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三岸家住宅アトリエはどこにある?見学できるかと三岸好太郎・節子が守ったガラスのアトリエ【気になる家で話題】

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三岸家住宅アトリエに残る画家夫婦の夢と物語

東京都中野区の住宅街にたたずむ三岸家住宅アトリエは、昭和初期を代表するモダン建築として知られています。大きなガラス窓やらせん階段が特徴的なこの建物には、若くして亡くなった画家三岸好太郎と、その思いを受け継いだ妻三岸節子の人生が刻まれています。

『気になる家(4)ガラスのアトリエ(東京・中野)(2026年6月20日放送)』でも取り上げられ注目されています。

なぜこの建物は90年以上残り続けたのでしょうか。建築としての価値だけでなく、家族の愛情や芸術への情熱、文化財保存の背景まで知ると、その魅力がより深く見えてきます。

この記事でわかること

・三岸家住宅アトリエはどこにあるのか
・三岸好太郎と三岸節子の人物像
・ガラス張りの家が持つ建築的価値
・見学方法と現在の保存活用の状況

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三岸家住宅アトリエはどこにある?中野区上鷺宮に残るガラスのアトリエ

三岸家住宅アトリエは、東京都中野区上鷺宮に残る、昭和初期の住宅兼アトリエです。

場所は中野区の北西部、西武新宿線・鷺ノ宮駅から歩いて行ける住宅街の中にあります。駅前のにぎやかな場所というより、静かな暮らしの中に突然あらわれるような建物です。

白い四角い外観、大きなガラス窓、吹き抜けの空間、そして印象的ならせん階段。初めて見ると「普通の家なの?」「アトリエなの?」「なぜここだけ雰囲気が違うの?」と気になるはずです。

この建物は、画家の三岸好太郎三岸節子夫妻のために、1934年に建てられました。今から90年以上前の建物ですが、見た目はかなり現代的です。むしろ、今のデザイン住宅のようにも見えます。

それがこの家の大きな魅力です。

周辺がまだ農家や畑の多かった時代に、白くて四角い、ガラスを大きく使った家が建ったわけです。当時の人から見ると、かなり未来的な建物だったはずです。地域ではその形から「豆腐の家」と呼ばれて親しまれていたともいわれています。

NHK総合『気になる家(4)ガラスのアトリエ(東京・中野)』で取り上げられたことで、あらためて注目されているのは、この建物が単なる古い家ではなく、画家の夢・家族の記憶・日本のモダン建築の歴史をまとめて抱えている場所だからです。

三岸家住宅アトリエの基本情報を整理すると、次のようになります。

  • 所在地:東京都中野区上鷺宮
  • 最寄り:西武新宿線・鷺ノ宮駅
  • 建築年:1934年
  • 用途:住宅兼アトリエ
  • 関係人物:三岸好太郎、三岸節子、山脇巌
  • 文化財:国登録有形文化財
  • 特徴:全面ガラス窓、吹き抜け、らせん階段、木造モダニズム建築

見どころは、ただ「おしゃれな古い建物」という点ではありません。

このアトリエは、画家が絵を描くために必要なをどう取り込むか、創作する人がどんな空間で生きるのか、そして亡くなった人の思いを家族がどう受け継ぐのかまで感じられる建物です。

三岸好太郎とは誰?31歳で亡くなった画家が夢見たアトリエ

三岸好太郎は、1903年に北海道で生まれた洋画家です。若くして東京へ出て、独学で絵を学びました。

20代のころから才能を認められ、前衛的な絵を描く画家として注目されます。作風はひとつに固定されず、力強い色づかい、幻想的な表現、軽やかな線など、短い人生の中でどんどん変化していきました。

つまり、三岸好太郎は「長く同じ型を守った画家」ではなく、新しい表現を探し続けた画家です。

この性格は、アトリエにもよく表れています。

普通の日本家屋ではなく、白い箱のような建物。大きなガラス窓。吹き抜け。らせん階段。これらは、当時としてはかなり新しい感覚でした。

設計を担当したのは、ドイツのバウハウスで学んだ建築家の山脇巌です。バウハウスは、絵画、建築、工芸、デザインを分けずに考えた、世界的に大きな影響を与えた学校です。今でいう「デザインの考え方」の土台を作った場所のひとつです。

好太郎は、そんな新しい建築思想を理解できる山脇巌に、自分のアトリエを依頼しました。

ここで大切なのは、好太郎が単に「流行の建物」を欲しがったわけではないことです。彼にとってアトリエは、生活の場であり、絵を描く場であり、自分の表現そのものでもありました。

画家にとって光はとても重要です。
どの角度から日が入るか。
壁にどんな影が落ちるか。
室内がどれくらい明るいか。
作品を見るときの空気がどう変わるか。

三岸家住宅アトリエの大きなガラス窓は、ただ目立つためのデザインではなく、創作のための光を取り込む装置でもありました。

しかし、好太郎はこのアトリエの完成を見ることができませんでした。

1934年、アトリエの建設中に、好太郎は胃潰瘍により31歳で亡くなります。完成のわずか数か月前のことでした。

だからこそ、この建物はただの住まいではありません。

完成前に亡くなった好太郎が、最後に夢を託した場所。
絵だけでなく、空間まで含めて作ろうとした場所。
それが三岸家住宅アトリエです。

完成後、このアトリエでは好太郎の遺作展も開かれました。作品を飾る場所としてだけでなく、建物そのものが好太郎の芸術世界を伝える空間になったのです。

三岸節子はなぜアトリエを守り続けた?家に残された夫婦の物語

三岸家住宅アトリエを語るうえで、三岸節子の存在は欠かせません。

節子は、好太郎の妻であると同時に、自身も画家でした。1905年に愛知県で生まれ、洋画を学び、若くして画壇に出ていきます。好太郎と結婚した後も、家庭を支えながら絵を描き続けました。

好太郎が亡くなったとき、節子には子どもたちがいました。夫は31歳で急逝。建物はまだ完成前。生活も楽ではなかったはずです。

それでも節子は、アトリエを完成させました。

この行動には、いくつもの意味があります。

ひとつは、アトリエが好太郎の最後の作品のような存在だったことです。

絵画ではありませんが、好太郎の感性、考え方、未来への憧れが込められた空間です。節子にとって、それを途中で終わらせることはできなかったのでしょう。

もうひとつは、そこが節子自身の創作の場にもなったことです。

節子は、夫の思い出だけを守る人ではありませんでした。自分も画家として、そこに立ち、絵を描き、生活を続けました。アトリエは「亡き夫の記念碑」だけでなく、節子自身が生き続けるための場所でもあったのです。

戦争中も、節子はこのアトリエを守りました。建物は木造で、ガラスも多く、決して頑丈とはいえません。雨漏りやゆがみ、ガラスの破損など、長く残すには大変な部分も多かったはずです。

それでも守り続けた理由は、単純に「古い家だから大切」ではありません。

この家には、夫婦で見た夢がありました。
子どもたちと暮らした時間がありました。
絵を描いた手触りがありました。
光の入り方、階段の形、壁の余白、そのすべてに記憶が残っていました。

節子が「この家の隅々に彼が生きている」と感じたとしても、不思議ではありません。

そして節子の死後も、この家は残されました。

それは、家族が受け継いだからです。さらに、文化財としての価値が認められ、保存や活用の取り組みが続いてきたからです。

古い建物は、放っておけば傷みます。特に木造で、ガラス面が大きい建物は、維持に手間も費用もかかります。だから、ただ「残したい」と思うだけでは残りません。

三岸家住宅アトリエが今も残っているのは、家族の思い文化財としての価値保存に関わる人たちの努力が重なったからです。

ここが、このアトリエの物語として強い部分です。

夫の夢を妻が完成させ、妻もまたそこで描き続け、家族が受け継ぎ、現代の人たちが再生しようとしている。ひとつの家を通して、90年以上の時間がつながっています。

ガラス張りの家はなぜ珍しい?木造モダニズム建築としての価値

三岸家住宅アトリエが珍しいのは、ただ古いからではありません。

大きな理由は、戦前のモダニズム建築を木造で実現していることです。

モダニズム建築とは、ざっくり言うと、飾りをたくさん付けるよりも、シンプルな形や機能を大切にする建築です。白い壁、四角い形、大きな窓、水平と垂直を意識したデザインなどが特徴です。

今見ると普通に感じるかもしれませんが、1930年代の日本ではかなり新しいものでした。

特に三岸家住宅アトリエは、画家のアトリエとして、光を大きく取り込むために全面ガラス窓が印象的に使われています。室内は2層の吹き抜けになり、そこにらせん階段が置かれています。

この組み合わせが、ただの住宅ではない雰囲気を作っています。

当時の一般的な日本の住宅は、畳の部屋、木の柱、障子、瓦屋根といった和風のつくりが多くありました。そこに、白い直方体のような建物が現れたわけです。

しかも、モダニズム建築は本来、鉄やコンクリートと相性がよい考え方でした。大きな窓や広い空間を作るには、構造的に強い材料が向いているからです。

ところが三岸家住宅アトリエは、予算などの事情もあり、木造で建てられました。

ここが面白いところです。

西洋の新しい建築思想を、そのまま輸入するのではなく、日本の現実に合わせて木造で形にした。だから、三岸家住宅アトリエは「海外風のおしゃれな家」ではなく、日本でモダン建築をどう受け止めたかがわかる建物でもあります。

一方で、木造で大きなガラス面を持つことは、弱さにもつながります。

時間がたてば木は動きます。
建物はゆがみます。
雨が入りやすくなります。
ガラスは風や振動の影響を受けやすくなります。

美しい建物であるほど、維持は簡単ではありません。

だからこそ、今も残っていることに価値があります。
そして、ただきれいに直せばいいわけでもありません。

文化財の保存では、どこまで昔の姿に戻すのか、どこまで今の使いやすさを入れるのかが難しい問題になります。

昔の材料や形を大切にしすぎると、使い続けるのが難しくなることがあります。逆に、新しくしすぎると、建物の記憶が消えてしまいます。

三岸家住宅アトリエの価値は、次の3つに分けるとわかりやすいです。

  • 建築の価値:戦前の木造モダニズム建築として珍しい
  • 美術の価値:三岸好太郎と三岸節子の創作の場だった
  • 生活の価値:家族が暮らし、守り続けた記憶がある

この3つが重なっているから、単なる「古いアトリエ」では終わらないのです。

三岸家住宅アトリエは見学できる?現在の保存活用と公開情報

三岸家住宅アトリエは、常に自由に入れる観光施設ではありません。

住宅街にある文化財建築であり、保存や改修の状況によって公開方法が変わります。現在は大規模な改修工事が進められているため、以前のような定期的な一般公開やレンタルスペース利用は一時的に休止・変更されています。

ただし、まったく見られないわけではありません。

工事の進み具合や安全確認ができるタイミングで、特別公開が行われることがあります。過去には、工事中の建物の様子を見られる公開日や、保存活用計画について説明を聞ける機会も設けられています。

見学を考える場合は、次の点を確認してから行くのが安心です。

  • 公開日が決まっているか
  • 事前申し込みが必要か
  • 見学できる範囲はどこまでか
  • 料金はいくらか
  • 写真撮影のルール
  • 駐車場や駐輪場の有無
  • バリアフリー対応の有無
  • 工事中の注意事項

特に注意したいのは、ここが住宅街の中にあることです。文化財だからといって、いつでも自由に外から近づいて見学できる場所ではありません。近隣で暮らす人もいるため、訪れる場合は静かに行動することが大切です。

また、工事中の公開では、見学できる場所がアトリエや中庭の一部に限られる場合があります。トイレが使えない、足元に注意が必要、階段の利用制限があるなど、通常の美術館や観光施設とは違う点もあります。

三岸家住宅アトリエの現在の大きな流れは、保存しながら活用するという方向です。

ただ建物を残すだけでは、将来また維持が難しくなります。反対に、商業利用だけを優先すると、文化財としての意味が薄れてしまいます。

そのため、今後は次のような活用が考えられています。

  • 展示
  • 講演会
  • アート関連イベント
  • 建築や美術の学びの場
  • 書籍閲覧スペース
  • 地域のコミュニティスペース
  • 撮影・レンタルスペースとしての再開

ここで大事なのは、建物を「見るだけの古いもの」にしないことです。

三岸家住宅アトリエは、もともと創作のための場所でした。だから、これからも何かが生まれる場所として使われることには、大きな意味があります。

保存とは、時間を止めることではありません。

昔の記憶を大切にしながら、今の人が使い、次の世代へ渡していくこと。三岸家住宅アトリエの再生は、その実例としても注目されています。

気になる家で紹介されたガラスのアトリエが注目される理由

ガラスのアトリエが注目される理由は、見た目のインパクトだけではありません。

もちろん、白い壁と大きなガラス窓、吹き抜けとらせん階段は目を引きます。住宅街に突然あらわれるその姿には、「なぜここにこんな家が?」と思わせる力があります。

でも、本当に心に残るのは、その奥にある物語です。

この家には、31歳で亡くなった画家の夢があります。
残された妻が完成させた覚悟があります。
そこで子どもたちを育て、絵を描き続けた時間があります。
戦争や老朽化を越えて、守り続けた家族の思いがあります。
そして今、もう一度未来へ渡そうとする保存の動きがあります。

だから、このアトリエは「珍しい建物」ではなく、人の思いが積み重なった建物として見られているのです。

注目される理由を整理すると、次のようになります。

まず、三岸好太郎という画家の存在です。短い人生の中で前衛的な表現を追い求め、絵だけでなく建築にも関心を広げました。アトリエは、その感性が形になった場所です。

次に、三岸節子の存在です。夫の死後、アトリエを完成させ、自らもそこで絵を描き続けました。節子を「夫を支えた妻」とだけ見ると、この物語は浅くなります。彼女自身も、長く描き続けた強い画家でした。

そして、木造モダニズム建築としての珍しさです。1930年代の日本で、バウハウスの影響を受けた白い箱型の建物を木造で作り、今も残っている例は多くありません。

さらに、現在進んでいる保存活用の動きも注目点です。古い建物は、残すだけでは守れません。使いながら残す仕組みが必要です。三岸家住宅アトリエは、文化財を未来に残すための新しい形を考える場所にもなっています。

このアトリエを知ると、家の見方が少し変わります。

家は、ただ寝起きする箱ではありません。
誰かが夢を描いた場所であり、誰かが大切な人を思った場所であり、毎日の暮らしが積み重なった場所です。

三岸家住宅アトリエが長く人を引きつけるのは、建築の美しさだけでなく、そこに生きた時間の重みがあるからです。

ガラス窓から入る光、白い壁、らせん階段。
そのひとつひとつに、好太郎の夢と、節子の決意と、家族の記憶が残っています。

だからこそ、この家は今も「気になる家」であり続けているのです。

参考:


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