渋谷から大山を目指す旅のスタート

今回のブラタモリでは、東京都渋谷区にある宮益坂から旅が始まりました。宮益坂は、江戸時代の人たちが大山へ向かうために通った「大山街道」のスタート地点のひとつです。案内役は深澤太郎さん。タモリさんと佐藤茉那アナウンサーと一緒に、江戸時代の人々が歩いたルートをたどる旅が始まりました。
大山街道は、今でも道路や町並みに当時の面影が残っています。この道は、江戸時代に大山詣りに向かう多くの人が歩いた重要な道でした。目的地は神奈川県伊勢原市にある大山。大山は標高1252メートルで、古くから「雨降山」とも呼ばれ、信仰の山として親しまれています。
タモリさんたちは、まず旅の無事を願うために宮益坂近くの神社を訪れました。この神社は、当時の旅人たちが道中の安全を祈願した場所として知られています。江戸の町から出発する際、多くの人がこの場所で手を合わせていたといわれています。
今回の旅のポイントは以下の通りです。
・出発地は東京都渋谷区の宮益坂
・案内人は歴史に詳しい深澤太郎さん
・大山街道は江戸時代、多くの江戸っ子が大山詣りのために歩いた道
・目的地は神奈川県伊勢原市の大山(雨降山)
・出発前に神社で旅の安全を祈願
こうして、渋谷から始まる江戸の歴史を感じる旅が、タモリさんたちによって丁寧に紹介されていきました。大山詣りは、単なる山登りではなく、道中の準備や祈願も大切な行事だったことがよくわかります。今回の放送では、当時の雰囲気を今の風景と重ね合わせながら、大山街道の魅力が詳しく伝えられました。
渋谷から見える大山と江戸っ子の想い
タモリさんたちは、東京・渋谷エリアで一番高いビルの最上階に向かいました。そこから見えるのが、神奈川県にそびえる大山です。渋谷から大山までは直線距離でおよそ65キロメートルあります。遠くに見えるその山を見ながら、江戸時代の人たちがどんな気持ちで旅に出たのかを感じることができました。
大山は、標高1252メートルの山で、別名「雨降山」とも呼ばれています。古くから山岳信仰の対象として有名で、多くの人が参拝に訪れていました。江戸時代、箱根の関所を通らずに行ける場所として大山詣りは特に人気があったそうです。関所を避けられるため、身分や通行手形に縛られず、比較的自由に旅ができたのです。
渋谷から大山までの道のりは決して近くはありませんが、当時の人たちはそれを苦にせず、楽しみながら旅をしていました。特に江戸っ子たちの間では、大山詣りに行くことが「粋」で「いなせ」な行動とされていました。旅そのものが娯楽だった時代、遠くの山を眺めながら、「いつかあそこへ行くんだ」という思いをふくらませていたことでしょう。
・大山は渋谷から約65キロメートルの場所に位置
・標高は1252メートルで「雨降山」とも呼ばれる
・箱根の関所を通らずに行けるため庶民の間で人気
・江戸時代、大山詣りは気軽な参拝旅行として広まった
・江戸っ子たちは大山詣りを「粋でいなせ」な楽しみと考えていた
今回のブラタモリでは、現代の高層ビルから見える大山を眺めることで、当時の人たちの思いや旅への期待感を、より具体的に感じ取ることができました。江戸の人々にとって、大山はただの山ではなく、遠くに見える「憧れの場所」だったのです。
道玄坂から続く江戸時代の大山詣りの道

タモリさんたちは、渋谷から2階建てバスに乗り、大山を目指して出発しました。最初に立ちはだかるのが、道玄坂です。道玄坂は渋谷の有名な坂道ですが、江戸時代から続く歴史ある場所で、当時の人々にとっても旅の最初の難所だったと伝えられています。現代では賑やかな街の一角ですが、江戸時代には坂を上るのもひと苦労だったことでしょう。
道玄坂を越えたあとは、三軒茶屋へ向かいます。三軒茶屋という地名は、江戸時代に三軒の茶屋があったことが由来です。大山詣りの道中、旅人たちはここで休憩をとっていたそうです。
さらに一行は、多摩川へと向かいました。タモリさんたちが訪れたのは、かつての二子の渡し跡です。江戸時代、多摩川には橋がなく、旅人たちは船を使って川を渡っていました。今は整備されていますが、昔の人たちは川を越えるたびに、天候や水の流れに左右される大変な思いをしていたのです。
多摩川を渡ると、目的地の大山まではおよそ50キロメートルの距離が残っています。江戸時代の人々は、急ぐことなく途中の宿場で一泊し、のんびりと旅を楽しみながら大山を目指していました。
・道玄坂は江戸時代から続く難所の坂道
・三軒茶屋は旅人の休憩スポットだった
・多摩川は当時、船で渡る必要があった
・「二子の渡し跡」は歴史ある川渡りの名残
・大山まで残り50キロ、宿場で一泊しながらのんびり旅
今回のブラタモリでは、現代の街並みを歩きながらも、江戸時代の旅人の苦労や楽しみがよく伝わってきました。大山詣りは、道中そのものが旅の大きな楽しみであり、江戸っ子たちの粋な文化の一部だったことがわかります。
伊勢原市で分かる大山詣りの人気の理由
タモリさんたちは、いよいよ神奈川県伊勢原市に到着しました。ここからが本格的な大山詣りの舞台です。現地で合流したのは歴史案内人の目黒久仁彦さんです。大山詣りが江戸時代にどうしてこれほど流行したのかを、目黒さんが詳しく説明してくれました。
大山のふもとには、江戸時代から多くの宿坊が立ち並んでいました。宿坊とは、参拝客が宿泊できる施設のことで、山登りの前に体を休める場所として利用されていました。この宿坊を営んでいたのが御師(おし)と呼ばれる人たちです。
御師の役目は、宿泊の手配や食事の提供だけではありませんでした。彼らは江戸の町まで積極的に出向き、大山詣りの魅力を宣伝していたのです。町で宣伝を聞いた江戸っ子たちは、「それなら一度行ってみよう」という気持ちになり、やがて大山詣りが江戸の庶民の間で大流行したのです。
大山詣りは単なる参拝ではなく、旅の楽しみや仲間との絆を深める行事として広まりました。当時は、粋でいなせな参拝として認識され、江戸っ子の間では大山詣りに行くことが一種のステータスにもなっていたそうです。
時代が明治に変わると、政府の政策により御師の制度は廃止されてしまいました。しかし、大山詣りの文化は途絶えず、御師たちは先導師と名前を変えて、今も参拝客を案内し、おもてなしの文化を守り続けています。
・大山ふもとの宿坊は江戸時代から続く伝統
・御師は参拝客の世話と同時に江戸での宣伝役も担った
・江戸っ子たちの間で大山詣りは粋でいなせな行動とされた
・明治時代に御師は廃止されるが、先導師として文化が受け継がれた
今回のブラタモリでは、大山詣りがただの山登りや信仰だけでなく、江戸の文化や人々の暮らしに深く根付いていたことがよく分かりました。大山詣りの人気の背景には、御師たちの工夫や努力が大きく関わっていたのです。
江戸時代から続く宿坊の町と大山豆腐

タモリさんたちは、大山のふもとに広がる宿坊の町を訪れました。この町は、江戸時代から大山詣りの参拝客を迎えてきた歴史ある場所です。江戸時代には約160軒もの宿坊が軒を連ね、にぎわいを見せていました。現在もその伝統は残り、約40軒の宿坊が今も営業を続けています。
タモリさんたちが訪れたのは、江戸っ子たちも実際に利用していた宿坊です。案内してくれたのは先導師の佐藤大住さん。先導師は、江戸時代の御師の役割を受け継ぎ、参拝客を案内し、宿泊や祈願の世話をする存在です。
宿坊の建物の壁には「板まねき」と呼ばれる木の札がいくつも貼られていました。板まねきには、宿泊する講(グループ)の名前や所属する人々の名前が書かれています。これは、どのグループがいつ宿泊したかを記録する伝統的な方法です。
大山詣りは、山登りだけでなく、宿坊での夜の宴会も大きな楽しみのひとつでした。大勢で集まり、食事やお酒を楽しみながら親睦を深める時間は、江戸っ子たちの大切な思い出になっていたそうです。
宿坊でタモリさんたちが味わったのは、大山名物の「大山豆腐」です。この豆腐には意外な秘密があります。実は、大山周辺では大豆が作られていません。大山詣りに来た人たちが、奉納用として自分たちで大豆を持参し、それを使って豆腐が作られていたのです。
さらに、当時は宿泊費の代わりに大豆を渡す人も多く、宿坊と参拝客の間には物々交換のような文化もあったといいます。この大山豆腐は、そんな歴史を背景に生まれた伝統の味なのです。
・江戸時代には160軒ほどの宿坊が存在
・現在も約40軒が営業を続ける宿坊の町
・先導師・佐藤大住さんが宿坊を案内
・板まねきで宿泊者の情報を記録する伝統
・夜の宴会が大山詣りの大きな楽しみ
・大山豆腐は参拝客が持参した大豆で作られる特別な料理
・宿泊代わりに大豆を渡す風習もあった
今回のブラタモリを通じて、大山詣りがただの山登りではなく、宿坊文化や食文化と深く結びついていたことがよくわかりました。江戸時代の人たちが楽しみにしていた宿坊でのひとときを、現代でも感じることができる場所が大山のふもとには残っているのです。
行衣に着替えてお祓い
宿坊でにぎやかな夜を過ごした翌朝、いよいよ大山詣り本番の時間です。江戸時代の参拝客たちも、出発前には必ず宿坊の神殿でお祓いを受けていました。お祓いは旅の安全と無事を願う大切な儀式で、昔から欠かせないものとされてきました。
お祓いを行うのは、宿坊を運営する先導師の役目です。先導師は、江戸時代の「御師」と呼ばれていた人たちの伝統を今も受け継いでいます。参拝客の世話や案内をしながら、儀式も執り行ってくれる存在です。
タモリさんたちも江戸時代の雰囲気を体験するため、白い行衣(ぎょうい)に着替えました。行衣は、参拝や修行のときに着る伝統的な装束で、旅の気持ちを引き締めるための大切な衣装です。
白装束に身を包んだタモリさんたちは、宿坊の神殿に移動し、先導師から正式なお祓いを受けました。これで、大山詣りの準備が整ったことになります。
大山詣りは、単なる山登りや参拝だけではなく、宿坊での交流、伝統料理、儀式をすべて含めて楽しむ江戸の文化でした。宿坊での宴会、大山豆腐、仲間との語らい、そして出発前のお祓いまで、一つ一つが旅の大切な思い出となっていったのです。
まとめ
今回のブラタモリでは、タモリさんたちが実際に体験することで、昔の大山詣りの魅力と歴史がわかりやすく紹介されました。現代でも、江戸の文化や習わしがそのまま残っている場所があることが、改めて伝わる内容でした。大山詣りは今も、多くの人に愛される伝統の旅として続いています。
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