ミステリアスな城が語る権力と知恵
このページでは『日本最強の城スペシャル(2025年11月24日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
今回の放送では、専門家の間でも答えが出ていない「ミステリアスな城」をテーマに、戦国時代から古代まで、日本各地に残る城の謎が紹介されました。城はただの防御施設ではなく、権力の象徴であり、人の思いや時代背景が刻み込まれた存在です。番組を通して見えてきたのは、城を知ることで日本の歴史の奥行きが一気に広がるということでした。
戦国の権力を映す二重天守の謎 米子城
米子城は、戦国時代の城としては非常に珍しい「二重天守」を持っていた城です。鳥取県米子市の城山に築かれ、現在は石垣を中心とした城跡が残っています。1591年、山陰地方の支配を任された吉川広家によって大規模な改修が行われ、その後、城主となった中村一忠の時代に、3層の天守と4層の天守が相次いで築かれました。
天守を一つ建てるだけでも莫大な費用と労力が必要だった戦国時代に、二つの天守を並べて建てた例はほとんどありません。そのため、防御力だけでなく、周辺勢力や城下町に対して「これほどの力を持っている」という視覚的なアピールだったと考えられています。
本丸は標高およそ90メートルの山頂にあり、そこへ至る石垣は階段状に連なっています。この構造によって、石垣全体の強度が高まり、攻め手にとっては非常に登りにくい城となっていました。石垣は反りを持たせて積まれており、上に行くほど体勢を崩しやすくなる工夫も見られます。
本丸跡からは、南東に大山、西に中海、その先には日本海まで一望できます。城下町や水運の様子を見渡せる立地は、政治と経済の中心としての役割を強く意識したものだったことが伝わってきます。千田嘉博は、二つの天守が並ぶ姿について、見栄えを重視した結果、戦国の城として非常に印象的な景観を生み出したと解説していました。
山城に残された正体不明の石像 高取城
奈良県高取町にある高取城は、標高約584メートルの高取山に築かれた大規模な山城で、日本三大山城の一つに数えられています。険しい山道を登った先に広がる城跡には、今も高い石垣や曲輪が残り、当時の築城技術の高さを感じさせます。
この城で特に注目されたのが、城内に置かれている「猿石」と呼ばれる石像です。高さはおよそ80センチで、顔つきが猿に似ていることからそう呼ばれていますが、その正体や目的ははっきりしていません。
高取城は豊臣秀長の時代に整備された城で、石垣の多くは石を大量に使った堅固な造りです。その石垣の中には、古墳の石棺として使われていたとみられる直方体の石も含まれており、飛鳥地方の古墳文化との関わりが指摘されています。
猿石については、魔除けとして置かれたという説や、馬の守り神として信仰された猿に関係するという説、さらには飛鳥時代の宮殿や庭園にあった石造物を運んできたものではないかという見方もあります。千田嘉博は、日本の城では入口付近に石像を置く例がほとんどないことから、誰がどのような意図でここに置いたのかが分からない点を、非常にミステリアスだと説明していました。
石垣に刻まれた防御と権威のサイン 大阪城
大阪城は、戦国の世を終わらせた象徴的な城であり、その後、徳川幕府によって大規模に造り替えられた城です。現在目にする巨大な石垣は、徳川時代のもので、城に近づくだけで圧倒されるほどの存在感があります。
番組で取り上げられたのは、その石垣にあけられた無数の穴です。これらは「狭間」と呼ばれ、鉄砲などで敵を狙い撃ちするための構造です。一般的には土塀や壁に設けられることが多い狭間ですが、大阪城では石垣そのものに数多く設けられていました。
南外堀の石垣は高さ30メートルにも達し、江戸時代には櫓が立ち並び、厳重な監視体制が敷かれていました。石垣の狭間は位置が低いものや、遠くを狙うには適さないものもあり、単純な実戦目的だけでは説明しきれない点が残ります。
そのため、身を守りながら反撃するためという防御の意味に加え、これほどの石垣加工ができるという幕府の技術力と財力を示す目的があったと考えられています。千田嘉博は、防御と権威の誇示、その両方を兼ね備えた構造だった可能性を示していました。
また、大阪城には幕末に堀に怪物が現れたという記録も残っています。昭和初期の新聞には、1メートルを超えるオオサンショウウオが見つかったと報じられており、その真相についてもはっきりした答えは出ていません。
古代国家のメッセージを読む鍵 多賀城
宮城県多賀城市にある多賀城は、奈良時代に東北地方を支配するために築かれた古代の城柵です。軍事施設であると同時に、政治や行政の中心でもあり、当時の国家の力が集約された場所でした。
2025年に復元された南門は高さ15メートルに及び、釘を使わず木材を組み合わせる古代建築の技術が再現されています。その門の両脇には築地塀が続き、土を一層ずつ突き固めて造られた塀は、コンクリート並みの強度を持っていました。
城内には政庁を中心に、工房や倉庫が配置され、約1200人が働いていたとされています。多賀城は、都から遠く離れた東北の地にあっても、中央政府の支配が及んでいたことを示す重要な拠点でした。
最大の謎とされるのが国宝の多賀城碑です。高さ約2メートルの石に141文字が刻まれ、城の創建年、修理の年、都や各地までの距離が記されています。その中で特に目立つ「西」という文字については、都への意識、西方浄土への思い、西日に当てるためなど、複数の説が語られています。いずれも決定的な答えはなく、古代の人々の価値観を想像する手がかりとなっています。
丸い城が語る合理と工夫 田中城
静岡県藤枝市にあった田中城は、全国でも珍しい円形の縄張りを持つ城でした。直径約600メートルの範囲に、堀と土塁が同心円状に配置され、上から見るときれいな円を描いています。
城の周囲には高さ約5メートルの土塁が築かれ、湿地や川に囲まれた地形を生かした守りが特徴です。城内には「馬出し」と呼ばれる防御施設が6か所も設けられ、敵の進軍を分断し、反撃しやすい構造になっていました。この馬出しは武田信玄ゆかりの戦術ともいわれています。
田中城が丸い形になった理由については、少ない人数で守れること、死角をなくせること、洪水への備えになることなどが挙げられています。平地に築かれた城だからこそ、こうした合理性が強く意識されたと考えられます。
本丸跡には現在小学校が建ち、城の一部は移築されて残っています。城の形は失われつつありますが、町の中に溶け込みながら、その工夫と発想は今も語り継がれています。
まとめ
『日本最強の城スペシャル(2025年11月24日放送)』で紹介された5つの城は、どれも明確な答えが出ていない謎を抱えています。二重天守、正体不明の石像、石垣の穴、古代の石碑、丸い城の形。それぞれが、その時代の権力や知恵、人の思いを映し出しています。
城は過去の遺跡であると同時に、今も問いを投げかけてくる存在です。番組をきっかけに城を訪れることで、歴史がより身近で立体的なものとして感じられるはずです。
【NHKスペシャル「戦国サムライの城」第1集・織田信長“驚異の城郭革命”】藤戸石と黄金の瓦岐阜城、安土城破城の痕跡が語る“城郭革命”の真実|2025年9月14日放送
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