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NHK【ブラタモリ】渋谷から大山阿夫利神社へ!参詣ブームと宿坊文化の魅力とは|2025年6月28日

ブラタモリ

江戸っ子が夢中になった“大山詣り”の魅力に迫る!渋谷から始まる参詣旅の歴史と今

2025年6月28日放送予定のNHK「ブラタモリ」では、江戸の人々がこぞって訪れた信仰と旅の地・神奈川県伊勢原市の「大山阿夫利神社」が舞台です。番組では、渋谷から始まる大山街道の道のりをたどりながら、江戸時代に大ブームとなった“大山詣り”の魅力を紹介。現代の都市風景と重なる歴史、宿坊文化、名物グルメまでが描かれる注目の回です。放送後、詳しい内容が分かり次第、最新情報を追加予定です。

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渋谷から始まる“江戸の旅”を再発見

今回の旅の出発点となるのは、東京都渋谷区です。今では高層ビルやショッピング施設が立ち並ぶ渋谷ですが、江戸時代には大山街道の要所として重要な役割を果たしていました。この街から多くの人が、信仰と娯楽をかねた「大山詣り」へと出発していたのです。特に渋谷川は、江戸の市街地と郊外を分ける境界線とされ、ここを越えることが「旅の始まり」の象徴でもありました。

当時の渋谷は、谷地形に沿って道が伸びており、今もその名残を感じることができます。たとえば以下のような場所には、古道の記憶が息づいています。

  • 道玄坂…急勾配の坂道で、江戸の旅人たちが実際に通ったルート。今も当時の地形が残っています。

  • 宮益坂…道玄坂と並ぶ渋谷の主要な坂で、かつての往来のにぎわいを偲ばせる道です。

  • 渋谷川沿いの細道…近年は整備されていますが、江戸時代は川の流れとともに人の流れが生まれていました。

こうした坂や川の存在が、渋谷という土地に「出発地」としての役割を与えていたのです。

旅は渋谷から始まり、三軒茶屋、二子玉川、溝口、厚木を経由して大山阿夫利神社へと向かいます。このルートは現在の国道246号線とほぼ一致しており、江戸と現代が重なる道でもあります。

番組ではこの歴史ある道を、2階建てバスでたどる予定です。高い目線から現代の都市風景と、かつての旅路に思いを重ねながら進む構成となると見られています。途中の各所で、かつての道標や宿場跡、信仰にまつわる史跡などが紹介される可能性が高く、視聴者はまるで江戸時代の旅人になったような気持ちで、信仰の道を追体験することができそうです

渋谷のように現代の顔を持つ街でも、地形や地名、道のつながりから過去の記憶を読み取ることができます。何気なく通る坂道や川辺に、旅の起点としての歴史が刻まれていることを感じさせてくれる場面が、今回の放送で紹介されるでしょう。

道玄坂や二子玉川の“江戸の名残”に注目

現在の渋谷においても、江戸時代の旅の雰囲気を感じられる場所のひとつが道玄坂です。この坂の名前は、鎌倉時代の武士「大和田道玄」に由来すると言われており、坂の上には「道玄坂道供養碑」という石碑が今も残されています。これは、かつてこの坂を行き交った人々の安全や供養を願って建立されたものであり、江戸の信仰と交通の交差点だった歴史を今に伝える重要な遺構です。
また、道玄坂は単なる坂道ではなく、谷から坂を上がり外へ出る“街道の出発点”としての意味合いも強く、参詣旅の第一歩として多くの江戸庶民に意識されていたことが想像されます。

そして、さらに西へ進むと到達するのが二子玉川です。ここには江戸時代から「二子の渡し」と呼ばれる渡し船の場がありました。多摩川を渡るこの船着場は、大山街道の中でも川を越える唯一のポイントとして、多くの参詣者に利用されていた場所です。

  • 元禄年間(17世紀末)にはすでに運航が始まっていた

  • 大正14年(1925年)に二子橋が完成するまで、交通手段として現役だった

  • 参詣者や商人が隊列を組んで渡る風景が記録にも残っている

今では橋が架かり現代的な風景に変わりましたが、渡し船の親柱跡や案内板などが今も整備されていて、当時の交通の名残をたどることができます。また、地域によっては期間限定で渡し船を復元し、体験イベントを開催することもあり、地元の人々によって歴史が大切に守られていることもわかります

このように、道玄坂と二子玉川は、ただの通過点ではなく“江戸の旅の痕跡が色濃く残る場所”として、現代でもその価値を知ることができるスポットです。大山詣りという大流行の背景には、こうした歴史的な道筋が大きく関わっていたことが感じ取れます。

江戸っ子に大人気!大山詣りとは?

大山詣りとは、神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社への参拝を目的とした旅で、江戸時代の庶民に広く親しまれた信仰行事です。この神社は、五穀豊穣や水の恵みにご利益があるとされ、農民はもちろん、町人や職人たちも強い信仰心を抱いていました。特に水源の神として知られるため、江戸の生活に欠かせない「水」への感謝と願いが込められていたのです。

この参詣旅は、個人で行くのではなく、「講(こう)」と呼ばれる地域や職場単位のグループで行動するのが一般的でした。講のメンバーは事前に費用を積み立て、参詣の日程が決まると、宿の手配や食事、道中の準備を協力して進めました。地域の団結力を高める機会でもあり、単なる信仰行事を超えた社会的なイベントだったともいえます。

道中では、特に**“木太刀”と呼ばれる大きな木製の太刀を担いで歩く文化**が目立ちました。これは奉納の意味があると同時に、他の講と見栄を競い合う「粋」の象徴でもありました。木太刀は装飾が施され、長さが3〜4メートルにもなる立派なものを持ち歩く講もあったほどです。これらは浮世絵や落語にも登場し、当時の大山詣りがいかに社会的に浸透していたかがわかります。

また、参拝だけでなく、宿坊での宴会や湯治、豆腐料理などを楽しむことも目的のひとつでした。道中の食事、温泉、買い物など、信仰と娯楽を同時に楽しめる庶民の旅だったのです。

記録によると、江戸の人口が約100万人だった時代に、年間20万人もの参詣者が大山を訪れていたとされており、まさに“江戸っ子の憧れ”ともいえる旅先でした。このような背景から、大山詣りは単なる宗教行事にとどまらず、江戸の旅文化や人々の価値観を色濃く映し出す象徴的な行動となっています。

タモリさんも感動!大山の宿坊文化

大山阿夫利神社のある伊勢原市大山の山麓には、江戸時代から続く宿坊が今も数多く残されており、現代でも参拝者を温かく迎えています。宿坊とは、神社や寺への参拝者が泊まるための宿泊施設で、信仰と生活が一体化した場所です。一般の旅籠とは異なり、宿坊には神社の分霊を祀る「お社」や神棚が備えられており、泊まること自体がひとつの参拝行為ともなります。

こうした宿坊には、かつて「御師(おんし)」と呼ばれる人々が常駐し、参拝の案内・祈祷・食事の用意などを一手に担っていました。御師は単なる宿の主人ではなく、参詣の手配を行う“信仰の案内人”であり、講(参詣グループ)にとって欠かせない存在でした。

  • 江戸時代には、各宿坊に担当する講があり、常連の講が定期的に宿泊していた

  • 御師は、講元(こうもと)に代わって参拝儀式を執り行うこともあった

  • 宿坊の多くは、安政・嘉永年間の建築が今も残っており、木造建築の風情が色濃く残る

明治時代になると、御師は「先導師(せんどうし)」と呼び名を改め、制度として整理されました。しかし、その役割と精神は現代まで受け継がれており、現在でも一部の宿坊では先導師による祈祷や神前案内、精進料理の提供などが行われています

今回のブラタモリでは、タモリさんが実際にこうした宿坊を訪ね、江戸の構造がそのまま残る建築や、現在も続く伝統的なもてなしの文化に触れる場面が登場する予定です。番組内では、古い板まねき(宿の看板)や玉垣、宿の帳場など、江戸の旅人たちが実際に見ていた景色をそのまま体験できるはずです。

参道沿いには今も40軒以上の宿坊が点在し、信仰だけでなく、豆腐料理や山の恵みを活かした食事を提供するなど、観光客にも人気の文化拠点として生き続けています。このように、大山の宿坊は信仰・建築・食・交流がひとつにまとまった、江戸から続く貴重な文化遺産といえます。タモリさんがその場で感じる驚きや感動は、視聴者にも静かに伝わることでしょう。

ブームを生んだ人物とは?

江戸時代、大山詣りを一大ブームに押し上げた立役者は、「御師(おんし)」と呼ばれる人々でした。御師は大山の山麓に宿坊を構え、参拝者の案内や祈祷だけでなく、宿泊、食事、土産、道中の安全祈願に至るまで、すべてを手配する存在でした。今でいえば、地域に根ざした旅行ガイドとツアーコンダクターを兼ねたような役割です。

御師たちは、信仰の普及のために自ら各地を巡り、「講」と呼ばれる地域の集団に声をかけ、団体参詣の計画を立てるところから始めていました。講のメンバーたちは御師を通じて大山とつながり、毎年決まった宿坊に泊まる“行きつけ”の習慣が生まれ、宿と講の間には深い信頼関係が築かれていきました。

  • 各講には、専属の御師がついていた

  • 宿坊には講名を記した「板まねき」や「玉垣」が今も残されている

  • 御師は祈祷や神楽の手配もこなし、信仰と運営の要だった

さらに明治時代になると、政府の宗教制度改革の流れを受け、阿夫利神社の神主として任命された儒学者・権田直之が御師制度を再編します。彼は、御師を「**先導師(せんどうし)」と改め、より制度的に整理された形で信仰の継続を図りました。

  • 権田直之は1873年(明治6年)に大山阿夫利神社の社司に就任

  • 御師の世襲制や宿坊の登録制度を整理し、信仰の近代化を進めた

  • 彼の改革により、大山詣りは民間信仰から地域文化資産へと定着

このように、大山詣りの発展には、江戸の御師たちによる地道な活動と、明治以降の宗教行政に精通した人物による制度整備が両輪となって支えてきた歴史があります。旅としての楽しさと、信仰としての真剣さ。その両方をつなぎ合わせてきた人々の働きが、今なお続く大山詣りの文化を支えているのです。

旅の締めくくりは“名物・大山豆腐”

大山詣りの旅の終わりを飾るのは、名物・大山豆腐です。この豆腐は、江戸時代から地域の信仰とともに発展してきた特別な食文化として、多くの参詣者の心と体を癒してきました。清らかな湧水と地元で奉納された大豆を使って作られるため、雑味のないすっきりとした味わいが特徴です。参拝を終えた旅人たちは、湯豆腐や田楽、冷ややっこなどでこの豆腐を味わい、旅の疲れを癒していたと伝えられています。

特に参拝道である「こま参道」では、現在も多くの豆腐料理店が軒を連ね、大山豆腐を中心とした懐石料理や定食が楽しめるようになっています。中には、江戸時代から続く老舗や、宿坊が営む食事処もあり、信仰の地で味わう一品としての魅力が受け継がれています

  • 豆腐は湯豆腐、田楽、揚げ出し、冷ややっこなどさまざまな形で提供

  • 豆腐づくりに使われる湧水は、今も変わらぬ水源から汲まれている

  • 店頭では豆腐のほか、地元食材を使った加工品や甘味も販売されている

さらに、毎年春に開催される「大山とうふまつり」では、直径4mもの巨大な大鍋で湯豆腐がふるまわれる名物行事として知られ、県内外から多くの人々が訪れます。この祭りは、単に名物を味わうだけでなく、豆腐を通じて地域の文化や歴史を感じることができる機会として、長く親しまれています。

今回のブラタモリでは、タモリさんが実際にこの大山豆腐を味わう場面も放送される予定です。食を通じて歴史と信仰を体感する瞬間は、視聴者にも強い印象を与えることになりそうです。

参拝という非日常の旅を終え、最後にいただく温かい豆腐料理には、江戸から続くもてなしの心と大山の恵みが詰まっているのです。“食べることで完結する信仰の旅”を象徴するこの豆腐が、まさに旅の締めくくりにふさわしい存在であることがよくわかります。

※放送の内容と異なる場合があります。


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