妻を失っても続く郡上八幡での暮らしに込めた想い
郡上八幡の静かな四季の中で、近藤正臣さんが歩き続けてきた時間には、妻との深い記憶と、町へのゆるやかな愛情が流れています。移住の背景から、ひとり暮らしの日々、仲間たちの証言、そして2度目の正月を迎える心境まで。『妻亡きあとに 〜近藤正臣 郡上八幡ひとり暮らし〜』には、失った悲しみと、そこから生まれる静かな前進が描かれていました。この記事では番組の内容をもとに、郡上八幡で過ごす近藤さんの1年半をわかりやすくまとめます。
近藤正臣が郡上八幡に移住した理由と妻との思い出
岐阜県郡上八幡に移り住んだのは7年前。きっかけになったのは、町を流れる吉田川でした。清流で釣りをする時間が心を満たし、都会では得られなかった落ち着きを感じたといいます。移住先には、妻の裕子さん(ヒロさん)と一緒に決めた日々がありました。
夏になれば『郡上おどり』を見に出かけ、のべ30万人が集う熱気の中で季節の移り変わりを楽しんだといいます。2024年9月、妻と眺めた踊りの記憶はそのまま心に残り続けています。
妻を亡くして迎えたひとり暮らしと猫との日常
1年半前に裕子さんが亡くなり、ふたりで譲り受けたオス猫と暮らす毎日が始まりました。朝食はいつも11時ごろ。臣さんとヒロさんと呼び合っていた穏やかな時間とは違う静けさが家に流れています。
ごはんは毎晩一合だけ炊き、身の回りのことはすべて自分でこなす日々。家の中には今も裕子さんのものがそのまま残され、外の風景だけが季節とともに変わっていくようです。
仲間たちが語る近藤正臣とヒロさんの絆
郡上での暮らしを支えてきたのが、30年来の釣り仲間である安田城一さんや、畳職人の田尻秀雄さんです。安田さんとは京都で小学校からの同級生。近藤さんがドラマ『柔道一直線』で人気を集め、のちに『大河ドラマ 龍馬伝』など多くの作品に出演していた頃も、ふたりは変わらず釣りを通じて交流してきました。
田尻さんは、近藤さんと裕子さんの仲の良さをよく知るひとり。50代で裕子さんが脳卒中を発症したこと、認知機能が低下していったこと、徘徊することもあった日々を振り返ります。ふたりが支え合ってきた時間が仲間たちの証言から浮かび上がります。
介護施設でのヒロさんの姿と最期の時間
裕子さんの最期を支えたのが、介護士の渡邉今日子さんでした。2023年2月、裕子さんは介護施設に入所。意識がはっきりせず、会話も難しい状態でも、好きだった『ジャニス・ジョプリン』の曲には反応を見せたといいます。
その頃、近藤さんも3度目の腰の手術を受け、体も心も負荷の大きい日々を送っていました。3か月後、裕子さんは旅立ち、近藤さんは野の花を柩に入れて送り出しました。静かな郡上の春に、ひとつの別れが刻まれました。
四季の郡上で続く暮らしと文化とのつながり
1年半がたった2024年10月。家の中には裕子さんの品がそのまま残され、生活のかたちも大きくは変わっていません。それでも外の季節は進み、山からは紅葉が長く楽しめます。
この頃、渡邉さんや田尻さんたちが近藤家を訪れ、山菜やぼたん鍋を囲む温かな時間が生まれました。
さらに、郡上節ガールズバンドが訪問し、代々受け継がれてきた『郡上節』を披露。郡上八幡城のある町で育まれた文化が、家の中にゆっくり流れていきます。よそから来た者同士でも、郡上の風土がつなぐ絆が自然に生まれていました。
2度目の正月を前に見せた心境の変化
2024年12月。近藤さんは暖炉に薪をくべ、ひとりで迎える2度目の年の瀬を準備しています。
物置には若い頃の写真や遺影に使うかもしれない姿が残され、それらを見るたびに歩んできた時間がよみがえります。
雑煮やおせちを味わいながら、「この頃お腹がすくようになった」と近藤さん。失った悲しみの底に沈んだままではなく、少しだけ前を向いて「もう少し生きてみよか」と語る姿が印象に残ります。
まとめ
吉田川の流れ、四季を彩る郡上八幡の町並み、『郡上おどり』や『郡上節』などの文化。これらに囲まれた暮らしは、近藤さんにとって妻との記憶を守る場所であり、少しずつ未来へ歩き出す力にもなっています。
番組は、失った悲しみと静かな再生が重なり合う時間を、郡上の風景とともに映し出していました。
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