レモンがつないだ愛と芸術の記憶|高村光太郎のレモンコーヒー
「香りで思い出す味、味でよみがえる記憶」。そんな経験をしたことはありませんか?ある香りを感じた瞬間に、遠い記憶がふっとよみがえる――それは私たちの五感が、心の奥に眠る記憶を呼び覚ますからです。
詩人であり彫刻家でもあった高村光太郎にとって、その記憶を呼び起こす香りが“レモン”でした。
NHK『グレーテルのかまど』で取り上げられたのは、光太郎がパリ留学時代に味わったとされる「レモンコーヒー」。この一杯は、彼の芸術の原点となり、やがて最愛の妻智恵子との永遠の記憶を結ぶ象徴にもなっていきます。
この記事では、番組で描かれた「レモンと芸術と愛の物語」を丁寧にたどりながら、詩人が最後まで抱き続けた“香りの記憶”の意味を探ります。
読んだあとには、あなたもきっと、レモンの香りが持つ力に心を奪われるはずです。
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パリで出会った一杯の『レモンコーヒー』
20世紀初頭、若き高村光太郎は、彫刻家としての理想を求め、フランス・パリへと渡りました。
そこで出会ったのが、芸術の都に息づくカフェ文化。彼が足しげく通ったという「CAFÉ AMERICAIN」で、香り高いコーヒーとともに彼の感性を刺激したのが“CITRON(シトロン)”、つまりレモンの香りでした。
エッセイ『珈琲店より』の中で光太郎はこう記しています。
「好きなCAFÉ AMERICAINのCITRONの香ひを賞しながら室を見廻した」
この一文が、のちに「レモン入りコーヒー」として語られる“レモンコーヒー”の原点です。
当時のパリでは、アメリカンコーヒーにレモンの皮を浮かべて香りを添えるスタイルが流行していました。
焙煎豆の苦味と、レモンの清涼感が絶妙に溶け合い、目の覚めるような一杯。
若き詩人にとってその味は、異国での孤独や芸術への情熱を象徴する、忘れがたい記憶として刻まれたのです。
パリの街角で、カフェの窓から差し込む光とともに漂うレモンの香り――
それは、のちに光太郎の詩と彫刻に息づく“感性の原風景”となりました。
智恵子の思い出と、レモンの記憶
年月を経て帰国した光太郎は、画家として活動していた智恵子と出会い、深い愛に包まれた日々を過ごします。
しかしその幸福は長く続かず、智恵子は病を患い、やがて心の世界に閉じこもっていきました。
そんな彼女の最期を彩ったのが、一つの“レモン”です。
詩『レモン哀歌』に描かれたあの場面――
「わたしの手からとった一つのレモンを/あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ」
この一節には、光太郎が最後まで彼女と“現実の世界”をつなぎとめようとする切実な思いが込められています。
レモンの香りが智恵子の意識を一瞬取り戻し、瞳に光が戻る。
「トパアズいろの香気」「あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ」――
詩の中に描かれたこの描写は、酸味とともに心を洗うような感覚を伝え、見る者の胸を締めつけます。
実際の出来事としても、光太郎はサンキストのレモンを智恵子の枕元に差し出したと伝えられています。
そのわずか数時間後、智恵子は静かに息を引き取りました。
光太郎にとってレモンは、彼女の“最後の生命の輝き”を象徴する果実でした。
以来、彼は智恵子の命日である10月5日に毎年レモンを供え続け、「レモンの日」としてその日を胸に刻みました。
レモンは二人を結ぶ絆であり、愛の象徴となったのです。
レモンとともに味わうクレープの甘さ
番組『グレーテルのかまど』では、この“レモンの記憶”を、味覚で表現するスイーツとして再現しました。
それが、レモン風味のクレープとレモンコーヒー。
薄く焼かれたクレープは、ふんわりと香るバターと砂糖の優しい甘さの中に、レモンの皮の香りと果汁の酸味がほのかに漂います。
生地に混ぜ込まれたレモンの皮は、焼くことでほろ苦さをまとい、香ばしさと酸味が絶妙なバランスを生み出します。
レモンの酸味は、ただ酸っぱいだけではありません。甘さを引き立て、記憶を呼び覚ます力があります。
口に含んだ瞬間、爽やかな香りが鼻に抜け、優しい甘みがあとを追う――その対比が、まるで光太郎と智恵子の人生そのもの。
番組では、ヘンゼル(瀬戸康史)がこのスイーツを作りながら、光太郎の心に重ねるように語りました。
酸味と甘み、芸術と愛、出会いと別れ――それらがひとつの皿の上で静かに共鳴するのです。
クレープのやわらかさとコーヒーの苦味、そしてレモンの輝きが、まるで詩の一行のように溶け合っていきました。
芸術と愛をつなぐ“レモンの力”
レモンという果実は、光太郎の人生において“芸術と愛”を結ぶ象徴でした。
それは単なる味覚の記憶ではなく、詩や彫刻、そして人生観そのものにまで影響を与えています。
・パリで出会った異国の香りとしてのレモン
・病床で智恵子と交わした最後のレモン
・詩『レモン哀歌』として永遠に残ったレモン
この三つのレモンは、それぞれ「青春」「愛」「永遠」を象徴しています。
過去と現在、現実と記憶、芸術と人生をつなぐ架け橋となり、光太郎の魂を貫く一本の線となりました。
彼にとってレモンとは、単なる香りではなく、“生きる力”そのもの。
酸味の奥に潜む清らかな光は、喪失の悲しみを超えて、新たな創造へと導く希望の味でもありました。
まとめ
この記事のポイントは3つです。
・レモンコーヒーは、若き高村光太郎がパリで味わった芸術と自由の香りを象徴する飲み物だった
・智恵子の最期を彩った『レモン哀歌』には、生命と愛、そして別れの瞬間が凝縮されている
・レモンは甘酸っぱさの中に、芸術と愛、希望と記憶をつなぐ不思議な力を宿している
レモンコーヒーを一口飲むとき、ほんのりとした酸味の中に、光太郎と智恵子の“永遠の記憶”を感じてみてください。
それは、ただの飲み物ではなく、人生の苦みと甘みを包み込む“詩のような味”かもしれません。
出典:
・NHK『グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー』(2025年10月6日放送)
・高村光太郎連翹忌運営委員会公式ブログ
・青空文庫『レモン哀歌』
・みんなのきょうの料理(NHK出版)
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