原発事故から15年 大熊町で描かれる若者たちの新しい物語
このページでは『午後LIVE ニュースーン(2025年12月16日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
福島第一原発事故によって全町避難を経験した大熊町は、長い時間を経て少しずつ姿を変えてきました。いま、この町で目立つのが、移住し、起業という形で未来を描こうとする若者たちの存在です。原発事故から15年という節目に、町はいま何が変わり、どんな希望が芽生えているのか。その現在地を追います。
原発事故から15年 大熊町はいまどう変わっているのか
東日本大震災と原発事故が起きた2011年3月、大熊町は町全体が避難区域となり、すべての町民が故郷を離れました。その後、除染作業やインフラ整備が段階的に進み、現在は一部地域で避難指示が解除されています。住宅や公共施設、働く場の整備が進められ、「住む」「働く」という日常を取り戻すための環境づくりが続いています。一方で、町全体の完全な帰還にはまだ時間が必要で、復興と新しいまちづくりが同時に進む状況です。
全町避難を経験した町のこれまでと現在の姿
事故直後、大熊町は人の気配が消え、長い間無人の町となりました。道路や建物は時間とともに傷み、かつての暮らしは止まったままでした。その後、国や自治体による復興計画のもと、道路、水道、電気といった生活基盤の再構築が進められ、2019年ごろから少しずつ人が戻る動きが始まります。現在の大熊町は、かつての町に戻るだけでなく、新しい形の町をつくろうとする過程にあります。
移住を決めた若者たち その理由と覚悟
いま大熊町には、震災後に町外で育った世代や、町と縁のなかった若者たちが移住しています。彼らがこの町を選んだ理由はさまざまですが、「何もないからこそ挑戦できる」「復興の現場で働きたい」という思いが共通しています。原発事故の影響を正面から受け止めたうえで、それでもここで暮らすことを選ぶ決断には、強い覚悟があります。番組では、そうした若者一人ひとりの日常や思いに密着します。
大熊町で起業するという選択 仕事と挑戦の現場
移住者の中には、起業という形で町に根を下ろす若者もいます。農業、果樹栽培、地域資源を生かした仕事など、分野は多岐にわたります。原発事故後の土地で事業を始めることは簡単ではありませんが、だからこそ生まれる新しい価値があります。地域の自然や歴史と向き合いながら、仕事をつくり、雇用を生み、町の未来につなげようとする挑戦が続いています。
地域とともに生きる 住民との関係づくりと日常
移住してきた若者たちは、もともとの町民や戻ってきた住民との関係づくりを大切にしています。地域の行事に参加したり、日々の暮らしの中で顔を合わせたりすることで、少しずつ信頼が積み重なっていきます。復興は建物だけでは進みません。人と人とのつながりが戻ってこそ、町は息を吹き返します。大熊町では、そうした日常の積み重ねが静かに続いています。
未来へつなぐ夢 若者たちが描く大熊町のこれから
若者たちが思い描く大熊町の未来は、単なる復興の完了ではありません。事故の記憶を風化させず、その経験を次の世代に伝えながら、新しい産業や暮らし方を生み出すことです。原発事故を乗り越えた町だからこそできる挑戦があります。番組は、そんな若者たちの夢と、大熊町がこれから向かおうとしている姿を伝えます。
※本記事は放送前の情報をもとに構成しています。放送後、内容が明らかになり次第、追記・修正します。
【NHKスペシャル】約束はどこへ 原発事故14年 さまよう除染土|未解決の最終処分問題と翻弄される人々の現実 2025年3月11日
気になるNHKをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。



コメント