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【あさイチ 特別編】台湾の歴史と今を歩く 鈴木奈穂子が見た夜市・ハヤシ百貨店・ジェンダー教育・パイワン族の暮らし|2025年12月30日

あさイチ
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台湾の歴史と今が一気につながる旅

このページでは『あさイチ(2025年12月30日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
台湾という言葉から、夜市やグルメを思い浮かべる人は多いかもしれません。しかし今回の特別編では、観光では見えにくい台湾の歴史、社会の変化、家族や文化のつながりまでが丁寧に描かれました。鈴木奈穂子が現地を歩き、自分の目で確かめた『台湾の歩みといま』を追うことで、今の台湾を知ることができます。

夜市と市場に流れる台湾の日常

番組の冒頭で紹介されたのは、台湾最大級の夜市として知られる花園夜市です。
日が暮れるころになると屋台の明かりが一斉に灯り、通りには食欲をそそる香りが広がっていきます。揚げ物の音、注文を呼びかける声、足を止めて話し込む人たちの笑顔が重なり合い、そこには観光地というより生活の延長線にある場所としての夜市の姿がありました。
屋台はただ食事を提供する場ではなく、人と人が立ち止まり、言葉を交わし、時間を共有する空間です。こうしたやり取りの積み重ねが、台湾の暮らしを支える土台になっていることが自然と伝わってきます。

続いて訪れた南部・台南の水仙宮市場は、夜市とは対照的な落ち着きを持つ場所でした。
朝から地元の人たちが集まり、毎日の食卓に並ぶ食材を選ぶ姿が見られます。市場には新鮮な魚や野菜が並び、売り手と買い手が短い言葉を交わしながら買い物を進めていきます。
海に囲まれた台湾らしく、魚介類が身近な存在であることも、この市場の風景から感じ取れました。特別なものではなく、日常として海の恵みが生活に根づいている様子が印象的です。

にぎやかな花園夜市と、静かに営まれる水仙宮市場
一日の中で表情を変えながら続いていくこの二つの場所が、台湾の人たちの暮らしを支えています。華やかさと落ち着き、その両方がそろっているからこそ、台湾の日常は豊かに保たれていることが伝わってきました。

日本統治時代を今に伝えるハヤシ百貨店

台南の街の中心にあるハヤシ百貨店は、1932年に誕生しました。
日本統治時代に建てられたこの百貨店は、当時としては最先端の近代的な建物で、街の象徴的な存在でした。人々にとっては特別な場所で、「ここでお見合いをすると成功しやすい」と語られるほど、憧れと希望が集まる空間だったといいます。

戦後、日本による統治が終わると、百貨店としての役割はいったん幕を閉じました。
しかし建物は取り壊されることなく残され、長い年月を経て、2014年に新たな形で再び開かれます。現在の館内には、台湾製にこだわった雑貨やお土産が並び、からすみやサバヒーなど台湾名物をモチーフにしたバッグも目を引きます。かつての百貨店の記憶と、今の台湾らしさが同じ空間に同居しています。

とくに印象的だったのは、太平洋戦争末期の空襲でできた弾痕を、あえてそのまま残している点です。
運営側は、傷を消してきれいにするのではなく、過去をそのまま伝えるという選択をしました。その判断によって、建物は単なる観光スポットではなく、訪れた人が立ち止まり、歴史に思いを巡らせる場所になっています。

ハヤシ百貨店は、時代の流れとともに姿を変えながらも、台湾と日本の歴史を静かに語り続けています。建物そのものが、記憶を抱えた語り部として、今も台南の街に立ち続けていました。

下駄づくりに込められた技術と記憶

日本統治時代に伝えられた技術を、今も守り続ける下駄店も番組で紹介されました。
この店の始まりは、祖父の代にさかのぼります。日本人が開いた工場に祖父が弟子入りし、下駄づくりの技術を一から身につけたことがすべての出発点でした。その技は父へと受け継がれ、現在は娘が修行を重ねながら、次の世代として技を学んでいます。家族の中で、手仕事が言葉のように受け渡されてきました。

しかし、その道のりは決して平らなものではありませんでした。
1980年代まで続いた戒厳令の時代、台湾では言論や文化の自由が制限され、海外由来の文化や技術も排除の対象とされました。日本から伝わった下駄づくりも例外ではなく、時代の流れの中で姿を消しかけたことがありました。それでも家族は手を止めることなく、伝統技術を守り続けます。

時代が変わり、台湾の民主化が進むと、下駄は再び注目されるようになりました。
今では台湾の若い世代や外国人観光客にも支持され、実用品であると同時に、文化を感じる品として手に取られています。そこには、過去を否定せず、技を磨き続けてきた時間の積み重ねがあります。

この下駄店の歩みは、民主化以前と以後をまたいで続いてきた歴史そのものです。派手に語られることはなくても、静かに続けられてきた営みが、今の台湾社会の土台の一部になっていることが、番組を通して伝わってきました。

赤崁楼が語る重なり合う支配の時代

台南に残る赤崁楼は、日本統治時代よりもさらに古い歴史を持つ建物です。
その起源はおよそ400年前にさかのぼり、台湾がオランダの拠点となっていた時代に築かれました。その後、支配する側や時代の変化に合わせて役割や姿を変えながら、現在まで残されてきました。

赤崁楼の赤レンガの壁には、オランダから持ち込まれた建築技術と、台湾の土地で積み重ねられてきた時間の痕跡が刻まれています。
一つひとつの石や壁の形からは、単なる建物ではなく、歴史そのものを背負ってきた存在であることが伝わってきます。

案内役は、「異なる時代背景が移り変わってきたことを知ってほしい」と語りました。
この言葉どおり、赤崁楼は特定の時代だけを象徴する場所ではありません。オランダ統治の時代、清の時代、日本統治期、そして現代へと、幾つもの歴史が折り重なるように存在しています。

赤崁楼を前にすると、台湾の歴史が一つの一直線な物語ではなく、重なり合い、交差しながら形づくられてきたことが自然と理解できます。
この場所は、過去を整理して終わらせるのではなく、重なったまま受け止める台湾の姿勢を、静かに教えてくれる存在でした。

月経博物館と学校教育が示す価値観の変化

台北で訪れた月経博物館は、世界的にも珍しい施設として紹介されました。
この博物館は、生理を隠すものや語りにくいものとして扱うのではなく、誰もが知り、学べるテーマとして正面から取り上げる場として、2022年に開かれました。館内には、子宮の中をイメージした赤い展示空間があり、体の中で何が起きているのかを視覚的に感じ取れる工夫がされています。
知識を一方的に伝えるのではなく、展示を通して考えるきっかけをつくる構成からは、ジェンダーをめぐる価値観を社会全体で更新していこうとする強い意志が伝わってきました。

さらに番組では、新北市にある中和小学校の教育現場も取材されました。
教室では、インターネットを通じた性犯罪や、性的な写真とは何かを考える授業が行われていました。実際のニュースを題材にしながら、子どもたちが自分の言葉で考え、答える形がとられています。
教材や教え方は学年ごとに工夫され、理解の段階に合わせて内容が積み重なるよう設計されていました。

校内には、性別に関係なく使えるオールジェンダートイレも設置されています。
一方で、すべてを一気に変えるのではなく、男女別トイレも残しながら、安全面や不安の声にも向き合っている点が紹介されました。現場での議論や試行錯誤を重ねながら、少しずつ共通認識を育ててきたことがうかがえます。

こうした取り組みの背景には、2000年に台湾南部の学校トイレで起きた、性的指向を理由とするいじめと死亡事件があります。この出来事をきっかけに、台湾では学校教育の在り方が問われ、制度や教材の見直しが進められてきました。
その積み重ねの先に、2019年の同性婚法制化があります。制度だけが先に変わったのではなく、教育現場での長年の実践が、社会の意識を支えてきたことが、今回の取材からはっきりと伝わってきました。

共働き家庭と外食文化が支える都市の暮らし

台北で取材された家庭では、夫婦で家事と育児を分担する暮らしが自然な形で描かれていました。
朝の時間帯は夫が中心となり、家事をこなしながら娘を学校へ送り出します。登校後は、そのまま仕事に向かうまでの限られた時間を使って家のことを片づけていました。夕方以降も、買い物や調理を含めた夕食づくりは夫の役割として担われています。

一方、食品会社で働く妻は、仕事を終えて帰宅すると、子どもの宿題を見る時間を大切にしていました。
どちらか一方がすべてを背負うのではなく、時間帯や得意なことに応じて役割を分け合う姿が印象的です。それぞれの生活リズムを尊重しながら、家庭を成り立たせている様子が伝わってきました。

こうした暮らしを支えている背景の一つが、台湾の外食文化です。
安くて手軽に食べられる店が街の至るところにあり、朝昼晩の三食を外で済ませる人も珍しくありません。調理にかかる時間や負担を減らすことで、仕事と家庭を両立しやすい環境が整えられています。

さらに、学校教育を補う仕組みとして、『放課後班』と呼ばれる学童保育も重要な役割を果たしています。
台北市内の公立小学校では、授業が午前中で終わる日が多く、放課後班では学習支援に加えて習い事も行われています。利用料は比較的抑えられ、最長で夜まで預かってもらえる体制が整っています。

外食文化と放課後班という社会の仕組みが組み合わさることで、家庭内の負担は分散され、女性の社会進出が現実的な選択肢として支えられています。台北の家庭の姿からは、個人の努力だけに頼らない、社会全体で生活を支える台湾の在り方が見えてきました。

パイワン族の村に息づくルーツと知恵

南部の山あいにある平和村では、台湾の先住民族であるパイワン族の暮らしが紹介されました。
この集落でまず印象に残るのは、男女に関係なく最初に生まれた子が跡継ぎになる仕組みです。長男や長女という考え方ではなく、生まれた順そのものが大切にされており、家族の中での役割が自然に決まっていきます。

家族ごとに受け継がれてきたタトゥーも、パイワン族の大きな特徴です。
男性は体に、女性は手に刻まれた文様は、装飾ではなく家族と血縁の証として受け継がれてきました。結婚式や客を迎える場では、刺繍やビーズが施された伝統衣装を身につけ、文化への誇りを身にまといます。

食の場面でも、文化のつながりがはっきりと表れていました。
伝統料理『ディヌクル』は、タロイモをつぶし、葉で包んで蒸し上げる料理です。この料理を囲む時間は、単なる食事ではなく、家族や集落の絆を確かめ合う場になっています。食が生活の中心にあり、世代をつなぐ役割を果たしていることが伝わってきました。

さらに目を引いたのが、石を積み上げて作られた伝統的な家です。
台湾は地震が多い土地ですが、パイワン族の家は、揺れに耐えるのではなく、揺れと共に動く構造になっています。「揺れるが、地震が終われば元に戻る」という考え方は、自然に逆らわず、共に生きてきた長い歴史から生まれた知恵です。

村では、パイワン語の言語教室も続けられており、言葉を通して文化を次の世代へ渡そうとする取り組みが行われています。
最後に披露された鼻笛の演奏は、先祖が村の守り神の声をまねて作ったとされる楽器で、音色そのものが祈りのように響いていました。

パイワン族の人たちは、過去を飾るのではなく、日々の暮らしの中で文化を生かし続けることを選んでいます。その姿からは、先住民族の文化を未来へつなごうとする、揺るぎない意志がはっきりと感じられました。

台湾の歩みと今を見つめて

今回の『あさイチ』特別編は、夜市や市場といった身近な風景から始まり、台湾の歴史ジェンダー教育先住民族の暮らしまでを一つの流れとして描きました。
過去を消さず、議論を重ねながら社会を変えてきた台湾。その姿を、鈴木奈穂子の視点を通して知ることで、台湾という場所がぐっと身近に感じられる内容でした。

NHK【あさイチ】鈴木奈穂子が出会った台湾の素顔|パイワン族の伝統×スイカウーロン茶ブーム×共働き支援のリアル|2025年11月12日

日本と台湾で「歴史の伝え方」がどう違うのかを感じた点

しげゆき
しげゆき

今回の特別編を通して強く感じたのは、日本と台湾では歴史の伝え方そのものに考え方の違いがあるという点です。台湾では、歴史が教科書の中だけに閉じたものではなく、今の暮らしと地続きのものとして扱われている印象を受けました。建物や仕事、教育の現場に、過去の出来事が自然に重なり合って存在しています。

台湾では「自分たちの場所の歴史」として語られている

台湾では、歴史が台湾という島で生きてきた人々の物語として語られています。清の統治、日本統治時代、戦後の変化といった出来事も、良い・悪いを単純に分けるのではなく、生活の中でどう受け止められてきたのかという視点が大切にされています。歴史は遠い過去ではなく、今も続く時間の一部として扱われています。

建物や日常がそのまま「語り部」になっている

印象的なのは、建物や街並みが歴史を説明する役割を担っていることです。百貨店や学校、街の構造そのものが、時代の積み重なりを静かに伝えています。説明板や強いメッセージがなくても、日常の中で自然と歴史に触れることができます。歴史を「学ぶもの」ではなく、「そこにあるもの」として感じさせる伝え方です。

日本では「整理して教える歴史」が中心になりやすい

一方、日本では歴史は整理された知識として教えられることが多いと感じます。時代ごとに区切り、出来事を順番に理解する形が中心です。その分、歴史と今の生活との距離が生まれやすく、過去の出来事が「終わった話」として受け止められる場面も少なくありません。台湾のように、日常の中で自然に歴史と向き合う機会は多くないのが現状です。

台湾の伝え方からは、歴史は評価するものではなく、抱えながら生きるものだという姿勢が伝わってきます。過去を切り離さず、今を生きるための土台として受け止めている点が、日本との大きな違いとして心に残りました。


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