築92年の“ガラスのアトリエ”が語る芸術と家族の物語
東京・中野の住宅街にひっそり残るガラスのアトリエ。白い箱のような外観と大きな窓を持つこの家は、天才画家・三岸好太郎の夢が形になった特別な場所です。『気になる家(4)ガラスのアトリエ(東京・中野)(2026年4月29日)』でも取り上げられ注目されています。
なぜ壊れやすい家が残り続けたのか。その背景には、芸術と家族の深い物語があります。
この記事でわかること
・ガラスのアトリエの正体と歴史
・三岸好太郎の人生と才能
・なぜガラス張りの設計になったのか
・妻・節子が守り続けた理由
・築92年の家が今も残る本当の理由
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ガラスのアトリエとは?中野に残る異彩の家の正体
東京・中野区の住宅街に残るガラスのアトリエは、画家の三岸好太郎と三岸節子夫妻のために、1934年に建てられた住宅兼アトリエです。白い箱のような外観、大きなガラス窓、吹き抜けの空間、らせん階段を備えたつくりは、今見てもかなり現代的に感じられます。
正式には三岸家住宅アトリエと呼ばれ、現在は登録有形文化財にもなっています。木造2階建てを中心にした建物で、建築面積は88㎡。1934年に建てられ、1958年に改修されています。
この家が特別なのは、ただ古い家だからではありません。昭和初期の東京に、まるでヨーロッパの近代建築のような白い箱型のアトリエが建てられたこと自体が、とても珍しかったのです。
当時の日本の住宅は、瓦屋根や木の柱、畳の部屋を持つ家がまだ多い時代でした。その中で、全面に大きなガラスを使い、明るい光を取り込むアトリエをつくったことは、かなり新しい考え方でした。
NHKの「気になる家(4)ガラスのアトリエ(東京・中野)」で注目される理由も、単に変わった家というだけでなく、そこに芸術家の夢、家族の記憶、戦前モダニズム建築の価値が重なっているからです。
この家は、住宅であり、仕事場であり、作品でもあります。つまり、三岸好太郎が「どんな場所で絵を描き、どんな未来を思い描いていたのか」を形にした建物なのです。
三岸好太郎とは?31歳で亡くなった天才画家の人生
三岸好太郎は、1903年生まれの洋画家です。北海道に生まれ、若くして画家として才能を見せました。代表的な特徴は、短い人生の中で作風を何度も変えたことです。
初期には、人物や風景を力強く描く作品がありました。その後、道化やサーカス、蝶、花など、幻想的で詩のような世界へ向かっていきます。最後の時期には、抽象的で軽やかな表現にも近づいていきました。
31歳という若さで亡くなったため、活動期間はとても短いです。それでも、残した作品には強い個性があり、日本の近代洋画の中でも重要な画家として知られています。
三岸好太郎のすごさは、ただ絵がうまいということではありません。時代の空気を敏感に感じ取り、常に新しい表現へ進もうとした点にあります。
当時の日本では、西洋の芸術や建築、デザインの考え方が少しずつ入ってきていました。好太郎は、そうした新しい流れに心を動かされ、自分の絵だけでなく、自分が暮らし、制作する場所にも新しさを求めました。
その結果として生まれたのが、ガラスのアトリエです。好太郎は、建設中の1934年7月、胃潰瘍により31歳で亡くなりました。完成を見ることはできませんでしたが、同年10月に妻の節子がアトリエを完成させました。
つまり、このアトリエは、好太郎にとって最後の夢の形であり、残された人たちにとっては「彼がここに生きている」と感じられる場所になったのです。
なぜガラス張り?アトリエに込められた夢と設計思想
ガラスのアトリエの大きな特徴は、南東側に設けられた大きなガラス窓です。アトリエの前面を大きく切り取り、自然光をたっぷり入れるつくりになっています。画家にとって光はとても大切です。色の見え方、影の出方、空間の明るさは、作品づくりに大きく関わります。
ただし、このガラス窓は実用だけのためではありません。そこには、当時の新しい建築思想が反映されています。
設計に関わったのは、ドイツのバウハウスで学んだ建築家・山脇巌です。バウハウスとは、建築・家具・デザイン・工芸を一つにつなげて考えた学校で、20世紀のデザインに大きな影響を与えました。ガラス、白い壁、直線的な形、機能的な空間は、その思想と深く関係しています。
このアトリエは、直方体を組み合わせたシンプルな外観を持ち、内部には二層吹き抜けの空間とらせん階段が置かれています。大きな窓、白い箱のような外観、開放感のある内部は、施主である好太郎の感性と、設計者の近代的な考え方が重なって生まれたものです。
なぜガラス張りだったのかをわかりやすく言えば、理由は大きく3つあります。
1つ目は、絵を描くための光を取り入れるためです。
2つ目は、古い住宅の形にとらわれず、新しい時代の空間をつくるためです。
3つ目は、好太郎自身の芸術観を建物にまで広げるためです。
この家は、ただ住むための箱ではなく、好太郎の頭の中にあった絵画的な世界を現実の空間にしたものともいえます。だからこそ、ガラスのアトリエは「建築」であると同時に、三岸好太郎のもう一つの作品として見ることができます。
壊れやすい家を守り続けた妻・節子の想い
ガラスのアトリエは美しい一方で、とても扱いにくい建物でもありました。木造の建物に大きなガラス面を入れるという構造は、当時としてはかなり挑戦的でした。
年月がたつと、木造部分はゆがみます。雨漏りも起きます。大きなガラスは風に弱く、割れることもあります。見た目はモダンでも、住み続けるにはかなり大変だったはずです。
それでも、妻の三岸節子はこのアトリエを守りました。
節子自身も、日本を代表する洋画家です。夫の死後、3人の子どもを育てながら、自分の画業も続けました。1934年にアトリエを完成させたあと、同年11月には三岸好太郎の遺作展も開いています。節子はその後、1968年にフランスへ移るまで、このアトリエで絵を描き続けました。
ここで大切なのは、節子がただ夫の思い出を守っただけではないという点です。
このアトリエは、節子にとっても制作の場でした。夫の夢を受け継ぐ場所であり、自分自身が画家として生きる場所でもありました。家の中に好太郎の気配を感じながら、同時に自分の人生を切り開いていったのです。
壊れやすい家を守るということは、きれいごとだけではできません。修理にはお金も手間もかかります。家族の生活もあります。時代が変われば、古い家を残すよりも壊して建て替えるほうが楽だと考えられることもあります。
それでも節子が守り続けた理由は、この家が単なる建物ではなかったからです。
そこには、夫の才能、若くして終わった人生、家族の暮らし、自分自身の制作の日々がすべて重なっていました。節子にとってガラスのアトリエは、過去を閉じ込める場所ではなく、記憶と創作が生き続ける場所だったのです。
なぜ今も残る?築92年の家が消えなかった理由
築90年を超える木造建築が東京に残ることは、簡単ではありません。特に中野のような住宅地では、土地の価値が高く、古い家は建て替えや売却の対象になりやすいです。
それなのにガラスのアトリエが残った理由は、いくつかあります。
まず大きいのは、建物そのものに文化財としての価値が認められたことです。三岸家住宅アトリエは、2014年10月7日に登録有形文化財となりました。都内でも希少な戦前の木造モダニズム建築として評価されています。
次に、好太郎と節子という2人の画家の人生と結びついていることです。建物だけなら「古い変わった家」で終わるかもしれません。しかし、この家には日本の近代美術史に関わる人物の物語があります。
さらに、近年は建築の保存や継承への関心が高まっています。2021年には改修工事によって内壁の一部や旧玄関が修復され、当初の空間の流れを体験できるようになったことも意義深いとされています。
古い建物を残すときに大切なのは、「昔の姿をそのまま閉じ込めること」だけではありません。安全に使えるように直しながら、どこに価値があるのかを見極めることです。
ガラスのアトリエの場合、重要なのは次のような点です。
・白い箱型の外観
・大きなガラス窓
・吹き抜けのアトリエ空間
・らせん階段
・画家夫妻の生活と制作の記憶
・戦前の東京に現れたモダンな建築思想
このような価値が重なったからこそ、ただの古家としてではなく、残すべき建物として見直されました。
また、現在も完全に過去のものとして眠っているわけではなく、撮影スタジオなどとして活用されている点も重要です。建物は使われることで手入れされ、次の世代に受け継がれやすくなります。
築92年の家が残った理由を一言でいえば、建築としての価値、芸術家の物語、守ろうとした人々の意思が重なったからです。
この家が語るものとは?芸術と家族の記憶の価値
ガラスのアトリエが語っているのは、「古い建物は大事にしましょう」という単純な話ではありません。
この家が教えてくれるのは、建物には人の人生が刻まれるということです。
三岸好太郎にとって、このアトリエは未来への夢でした。もっと自由に絵を描きたい、新しい時代の空間を持ちたい、自分の芸術を生活の中に広げたい。そんな思いが、ガラスと白い壁の建物になりました。
三岸節子にとって、このアトリエは夫の記憶であり、自分の戦いの場所でした。夫を失い、子どもを育て、画家として生き抜く中で、この家は心の支えにもなり、創作の場にもなりました。
そして今の私たちにとって、この家は芸術と暮らしが一体だった時代の証人です。
近代建築というと、難しく感じるかもしれません。でも、ガラスのアトリエを見ると、建築は人の気持ちと深くつながっていることがわかります。
なぜ大きな窓にしたのか。
なぜ白い箱のような形にしたのか。
なぜ壊れやすくても残したのか。
なぜ今も人を引きつけるのか。
その答えは、建物の形だけではなく、そこに住み、描き、守った人の人生の中にあります。
また、この家は東京という都市の変化も映しています。かつて中野の周辺には畑や雑木林、農家が残る風景がありました。その中に白く輝くモダンなアトリエが建ったことは、当時の人にとってかなり驚きだったはずです。今では住宅街の中に残る一軒の文化財として、過去と現在をつなぐ存在になっています。
ガラスのアトリエの価値は、豪華さではありません。むしろ、壊れやすさや不完全さも含めて価値があります。
若くして亡くなった画家の夢。
残された妻が守った時間。
家族が暮らした気配。
戦前の新しい建築への挑戦。
都市の中で消えずに残った記憶。
それらが一つの建物に重なっているからこそ、ガラスのアトリエは今も人の心を引きつけます。
この家を深く理解すると、「家」とは単なる住む場所ではなく、人生の思い出や時代の空気を受け止める器なのだと感じられます。ガラスのアトリエは、まさに芸術と家族の記憶が形になった家なのです。
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