未来予測はなぜ外れたのか?東京『1,000mビル』の真実に迫る壮大ストーリー
東京に1,000mの超高層ビルが建つ未来。
いかにも実現しそうで、実際にはまだ実現していない“夢の構想”です。今回は、なぜその未来が訪れなかったのか、どんな背景があり、どんな人々がその夢を描いてきたのかをたどります。読めば、日本の都市開発の歩み、建築技術の野望、バブル期の熱狂、そして未来へのヒントまで見えてくる内容になります。
NHK【未来予測反省会】野球のピッチャーの球速は180km/hになるのか?大谷翔平を超える未来を徹底検証|2025年10月21日
1000mビルの予測が語られた時代背景
今回のテーマとなったのは、1997年に尾島俊雄が語った未来予測、「2020年ごろには東京に1,000m級超高層ビルが建つ」という大胆な主張です。
当時、日本で最も高いビルは296m。その後30年経っても日本の最高到達点は**麻布台ヒルズ 森JPタワー(325m)**で、予測には届きませんでした。一方で海外では800m超のビルが誕生し、2028年には1,000m超のビルが計画されています。
番組には、未来予測をした尾島俊雄、建築構造の専門家勝矢武之、不動産会社ユニットリーダー宮ノ内大資が登場し、三者それぞれの視点から“なぜ予測は外れたのか”を語りました。
まず、20世紀の東京は成長に次ぐ成長を遂げ、サンシャイン60、世界貿易センタービルディング、横浜ランドマークタワーなど、当時の最高技術を詰め込んだ高層ビルが次々と誕生しました。
そんな勢いの中で「次に目指すのは1,000mだ」という空気は、決して非現実的ではなかったのです。
1,000mビルが「都市問題を救う」と考えられた理由
尾島の予測には、当時の東京が抱える“都市問題”が強く関係していました。
東京23区の面積は6万ha、建物の延床面積は5万ha。
このアンバランスさにより、土地利用効率が極端に悪く、都市にはアスファルトが増え、植物は減少し、ヒートアイランド現象が深刻化していました。
建物の建て替え回数が多いため、建築関連の廃棄物が全産業廃棄物の6割を占めるという深刻な状況もありました。
そこで登場したのが「巨大な1,000mビルを建てて、都市の機能を1つの塔にまとめてしまう」という発想です。
この構想の象徴が、1989年に竹中工務店が発表した『スカイシティ1000』。地上1,000m、垂直方向に都市そのものを積み上げるような大胆なアイデアで、当時は日本の技術力が世界を牽引していたことを示す象徴でした。
勝矢武之は「技術的には十分可能だった」と語り、宮ノ内大資も「当時の都市問題に対して“一つの解”にはなる」と評価しました。
バブル期、大手建設会社が描いた“超高層ビルの夢”
1980〜90年代、日本の建設業界は“1,000mビルを誰が最初に造るか”といった雰囲気すらありました。
鹿島建設、大林組、清水建設、大成建設といった大手が、それぞれに未来都市構想を発表。
東京の象徴・霞が関ビルディングを建てた大成建設など、大手各社が次の一手として超高層アイデアを次々に打ち出していました。
しかしその夢は、バブル崩壊とともに一気に遠ざかります。
「日本中からお金がなくなった」という勝矢のストレートな言葉が、その衝撃を物語っています。
ただし尾島俊雄の未来予測は1997年、バブル崩壊後に語られたもの。
それでも彼が“日本で1,000mビルを作らねばならない”と考えていた理由は、日本が先行して技術を完成させれば、人口増加が続く中国や中東の都市開発でその技術が生き、世界で稼げると考えていたからでした。
実際、現在の超高層ビルランキングは中国と中東が占めており、尾島の読みはある意味正しかったとも言えるのです。
高さを求める建築の歴史とフランク・ロイド・ライトの視点
ここで番組には、ユニークな演出としてフランク・ロイド・ライトが“天国から登場”。
帝国ホテル旧本館を設計した伝説的建築家です。
ライトは、かつての宗教建築の高さは権力の象徴だったが、19世紀末のアメリカで誕生した高層ビルは実用性を備え、全く新しい時代の象徴になったと語ります。
ニューヨークに建った**エンパイア・ステート・ビルディング(1931年)**はその象徴で、ライト自身も約1,600mの『ジ・イリノイ』という超々高層構想を提案していました。
この“高さ競争”の歴史を知ると、なぜ未来予測に1,000mという数字が出てきたのかがよく理解できます。
東京のビルはどうやって高くなっていったのか
1910年代の東京・丸の内は、**百尺規制(約31m)**によりビルの高さが抑えられていました。床面積を稼ぐために天井を低くし、多くのビルが短期間で建て替えられるなど、街づくりとしては効率が悪い状況でした。
1923年の関東大震災をきっかけに、日本では耐震構造研究が急激に進化します。
1962年には、日本の高層ビルには“柔構造”、つまり揺れることで地震の力を逃がす構造が向いているという結論に到達。
これを受け、1963年に建築基準法が改正され、ついに日本初の本格高層ビル
霞が関ビルディング(高さ147m)
が誕生します。
“尾島の法則”が示した高さの3倍成長
1930年代:30m
1960年代:100m
1990年代:300m
こうした伸び方から「30年で3倍になる」という法則が見えてきたため、2020年代には1,000mも現実的だと考えられました。
ただし実際には伸びが鈍化し、予測通りにはいきませんでした。
実現を阻んだ最大の壁「土地」と「塔状比」
1,000mのビルには、巨大な敷地が必要です。
高さと幅のバランスを示す「塔状比」が4を超えると、風・地震の両面で構造の難易度が跳ね上がります。
東京の都心でその規模の土地を確保するのは極めて困難でした。
最新技術を用いた2028年完成予定の高さ385mビルですら、2.5〜3倍の強度を持ち、外殻構造とダンパーを駆使してようやく成立するレベルだと宮ノ内大資は語りました。
超高層化最大の課題「エレベーター問題」
高さ200〜300mで止まるビルが多い理由。
それは「エレベーターが占める面積が増えすぎて収益性が落ちる」というビル経営の現実です。
1,000mビル1棟より、250mのビル4棟のほうがはるかに収益が高い。
これはどれだけ技術が進んでも変わらない“ビル経済の法則”と言えます。
世界最高峰のブルジュ・ハリファでも、エレベーターは最大の課題でした。
日本の新たな方向性「SKY HILL」構想
宮ノ内大資が関わる最新の高層ビルでは、300m超の上層階に自然を楽しめる「SKY HILL」が作られる予定です。
それは“超高層 × 自然”という新しい付加価値づくりで、日本のビルの進化が“高さ競争”から“体験価値”に向かっていることを示しています。
未来に1,000mビルは生まれるのか?
尾島俊雄は最後にこう語りました。
「中国や韓国で私の教え子たちが超高層ビルを建てている。
海外では予測通り1,000mビルが実現した。
だからこそ、日本でも1棟だけは造りたい。」
技術も経験もある日本が、もう一度“高さの夢”に挑む日は訪れるのか。
その問いを残しながら番組は締めくくられました。
まとめ
東京に1,000mビルが実現しなかった理由は、多くの壁が重なった結果でした。
バブル崩壊による資金不足、塔状比と土地問題、エレベーターによる収益性低下など、構造・経済・社会のすべてが絡み合っています。
しかし技術的には十分可能であり、海外ではすでに実現しています。
“超高層の夢”は完全には終わっていません。
都市の未来を考えるうえで、今回のテーマは日本のこれからの都市デザインに重要な示唆を与えてくれました。
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