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NHK【映像の世紀バタフライエフェクト】激動 アジアの隣人たち 台湾130年の傷痕 日本統治と二二八事件が残した分断|2025年12月15日

映像の世紀バタフライエフェクト
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激動 アジアの隣人たち 台湾130年の傷痕

130年という時間は、国や社会の姿を大きく変えるには十分すぎる長さです。この回の『映像の世紀バタフライエフェクト』では、台湾が経験してきた日本統治、戦争、政権交代、国際的孤立、そして民主化と経済成長までを一本の歴史として描き出しました。台湾の出来事は遠い国の話ではなく、日本、そして現代のアジア情勢とも深く結びついています。この回を見ることで、なぜ台湾が今の姿になったのか、その背景が自然と見えてきます。

日本統治から始まった台湾近代史の出発点

1895年、日清戦争の結果として台湾は日本に割譲され、約50年間にわたり日本の植民地となりました。日本は台湾を「近代的な植民地」として整備し、鉄道や港、学校、上下水道などのインフラを次々に整えていきます。嘉南大圳に代表される大規模な水利事業は、農業と経済の基盤を支えました。一方で、漢民族が多数を占める平地社会と、山岳地帯に暮らす先住民に対し、日本は同化政策を進め、言語や文化の統制を強めていきました。
作家の呉濁流は、こうした政策に強い違和感を抱き、中国大陸へ渡ります。しかし「台湾から来た人間」という理由だけで冷たい視線を浴び、どこにも居場所を見いだせなかった経験は、台湾人が抱え続けたアイデンティティの揺らぎを象徴しています。

戦争と政権交代が生んだ分断と二二八事件

太平洋戦争が始まると、台湾の若者たちも日本軍として戦地に送られました。後に総統となる李登輝もその一人です。1945年、日本の敗戦によって統治は終わり、蒋介石率いる中華民国政府が台湾を接収します。当初、台湾の人々は新しい政権に期待を寄せましたが、やって来た兵士や官僚たちは、日本が残した家屋や工場を接収し、横領を重ねました。
こうして大陸出身者は外省人、台湾出身者は本省人と分けられ、社会の溝は深まります。1947年、本省人の不満が爆発し、発砲事件をきっかけに全島的な抗議運動が広がりました。これが二二八事件です。国民党政権は武力で鎮圧し、多くの市民が犠牲になりました。この出来事は、台湾社会に消えない傷を残しました。

冷戦下の台湾と国際社会での孤立

1949年、中国大陸では毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言し、蒋介石は台湾へ政府を移します。日本は1951年のサンフランシスコ平和条約で独立を回復しましたが、台湾の国際的な地位は曖昧なままでした。冷戦の中で台湾は反共の最前線とされながらも、1971年の国連決議で中国の代表権を失い、国際社会から切り離されていきます。
1972年の米中接近、日中国交正常化は台湾に大きな衝撃を与えました。1975年に蒋介石が死去し、台湾はアメリカとも断交され、「亜細亜的孤児」と呼ばれるほどの孤立感に包まれます。

戒厳令解除と民主化への歩み

長く続いた抑圧の時代は、1987年に大きく動きます。38年間続いた戒厳令が解除され、大陸出身者の親族訪問も解禁されました。社会に押し込められていた声が一気に表に出始めます。
1988年、李登輝が総統に就任し、初めて本省人が台湾のトップに立ちました。政治改革は加速し、総統は直接選挙で選ばれるようになります。1996年の総統直接選挙は、台湾が民主国家として歩み始めた象徴的な出来事でした。

経済の力で存在感を示す現代台湾

外交的に厳しい立場に置かれながらも、台湾は経済の力で世界に存在感を示してきました。その象徴が台湾積体電路製造、TSMCです。国連脱退で孤立を深めた台湾政府主導で設立されたこの企業は、今や世界の半導体産業を支える存在となり、「台湾の守り神」とも呼ばれています。
2023年にはAPECにモリス・チャンが出席し、台湾は経済力と技術力によって国際社会で発言力を持ち続けていることを示しました。外交関係の数では測れない、現代台湾の強さがここにあります。

130年の傷痕が語るもの

日本統治、戦争、分断、孤立、そして民主化と経済成長。台湾が歩んできた130年は、決して一直線ではありませんでした。しかし、その積み重ねが今の台湾社会を形作っています。『映像の世紀バタフライエフェクト』は、この長い時間の中で生まれた傷痕と再生を静かに、しかし力強く伝えていました。台湾の歴史を知ることは、アジアの現在を理解することにつながっています。

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日本で暮らす台湾出身者が語る「歴史の教わり方」の違い

しげゆき
しげゆき

ここでは、番組内容を補足する追加情報として、日本で暮らす台湾出身者の視点から見えてくる「歴史の教わり方の違い」について紹介します。これは評価や意見ではなく、実際に指摘されている教育の枠組みの違いを整理したものです。

台湾では長く「中国史の一部」として教えられてきた歴史

台湾の歴史教育は、長い間「中国史の延長」として扱われてきました。特に戦後の国民党政権下では、台湾史が独立した科目として十分に教えられず、台湾の出来事が中国全体の歴史の一部として整理されてきた時期が続きました。そのため、日本統治時代の台湾についても、「台湾がなぜ戦争に巻き込まれたのか」という因果関係が分かりにくくなるケースがありました。実際に、台湾が日本の統治下にあった時代であるにもかかわらず、日本からの空襲を「中国の抗日戦争の一環」として理解していた学生がいたことが報告されています。こうした誤解は、台湾史を中国史に含めて教える教育構造そのものが影響していると指摘されています。

日本の学校で学ぶ歴史との枠組みの違い

一方、日本の学校教育では、日本史と世界史という枠組みが明確に分かれており、台湾は日清戦争や日本統治の文脈の中で登場します。そのため、日本で学ぶ台湾史は、日本の近代史の一部として整理されることが多いのが特徴です。この違いによって、日本で暮らす台湾出身者は、「同じ台湾の歴史でも、日本で聞く説明と、台湾で学んだ内容が噛み合わない」と感じることがあります。特に日本統治期については、日本側の説明と、台湾での教育経験との間にズレを感じることが少なくありません。

歴史認識のズレが生む複雑な受け止め方

こうした教育の違いは、日本で暮らす台湾出身者が歴史について語る際にも影響を与えています。日本統治を単純に良い・悪いで語れない背景には、教わってきた歴史の切り取り方の違いがあります。台湾で育った人の中には、日本統治期を中国史の流れの中で学び、日本では別の文脈で語られることで、同じ出来事でも受け止め方が揺れる感覚を持つ人もいます。このズレこそが、台湾の歴史が一言では語れない理由の一つであり、番組が描いた「130年の傷痕」にもつながる重要な要素です。


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