江戸時代のグルメ文化を今に伝える特別企画
2025年7月2日(水)の【歴史探偵】では、「江戸グルメ」をテーマに、18世紀後半に発展した江戸の食文化を紹介します。今回の番組では、江戸の高級料亭「百川(ももかわ)」の料理を再現し、江戸グルメの魅力や和食のルーツに迫ります。江戸時代の食文化は、今の和食の原型ともいわれており、現代の食卓にもつながる重要な歴史の一つです。
番組の司会は佐藤二朗さんと片山千恵子アナウンサー。歴史研究家の河合敦さんをゲストに迎え、わかりやすく江戸の食文化を解説します。
江戸グルメの魅力とは
江戸時代の江戸の町は、日本全国から人や物が集まるとてもにぎやかな大都市でした。そのため、全国各地の新鮮でおいしい食材が自然と江戸に集まり、食文化がどんどん発展していったのです。特に江戸の町では、今でも人気のある名物料理がたくさん生まれました。
例えば、寿司・天ぷら・うなぎ・そばは、江戸時代の屋台文化の中から広まりました。忙しい町人たちが、気軽に食事をとれるようにと、立ち食いや持ち帰りができるスタイルの屋台が町中に並び、寿司やそばを手軽に楽しめるようになったのです。今の握り寿司は、江戸時代に生まれたとも言われています。
また、天ぷらも江戸ならではの料理です。当時の天ぷらは今のように衣を厚くせず、軽い衣でサッと揚げて、素材の味を楽しむものだったそうです。そばやうなぎも、庶民の味として親しまれ、江戸の屋台や小さな食堂で食べられていました。
さらに、江戸時代には調味料の発展も大きなポイントです。
・醤油
・味醂(みりん)
・酢
・味噌
・砂糖
・かつお節
こうした調味料が広まり、料理の味わいがぐっと豊かになりました。特に醤油は、江戸の料理に欠かせない調味料として広く使われるようになり、今の和食文化の土台を作ったのです。
もう一つの大きな特徴は、江戸の人々が季節感をとても大切にしていたことです。江戸の町では、旬の食材を使うことが当たり前とされていました。たとえば、春は山菜や若竹、夏は冷たいそばや瓜、秋はきのこや栗、冬は大根や鍋物といったように、四季を感じる料理がたくさん並んでいたのです。
旬の食材を楽しむことで、季節の移り変わりを実感でき、健康や自然とのつながりを意識する文化が自然と根づいていました。こうした考え方は、今の日本人の食生活にも深く残っています。
このように、江戸グルメは単なる「食べること」だけでなく、町のにぎわい、屋台の楽しさ、素材の新鮮さ、調味料の工夫、季節を大切にする心などがすべて組み合わさった、魅力いっぱいの文化だったのです。今の私たちが当たり前に楽しんでいる和食の多くは、江戸時代の人たちが工夫しながら育てたものだといえます。
料理本が広めた江戸の味
江戸時代の後半になると、出版の文化が盛んになり、多くの人がさまざまな本を手にするようになりました。その中でも特に人気だったのが料理本です。料理本の登場によって、これまで一部の限られた人だけが楽しめた高級料亭の味が、一般の家庭にも広がるようになったのです。
当時、庶民にとって料亭の料理は憧れの存在でした。高級な食材や手間のかかる調理法は、なかなか普段の生活には取り入れられなかったのですが、料理本のおかげでそのハードルが下がり、家でも料亭の味を再現することが可能になったのです。
特に有名なのが以下のような料理本です。
・「料理早指南」
・「料理物語」
・「豆腐百珍」
これらの本には、料理の手順だけでなく、盛りつけ方や食事のマナー、さらに見た目の工夫までが細かく紹介されていました。おいしいだけではなく、見た目も美しく、食事そのものを楽しむ文化が広がったのです。
また、江戸の料理本は単なるレシピ集ではなく、季節ごとの食材の使い方や行事に合わせた特別な料理のアイデアまで丁寧に書かれていました。たとえば、春には山菜を使った料理、夏には涼しさを感じる工夫がされた料理、秋にはきのこや栗、冬には温かい鍋料理や保存食など、四季を意識した食卓作りができるようになっていたのです。
このように、料理本が広まったことで、江戸の庶民も料亭の技術や味わいを身近に感じることができ、家庭でも工夫を凝らした料理を楽しむ習慣が定着していきました。料理を通じて生活の質が高まり、食事の時間がより豊かなものになったのです。
こうした流れが、現代の和食文化の礎となり、私たちが普段楽しんでいる食事スタイルにもつながっています。江戸の人々の知恵と工夫が、料理本を通して今も生き続けているのです。
高級料亭「百川」とは
「百川(ももかわ)」は、江戸時代後期の日本橋にあった格式の高い高級料亭です。創業は明和から安永年間(1760〜70年代)とされ、文化文政期(1804〜30年)には最盛期を迎え、多くの文化人や裕福な町人たちが訪れる、当時を代表する社交の場として知られていました。
この料亭は単なる食事の場所ではなく、詩や芸術、学問が語り合われる文化サロンのような空間でもありました。大田南畝(蜀山人)や山東京伝といった有名な文人もここを訪れ、知識人たちが交流を深める場になっていたのです。
「百川」の料理は、新鮮な魚介類や旬の野菜をふんだんに使い、贅沢で見た目にも美しい料理が提供されていました。特に器や盛り付け、部屋のしつらえにまで細かくこだわり、訪れた人々に非日常の特別な時間を楽しませていたのが大きな特徴です。
また、「百川」が歴史に名を残す理由のひとつが、1854年のペリー来航時の大饗宴です。この時、「百川」は横浜で行われた公式のもてなしの場において、アメリカ側300人、日本側200人、合計500人分もの懐石料理を用意しました。90品を超える豪華な料理が振る舞われ、現代のお金に換算すると総額約1億5000万円もの規模だったといわれています。冷蔵設備のない時代に、これほど大規模な宴席を成功させたことは、料理人たちの技術と工夫の高さを物語っています。
しかし、「百川」は明治時代の初めごろ、突然その姿を消します。閉店の理由やその背景は記録がほとんど残っておらず、今もなお幻の料亭として語り継がれています。現存する資料が限られるため、その全貌は多くの部分が謎に包まれていますが、その存在は江戸時代の食文化や社交文化を象徴するものとして、今も注目されています。
番組の見どころ
【歴史探偵】では、「百川」の料理を現代の視点で再現し、江戸グルメの豊かさを体感できる内容となっています。高級料亭の味や、江戸時代の食文化がどのように今の和食につながっているのかを映像で知ることができます。
また、ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」とあわせて見ることで、江戸時代の暮らしや文化への理解も深まります。江戸の食文化や料理本に興味がある方、日本料理のルーツを知りたい方は、ぜひご覧ください。
【ソース】
https://www.nhk.jp/p/rekishitantei/ts/V6R4VYM6X3/
https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=1124
https://plenus.co.jp/news/20240617_01/
https://intojapanwaraku.com/culture/280869/
https://eleminist.com/article/2463
https://fben.jp/news/2024/04/post_5926.html
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