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【そこにはいつもキミがいた!】ペンギンから風太君まで日本人と動物の100年史|2025年8月21日放送★

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そこにはいつもキミがいた!日本人と動物たちの100年

ペンギン大国・日本の誕生

日本が「ペンギン大国」と呼ばれていることをご存じでしょうか。現在、世界には全部で18種類のペンギンが生息しています。そのうち、なんと日本では12種類ものペンギンが飼育されており、数にして4500羽以上。これは世界で最も多い数で、日本が名実ともにペンギン大国と呼ばれる理由です。動物園や水族館に行けば、さまざまな種類のペンギンに出会えるのも、この豊かな飼育環境のおかげなのです。

その背景には、戦後の捕鯨船水族館の歴史が深く関わっています。太平洋戦争が終わった直後、日本は深刻な食糧不足に陥りました。その時に人々の命をつないだのが、栄養価の高い鯨肉でした。南氷洋へと出た捕鯨船の乗組員たちが現地で出会ったのがペンギンであり、彼らは数羽を日本に連れ帰りました。こうして運ばれてきたペンギンは全国各地の動物園や水族館に寄贈され、戦争中に多くの動物を失った施設にとって、新たな希望の存在となったのです。

しかし、ここで大きな問題が立ちはだかります。ペンギンたちは本来、乾燥した冷涼な地域で暮らしています。そのため湿度の高い日本では、「アスペルギルス症」と呼ばれるカビによる呼吸器感染症にかかりやすく、命を落とす危険がありました。この病気はペンギンが生息する地域にはほとんど存在せず、日本特有の環境が引き起こした課題だったのです。

そこで日本の獣医たちは知恵を絞りました。試行錯誤の末、当時発売されたばかりの水虫薬に着目し、その薬を蒸気にしてペンギンに吸入させるという斬新な治療法を編み出したのです。結果は見事に成功し、カビの繁殖を抑えることができました。この方法はまさに日本だからこそ生まれた発想であり、多くのペンギンの命を救う画期的な手段となりました。

その努力の積み重ねが、日本のペンギンたちの長寿記録へとつながります。昭和38年に来日した「ぎん吉」は、みんなに愛されながら暮らし、なんと39年9か月15日という世界最長の飼育記録を残しました。ぎん吉の存在は、日本の飼育技術の高さと、動物を思いやる人々の情熱を象徴しています。

動物スターと社会の熱狂

昭和の日本を大いに彩ったのは、人々の心をとらえた動物たちの「スター来日」でした。中でも1972年の出来事は、今でも語り継がれる大ニュースです。パンダのランランカンカンが中国から日本に贈られたのです。これは日中国交正常化を記念する特別な贈り物であり、日本と中国の友好の象徴でもありました。公開初日には、動物園に6万人もの人が押し寄せ、見られる時間はわずか20秒ほど。行列は1km以上にも及び、日本中がパンダに熱狂しました。黒と白の愛らしい姿に、人々は癒やされ、外交面でも国民感情を大きく動かす存在となったのです。

その熱気から10年以上経った1984年、今度はコアラがやって来ました。コアラはオーストラリアにしか生息しない動物で、長い間輸出が禁止されていましたが、なんと半世紀ぶりに解禁され、東京・名古屋・鹿児島の動物園に計6頭が到着しました。このニュースに日本中が沸き、動物園には長蛇の列ができただけでなく、街中でもコアラ人気が爆発しました。「コアラ音頭」やぬいぐるみ、さらにはお菓子までが次々と登場し、人々の生活の中に溶け込みました。当時の経済成長とも重なり、「コアラノミクス」と呼ばれる社会現象にまで発展したのです。

そして驚くべきことに、こうしたブームが去った今も、日本各地で50頭以上のコアラが飼育されています。動物園に足を運べば、ユーカリの葉を食べたり木の上で眠ったりする姿を見ることができ、来園者を癒やし続けています。パンダやコアラがもたらした熱狂は、単なる一時の流行ではなく、日本人にとって動物と共に生きる喜びを強く実感させる出来事だったのです。

一世を風靡した動物たち

昭和から平成にかけての日本は、まさに動物ブームの連続でした。次々と登場するユニークな動物たちが話題をさらい、人々の暮らしや文化に深く入り込んでいきました。

まず有名なのが、エリマキトカゲです。テレビCMに登場すると一気に人気が爆発し、子どもたちの遊びや学校のお遊戯、さらには文楽の舞台にまで登場するほどの社会現象になりました。エリマキを広げて立ち上がる独特の姿は強烈なインパクトを与え、一時期は日本中で名前を知らない人がいないほどでした。

その後、続いて注目を浴びたのが「ウーパールーパー」です。本当の名前はメキシコサラマンダーというサンショウウオの一種ですが、日本独自の呼び名で親しまれました。大きな目とユーモラスな姿で人気を集め、ペットとして一般家庭にも広がりました。40年以上たった今でもペットショップで見かけることができるのは、この時のブームが定着した証といえるでしょう。

さらに1993年には、北海道・知床の海で見られる「流氷の天使・クリオネ」が脚光を浴びました。透明で美しい姿がテレビや雑誌で紹介されると、多くの観光客が北海道を訪れるきっかけとなり、地域観光の追い風となりました。小さな体で優雅に泳ぐクリオネは、自然が生み出した神秘として今でも根強い人気があります。

そして令和の時代に入り、再び注目を集めたのがハシビロコウです。動かない鳥として知られ、まるで置物のような姿がユーモラスですが、2021年に公開されたクラッタリング動画で再び大きな話題になりました。大きなくちばしを打ち鳴らして音を立てる姿は迫力満点で、多くの人がSNSを通じてその魅力を知るきっかけとなりました。

このように、日本では時代ごとに新しい「動物スター」が現れ、そのたびに社会を賑わせてきました。それぞれのブームは一時的なものに見えても、人々の記憶に残り続け、今なお私たちの暮らしに彩りを与えています。

ゾウのはな子と平和の象徴

忘れてはならない存在が、戦後の日本を象徴するゾウのはな子です。昭和24年、敗戦からまだ立ち直れずにいた日本に、タイから贈られた2歳半の幼いゾウでした。その姿は「平和が再び訪れた証」として多くの人々に迎えられ、子どもから大人まで夢中になって見つめました。

しかし、はな子の一生は決して穏やかなものばかりではありませんでした。本来群れで生活するゾウが、長い年月を孤独な環境で過ごさざるを得なかったこと、さらに人との不幸な事故が重なり、次第に「危険なゾウ」と呼ばれるようになってしまったのです。その結果、太い鎖につながれ、ほとんど動けない日々を過ごす時期もありました。

そんな絶望の中で、はな子に再び光を与えたのが飼育係の山川清蔵さんでした。彼は思い切って鎖を外し、時間をかけて信頼を取り戻そうと向き合いました。最初は人間不信から鼻を振り回して威嚇していたはな子も、30年以上寄り添い続けてくれた山川さんの根気強い愛情に応えるようになり、やがてその手を舐めるまでに心を開いたのです。こうした信頼関係の積み重ねが、はな子の心を救いました。

はな子は結果として国内最高齢の69歳まで生きるという記録を残しました。その長寿の裏には、人間との深い関わりと献身的な世話があったのです。そして、その後を引き継いだのが山川さんの息子である宏治さんでした。宏治さんは、はな子の暮らしに少しでも喜びを与えようと、おやつを手渡しするふれあい体験を始めました。かつて「危険」と呼ばれたゾウが、今度は人々に安心と笑顔を与える存在へと変わっていったのです。

こうしてはな子は、日本の動物園の歴史に大きな足跡を残し、「人と動物の関係とは何か」を問いかけ続けた存在になりました。

動物のお引っ越し大作戦

動物園の舞台裏では、普段目にすることのない「引っ越し作戦」が行われています。これがまた想像以上に大仕事で、一つ一つに飼育員たちの工夫と知恵が詰まっているのです。

例えば、昭和34年に行われたキリンの引っ越しは印象的でした。首の長いキリンを移動させるには、普通の動物とはまったく違う工夫が必要です。当時は道路に電線が多く張り巡らされており、そのまま歩かせると首が触れてしまう危険がありました。そこで飼育員たちは竹竿を使って電線を持ち上げ、少しずつ道を切り開くようにして進んだのです。移動距離はわずか1.5kmほどでしたが、5時間もかけて慎重に運搬しました。キリンにできるだけ負担をかけないようにという配慮が伝わってきます。

一方、昭和62年には愛媛県の道後動物園からとべ動物園への大規模な引っ越しが行われました。このときは112種類・520匹という膨大な数の動物たちを、わずか3日間で移動させなければならなかったのです。動物たちは事情を理解できないため、飼育員たちは四苦八苦しながらも安全第一で対応しました。例えば、好物のカステラでクマを誘導したり、骨折しやすいフラミンゴの細い脚をストッキングで優しく保護するなど、知恵と工夫が光りました。さらに8m以上も跳びはねるカンガルーには複数人がかりで対応し、やっとの思いで確保することができました。

このように動物の引っ越しには、種ごとの特徴を理解した特別な方法が欠かせません。飼育員たちの努力と細やかな配慮によって、動物たちは無事に新しい環境へと送り届けられ、今ものびのびと暮らしているのです。

レッサーパンダ・風太くんの奇跡

2005年に一躍スターとなったのが、レッサーパンダの風太くんです。直立した愛らしい姿で注目を集め、「立ち姿のレッサーパンダ」として全国ニュースにも取り上げられました。動物園には長蛇の列ができ、ピーク時には年間80万人もの来園者が足を運ぶほどの社会現象となったのです。子どもから大人まで、風太くんに会うために遠方から訪れる人も多く、日本中にレッサーパンダブームを巻き起こしました。

あれから20年近くが経ち、風太くんは22歳という高齢を迎えました。これは人間に例えると100歳前後にあたり、現在国内で飼育されているレッサーパンダの中でも最高齢です。さすがに以前のように立ち上がる姿は見られなくなりましたが、食欲は旺盛で、毎日元気に暮らしているといいます。

さらに風太くんは、繁殖面でも大きな功績を残しました。これまでに生まれた子や孫は6世代81頭にまで広がり、その血統は全国各地の動物園に受け継がれています。なかには南米チリに渡った個体もおり、現地で初めてのレッサーパンダとして飼育されるなど、風太ファミリーは世界へと羽ばたいているのです。

また、長年の人気を支えるのはファンの存在です。近年は高齢になった風太くんを守るため、飼育環境の改善を目的にクラウドファンディングが行われました。集まった約2400万円で冷風機やミストが設置され、暑さに弱いレッサーパンダが少しでも快適に過ごせるよう工夫されています。こうした取り組みからも、風太くんが今なお多くの人々に深く愛されていることが伝わってきます。

動物たちが教えてくれること

番組では、人間は動物から多くを与えられて生きているという言葉が印象的に語られました。ペンギン、パンダ、コアラ、ゾウ、そして風太くん。動物たちとの出会いは単なる癒やしだけでなく、社会や文化を動かし、人々の記憶に刻まれてきました。これからも絶滅させず共に歩むことが、私たちの大きな使命だと感じられる内容でした。


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