、徳川家康に仕えていた武家で、家康からこの土地を与えられたことが地名の起源です。当時、青山家はこの地に広大な大名屋敷を構えており、周囲には長屋門や庭園など、格式ある建築群が広がっていたとされます。現在はその屋敷の痕跡は残されていませんが、地名だけがその歴史を今に伝えています。

青山家の由緒ある背景から、この地域一帯が「青山」と呼ばれるようになり、現代でも地名として残っているのです。現在の青山通り沿いにはオフィスビルやブランドショップが建ち並んでいますが、かつては武家屋敷が軒を連ねる静かな武家地だったという事実は、東京の表と裏の歴史の奥深さを物語っています。

番組ではこの後、タモリさんと佐藤アナが青山霊園へと足を運びました。ここは明治時代に開設された東京で最も歴史のある公営霊園の一つで、多くの著名人が眠る場所でもあります。青山家の墓所があるのはもちろん、明治神宮や国立競技場、赤坂御用地とも近接しており、東京という都市の歴史と皇室・文化施設との関係が密接に絡み合っていることがわかります。

以下のような要素からも、この地域の歴史的価値が浮かび上がります。

・青山家は徳川家康からこの土地を賜った譜代の大名家
・江戸時代には大名屋敷が立ち並び、武家の町として栄えた
・地名「青山」は青山家の名から取られ、今も使われている
・青山霊園には多くの歴史的人物が埋葬されている
・周囲には明治神宮や赤坂御用地など国家的施設が点在

青山という街は、ただのファッションやグルメの街ではなく、日本の歴史を背負う場所でもあることが、今回の旅を通じて明らかになりました。現代の都市空間の中に、かつての武士たちの足音や、明治以降の近代日本の息吹が感じられる場所として、青山は今なお多くの人を引きつけています。

外苑のイチョウ並木から表参道へ

旅の終盤、タモリさんと佐藤アナは再び2階建てバスに乗り込み、明治神宮外苑の名所であるイチョウ並木を通過しました。この並木道は四季折々に表情を変え、特に秋には黄金色に染まる美しさで知られています。整然と並んだイチョウの木々は、訪れる人々に落ち着いた雰囲気と都会の中の自然の豊かさを感じさせ、東京を代表する景観のひとつとなっています。

この外苑を抜けた先には、表参道というもうひとつの象徴的な通りが広がっています。バスはそのまま青山通りと連続する形で表参道へと進み、街の風景は一気に華やかさを増していきました。通りには高級ブランドショップやカフェが並び、道ゆく人々の服装や表情にも、洗練された雰囲気が漂っています。

その華やかさの原点ともいえるのが、かつて表参道沿いに建てられていた「同潤会青山アパート」です。この建物は、関東大震災の復興事業の一環として大正時代に建設され、当時としては非常に珍しい鉄筋コンクリート造の集合住宅でした。住戸には水洗トイレやキッチンが備わり、モダンな暮らしの象徴ともいえる存在でした。現在ではその跡地に「表参道ヒルズ」が建てられ、当時の街並みの雰囲気を残しながらも、現代的な商業施設として生まれ変わっています。

表参道の整備には、単なる参道という役割以上に、将来の都市発展を見据えた未来志向の都市計画がありました。戦後の車社会の到来を見越して、道幅や街路樹の配置、建物の高さ制限までが丁寧に設計されていたのです。このような設計思想が、今の美しい街並みと機能性の両立につながっています。

また、番組では文化人浅井慎平さんの名前も紹介されました。浅井さんのマネージャーが、若かりし頃のタモリさんの仕事を手伝っていたという縁も語られ、芸術と芸能の交流がこの地で自然に育まれていたことがうかがえました。

・イチョウ並木は明治神宮外苑の名所で、秋には黄金色に染まる絶景
・表参道は青山通りとつながり、街の印象がより洗練されたものに変化
・同潤会青山アパートは当時最先端の都市型集合住宅
・現在の表参道ヒルズはその跡地に建てられた複合施設
・表参道は将来を見据えた都市計画で整備された広い通り
・文化人との縁やカルチャーの発信地としての性格も濃いエリア

タモリさんが口にした「新しい文化が生まれるのが原宿だった」という言葉の通り、この一帯は古くから若者文化や流行が育つ場所として機能してきました。表参道はファッションの通りであるだけでなく、都市の思想や歴史が込められた文化の舞台であることが、今回の旅であらためて浮き彫りになりました。

おわりに

今回の「ブラタモリ」では、青山通りという東京の中心にありながら、古い歴史と新しい文化が交差する街の魅力が丁寧に紹介されました。江戸時代の街道から、戦後の都市計画、現代のカルチャーシーンまで、一本の通りから日本の歴史や社会の変化が浮かび上がるような内容でした。青山通りが“ステキな道”と呼ばれる理由を、歴史・地形・人々の営みの中から見つけていく、見応えのある回でした。

コメント

  1. ブラヤモリ より:

    青山幸宜は丹波篠山藩の人物ではなく、分家の郡上藩ですね。

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