原発事故を乗り越えて 大熊町で描く若者の夢
このページでは『午後LIVE ニュースーン(2025年12月16日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
福島第一原子力発電所事故によって全町避難を経験した福島県大熊町。長い時間を経て少しずつ日常を取り戻しつつある町で、今、新たな動きが生まれています。戻ることを選んだ人、戻らずに関わり続ける人、そして移住して挑戦を始めた若者たち。それぞれの立場から見える大熊町の「今」と「これから」を、番組で描かれたエピソードをもとに追っていきます。
原発事故後の大熊町の現状と人口の変化
大熊町は、東日本大震災と『福島第一原子力発電所事故』によって町民全員が避難を余儀なくされました。事故後しばらくの間、町はほぼ無人となり、時間が止まったような状態が続いていました。
6年前から段階的に避難指示が解除され、町に戻ることが可能になりましたが、実際に戻ってきた人は全体の約3%にとどまっています。番組では、町に戻らない理由として「すでに避難先で生活基盤ができている」と答えた人が63.2%にのぼることが紹介されました。
現在、大熊町に戻ってきた人は333人。一方で、町に新しく移り住んだ移住者は742人と、戻った人を大きく上回っています。しかも移住者の中心は20代で、町の人口構成にこれまでとは違う変化が生まれています。
ふるさと祭りに見る「戻る人・関わる人」の今
福島・大熊町で行われた『ふるさと祭り』には、町に戻った人だけでなく、今は別の場所で暮らす元住民や、大熊町に関心を持つ人たちも集まりました。
戻ることができなくても、戻らない選択をしていても、「ふるさと」として大熊町を思い続ける気持ちは消えていません。祭りの場は、そうした人たちが再び顔を合わせ、町とのつながりを確かめる時間になっています。
番組では、町に住むかどうかだけでなく、関わり続ける形があることが、今の大熊町にとって大切な意味を持っていることが伝えられていました。
移住者が増える理由と手厚い起業・住宅支援制度
大熊町で移住者が増えている背景には、充実した支援制度があります。福島県内の原発事故の影響を受けた12市町村では、移住と起業を後押しする制度が整えられています。
番組で紹介されたのは、住宅支援金として1世帯200万円、企業支援金として最大400万円といった具体的な支援内容です。こうした制度を活用して、家具製作、焙煎士、教育系企業など、さまざまな分野で新しい仕事を始める人たちが増えています。
廃炉の町という厳しい現実を抱えながらも、「挑戦する人を応援する町」であろうとする姿勢が、若い世代を引き寄せています。
若き移住者・原口さんのキウイ栽培への挑戦
大阪から移住した25歳の原口拓也さんは、大熊町で『キウイフルーツ』の栽培に取り組んでいます。原口さんが町と出会ったのは5年前。キウイを復活させるボランティア活動に参加したことがきっかけでした。
移住を決めた理由の一つが、事業を始める人への支援の手厚さです。福島県の企業支援金を活用し、株式会社を設立。町内に千本の苗を植え、本格的なキウイ栽培をスタートさせました。
大熊町役場の愛場さんも、行政の立場を超えて原口さんを支えています。「同じ大熊町民のひとりとして交流を深めて関わっていけたら」という言葉からは、町と移住者の距離の近さが感じられます。原口さん自身も、「チャレンジに対して前向きに応援してくれるありがたい町」と感謝の思いを語っていました。
住まなくても支える選択 大熊町とつながり続ける思い
原口さんにキウイ栽培の指導をしている関本元樹さんは、原発事故当時、小学生でした。関本さんの家族は、かつて大熊町で果樹園を営み、町有数の生産量を誇っていました。
震災後は千葉県香取市で果樹園を再開し、8年前に父親を亡くしたあと、現在は関本さんが果樹園を守っています。大熊町に住む予定はないものの、町で行われる販売会には参加し、移住者を支える形で関わり続けています。
番組では、「大熊町とのつながりを保ちたいか」という住民アンケートの結果も紹介され、77.4%が「そう思う」と回答していました。里帰りの機会を増やす催しを続ける町の取り組みは、戻る・戻らないを超えた新しい関係を生み出しています。
まとめ
『廃炉の町』と呼ばれる福島・大熊町では、原発事故という重い現実を背負いながらも、若者の挑戦と人とのつながりによって、少しずつ未来の形が描かれています。
戻る人、移住する人、離れた場所から支える人。それぞれの選択が重なり合い、大熊町は今も変わり続けています。『午後LIVE ニュースーン(2025年12月16日放送)』は、その静かで力強い歩みを伝えていました。
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移住者と帰還者が混ざって地域生活をつくっている現状
しげゆき
原発事故後の大熊町では、「戻ってきた人(帰還者)」と「新しく来た人(移住者)」が同じ時間を生き始める変化が、日々の暮らしの中ではっきり見えるようになっています。避難指示が段階的に解除された地域を中心に、住まい、仕事、地域活動の場で人の流れが交わり、事故前とは違う形の町のリズムが生まれています。ここでは、そうした現在の大熊町の姿を紹介します。
住まいの再整備が生んだ新しい日常
避難指示が解除されたエリアでは、災害公営住宅や再生賃貸住宅が整備され、帰還者だけでなく移住者も同じ町内で暮らせる環境が整ってきました。以前から町を知る人と、事故後に初めてこの地で生活を始めた人が、同じ通りを歩き、同じ商業施設や公共施設を使う日常が生まれています。住まいの再整備は、単に人を戻すためのものではなく、新しい人を受け入れる土台にもなっています。
交流の場で重なり合う人の輪
町内では、地域活動や交流の場を通じて、帰還者・移住者・町内で働く人が自然に顔を合わせる機会が増えています。清掃活動やイベント準備、日常的な集まりなどを通じて、立場の違う人同士が同じ時間を共有する場面が広がっています。こうした積み重ねによって、事故前のつながりとは異なる、いまの大熊町ならではの人間関係が育まれています。
同じ町で同じ未来を考えるという変化
事故後の大熊町では、帰還者と移住者が「別々の存在」として暮らすのではなく、同じ町で同じ未来を考える関係が少しずつ形になっています。町の再生や暮らしの工夫について意見を交わし、それぞれの立場から関わることで、地域の時間が共有されていきます。原発事故という大きな出来事を経た町だからこそ、新しく来た人と戻ってきた人が並んで歩む現在が、大熊町の大きな特徴になっています。
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