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NHK【新プロジェクトX】QRコード誕生〜夢路に咲いた世界標準〜|開発者が挑んだ仕組み・誤り訂正・1:1:3:1:1比率|DENSO発の世界標準化ストーリー

新プロジェクトX
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小さな工場から生まれた QRコード 奇跡の挑戦物語

このページでは『新プロジェクトX〜挑戦者たち〜 QRコード誕生〜夢路に咲いた世界標準〜(1月30日)』の内容を分かりやすくまとめています。

日本の自動車工場で、作業員の「読み取りが追いつかない」という叫びから始まった挑戦がありました。少年時代の夢を胸に、不器用ながら情熱を燃やすエンジニアたちが集まり、誰も見たことのない技術をつくろうと動き出します。
限られた人数と時間、絶望的な壁を前にしながらも、彼らはひとつの形を探し続けました。その執念が世界を変える QRコード を生み出し、いま私たちの生活の隅々まで広がる奇跡へとつながっていきます。

日本の工場から世界へ広がった QRコード の誕生物語

1990年代、日本の自動車産業は世界のトップを走っていました。特にトヨタ生産方式は、必要な部品を必要な分だけつくる効率的な方法として注目されていて、その仕組みを支えていたのがバーコードでした。しかし車が多機能化し、部品の種類や情報がどんどん増えると、1つの箱に10個以上のバーコードが貼られ、現場では読み取りが追いつかない混乱が起きていました。

この状況を変えようと立ち上がったのが、読み取り機開発を担当していた原晶宏です。原は「何とかしなければ」という一心で現場に向かい、作業員が1枚ずつバーコードを読み取っている現実を目の当たりにします。そこで彼は、従来の延長線にはないまったく新しい仕組みのコードが必要だと直感し、世界標準となるコードづくりへの挑戦を決意しました。この瞬間が、後に世界中で使われる QRコード 誕生の出発点になりました。

原には、少年時代から「世の中にないものを作りたい」という夢があり、その背中を押してくれたのがエンジニアだった父の「蒔かぬ種は生えぬ」という言葉でした。その言葉は、人生の岐路で何度も原を奮い立たせます。上司に直談判し、開発期間として2年を勝ち取り、不器用ながら情熱を持つ仲間・渡辺元秋と共に、たった2人で開発が始まりました。

奇跡の「1:1:3:1:1」が生まれるまでの気の遠くなる作業

開発の最難関は「どこから読んでも瞬時に位置を特定できるコードにすること」でした。当時アメリカで使われていた2次元コードは読み取りが遅く、工場のスピードにはとても対応できませんでした。原因はコードの場所が見つけにくいこと。それなら周囲とはっきり違う“目印”をつくればいいと原は考えます。

しかし、どんな形にすれば唯一無二の目印になるのかまったく見えませんでした。そこで二人は世界中の印刷物を集め、そこにある文字や記号をすべてモノクロに変換し、白と黒の比率をひたすら調べ上げるという途方もない作業に挑みます。成功できるか分からない、気力も削られるような総当たり作戦でした。

開発期限が迫り、限界に近づいたころ、原のもとに病を患った父が囲碁を打つ写真が届きます。その姿を見て「絶対にやり遂げる」と決意を新たにし、読み取り実験を続けます。そして3か月後、ついにほとんど世の中に存在しない黒と白の比率「1:1:3:1:1」が見つかりました。この比率で描かれた正方形を角に置くことで、どこからでも瞬時に位置を特定できる革新的な目印が完成します。

これが QRコード の特徴である三つの大きな四角の誕生につながりました。目印が決まったことで、一気に新しいコードの“骨格”が固まり、プロジェクトは大きく前に進みます。

仲間の執念が支えた「汚れても読めるコード」というもう一つの革命

目印が完成したあとに立ちはだかったのが「汚れや欠けに強くする」という壁でした。工場の現場では油やほこり、擦れなどが当たり前で、コードの一部が欠けても読み取れなければ意味がありません。

この課題に挑むため、豊田中央研究所に助けを求めた原の前に現れたのが長屋隆之でした。長屋は人工知能の研究で悩み、転職まで考えていた時期でしたが、原の「世界標準を一緒につくりたい」という熱意に心を動かされ、プロジェクトへの参加を決めます。

長屋には結婚を考えていた相手がいましたが、「いまはこの開発が自分の使命」と感じ、結婚を先送りにします。そして専門書を1から読み漁り、数学を駆使した誤り訂正技術「リード・ソロモン符号」を応用し、コードの30%が汚れても正しく読み取れる仕組みを完成させました。

この成果が加わったことで、QRコードは高速で、汚れても壊れても読み取れる「未来のコード」へと生まれ変わっていきます。カメラをかざした瞬間に0.03秒で読み取れるスピードは、まさに世界の誰も体験したことのない新しさでした。

開発当時、原たちはコードの名前を「QTコード(Quick Tag)」としようとしていましたが、社内の話し合いで「キューティーハニーみたい」という理由から不採用になり、結果としていまの QRコード が生まれたという裏話も番組では語られていました。

無償公開という大胆な決断が世界標準への扉を開いた

工場への導入が進み、現場から「作業が一気に楽になった」と喜びの声が届くようになっても、原の挑戦は終わりませんでした。彼が本当に目指していたのは「世界標準として世界中の誰もが使えるコードにすること」でした。

国際標準化機構への交渉を担当したのは辻本有伺です。国際会議では各国の思惑がぶつかり合い、標準化は一筋縄ではいきませんでした。そこで決定的な一手となったのが「特許は持つが、世界中の人が自由に使えるよう無償公開する」という大胆な方針でした。この思い切った決断によって、QRコードは企業の利害を超えて一気に普及の道を開きます。

2000年、QRコードは国際標準として承認され、世界で共通に使えるコードになりました。携帯電話に読み取り機能が搭載されると一般の人々の生活の中に広がり、いまではコンビニ、空港、医療、交通、決済、イベント受付など、生活のほぼすべての場面に不可欠な存在になりました。

番組では、開発後に長屋隆之が結婚を申し込んだエピソードや、原が街中でQRコードを使う人々を見たときに「本当にやってよかった」と涙した話も紹介され、技術の裏にある人間ドラマが胸に響く構成になっていました。

世界に広がった技術と、今も続く開発者たちの挑戦

QRコードは、開発からおよそ20年後、日本人初の欧州発明家賞を受賞し、その価値が世界的に認められました。渡辺元秋は現在も第一線のエンジニアとして企画開発に携わり、原晶宏は後輩育成に力を注ぎながら、技術の未来を支える役割を担っています。

工場の片隅で始まった挑戦が、いまでは世界中の生活を動かすインフラになりました。コンビニの支払い、飛行機の搭乗、病院の受付、災害時の情報共有まで、私たちが毎日のようにかざしている四角いパターンには、日本のエンジニアたちの粘り強い探求心、仲間を信じる力、そして「世の中にないものを作りたい」という夢がぎゅっと詰まっています。

新プロジェクトX「QRコード誕生〜夢路に咲いた世界標準〜」は、技術の裏にある情熱と努力を改めて感じさせてくれる回であり、日本のものづくり精神の力強さを鮮やかに伝えてくれる物語でした。

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