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【ETV特集】それ、仏教かも。〜謎の寺・寳幢寺の実験〜|寳幢寺とは・仏教哲学の問答とは・お布施だけで成り立つ実験寺院の理由|2026年2月28日

ETV特集
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ETV特集「それ、仏教かも。〜謎の寺・寳幢寺の実験〜」

ETV特集「それ、仏教かも。〜謎の寺・寳幢寺の実験〜」(2026年2月28日放送)は、京都にある一つのお寺にぐっとカメラを寄せていきます。
舞台になるのは、少し不思議な雰囲気をまとったお寺、寳幢寺(ほうどうじ)です。

番組が追いかけるのは、「仏教は宗教というより“哲学”である」と語る人たちの姿です。
ここでは、いわゆるお参りや法要ではなく、「問答」と呼ばれる対話を通して、現代人の悩みに向き合っていきます。

約1年にわたる密着取材の中で、カメラは寳幢寺に通う人びとの表情の変化と、その裏側にある仏教哲学のエッセンスをすくい取っていきます。

京都に生まれた“実験寺院”寳幢寺とはどんな場所か

寳幢寺があるのは、京都市上京区。観光寺院が並ぶエリアとは少し違う、住宅や小さな店が混ざり合う街並みの一角です。
最寄り駅は京都市営地下鉄烏丸線の今出川駅で、そこから歩いて10分ほど。堀川今出川のバス停からも徒歩圏内という、市街地の真ん中に位置しています。

外観は、いかにも「お寺」という感じの山門や屋根瓦ではなく、平凡なビルのような建物。
それでも中に一歩入ると、そこは「実験寺院」と名乗る場。仏教が現代社会でどんな役に立てるのかを、実際の人びとの悩みと向き合いながら試していくことを使命に掲げています。

“実験”という言葉には、仏教を昔の形のまま守るのではなく、今の社会に合うように工夫し続ける、という意思が込められています。

葬式も檀家もないお寺?寳幢寺の型破りな運営スタイル

寳幢寺が「型破り」と言われる大きな理由のひとつが、運営のスタイルです。
ここでは、一般的なお寺でよく見られる葬儀や法要を行わず、檀家制度も採用していません。

その代わりに大切にしているのが、「仏教の学び」と「対話の場」です。
「お墓を守るためのお寺」ではなく、「生きている人が思考を深めるためのお寺」として設計されているのが、寳幢寺の大きな特徴と言えます。

日本の寺院の多くは、地域の葬儀や年中行事を支えることで成り立ってきました。
そのスタイルからあえて離れることで、寳幢寺は「寺とは何か」をもう一度ゼロから考え直そうとしています。これは、現代の日本仏教に対する、かなりラディカルな問いかけでもあります。

お布施だけで成り立つ「寄付の文化」という挑戦

もうひとつの大きな挑戦が、「活動資金のすべてを寄付でまかなう」という方針です。
寳幢寺は、運営費を企業スポンサーや事業収入ではなく、訪れる人たちからのお布施だけで成り立たせることを目指しています。

これは単なる資金調達の方法ではなく、「与え合う文化をつくる」という明確なビジョンにもつながっています。
損得勘定ではなく、「この場を支えたい」という気持ちでお金が巡る社会を試してみたい――その思いから、寄付文化のモデルケースとしての役割も担っているのです。

日本では、寄付で運営される宗教施設のイメージはまだ強くありません。
だからこそ寳幢寺は、「清浄なお寺であること」と「寄付の文化を育てること」をセットにして、新しい寺院像を提示しようとしています。

住職・松波龍源が目指す「仏教の社会実装」とは

寳幢寺を率いるのは、真言律宗の僧侶であり、住職の松波龍源です。
学生時代に武道と仏教に出会い、中国・北京で5年間の武術修行を行った後、奈良の西大寺で本格的な修行を積んだという、少し珍しい経歴の持ち主です。

松波は、日本の仏教が形だけ残り、中身が人びとの生活に十分に生かされていない状況に疑問を持ちました。
そこで彼が掲げたキーワードが「仏教の社会実装」。
経営や医療、行政、教育など、具体的な社会の現場で仏教の知恵をどう役立てるかを、本気で考え、実験していこうとしています。

この発想は、仏教を“信仰の対象”としてだけではなく、“人がよりよく生きるための技術”として見る視点でもあります。
番組では、その思想がどのように形になっているのかが、密着取材を通して描かれます。

現代人が求める仏教哲学:宗教から“思考の技術”へ

番組の中心にあるのは、「仏教哲学」という言葉です。
寳幢寺には、「仏教は宗教というより、現代人が使える哲学ではないか」という視点で学びに来る人が多く集まります。

仏教の教えは、本来「人の心はどう動き、苦しみはどこから生まれるのか」「どうすれば執着から自由になれるのか」といった、かなりロジカルな問いを扱っています。
そのため、考え方のフレームワークとして応用すると、ビジネスの意思決定や、人間関係の見直しにも役立つことがあります。

例えば、仏教でよく語られる「縁起」という考え方は、「物事はひとつの原因で起きているわけではなく、さまざまな条件が重なって生まれている」と説明します。
これは心理学やシステム思考とも通じる視点で、「誰かのせいにする」のではなく、「どんな条件が揃って今の状況ができているのか」を落ち着いて見つめ直すヒントになります。

番組では、こうした仏教哲学が、日常の悩みをどう整理し直してくれるのか、その手触りが伝わるように描かれていきます。

寳幢寺の「問答」――悩みをほどく仏教的ダイアログの現場

寳幢寺の中心的な実践が、「問答」と呼ばれる対話の場です。
ここでは、参加者が自分の抱えるテーマを持ち寄り、住職やスタッフ、時には他の参加者と一緒に、仏教の視点から問いを深めていきます。

「正解を教えてもらう」のではなく、「どんな前提で物事を見ているのか」「自分が本当に大事にしたいものは何か」を言葉にしていくプロセスこそが、問答の肝心なところです。
これは、カウンセリングやコーチングとも通じる部分がありますが、そこに仏教の教えがしっかりと根を張っている点が大きな違いです。

実際、寳幢寺では瞑想や身体感覚を重視したプログラムも行われており、「頭だけ」で悩みを解決しようとしない工夫がされています。
番組でも、この「問い続ける場」が、どのように人の表情や選択を変えていくのかが、時間をかけて描かれていきます。

経営者・医師・自治体担当者…なぜ多様な人が寳幢寺に集まるのか

寳幢寺を訪れる人びとは、とてもバラエティ豊かです。
企業の経営者や起業家、医師・看護師、大学関係者、自治体職員など、社会のさまざまな現場を支える人たちが足を運んでいます。

共通しているのは、「自分の判断や行動が、社会に大きな影響を与える立場にいる」ということ。
そうした人たちにとって、短期的な利益だけでなく、長い時間軸で“何が善いことなのか”を考える軸が必要になります。

仏教は、2500年以上にわたって「人の苦しみ」と向き合ってきた知恵の蓄積です。
そのエッセンスを組織づくりや医療の現場に生かそうとする動きが、ここ数年、世界的にも広がっています。寳幢寺は、その日本版の実験場のひとつとも言えるでしょう。

約1年の密着取材で見えてきた、人が変わる瞬間

番組スタッフは、約1年間にわたり、寳幢寺に通う人々を見つめ続けました。
最初はどこか硬い表情だった人が、何度か問答に参加し、時間をかけて自分の価値観を見直していくうちに、少しずつ肩の力が抜けていく――。

密着だからこそ撮れるのは、「きっかけ」ではなく「変化のプロセス」です。
悩みがすぐに消えるわけではありませんが、ものの見方が変わると、同じ状況でも受け止め方が変わり、行動も変わっていきます。

仏教は、もともと「心の使い方のトレーニング」という側面を持っています。
番組を通して、視聴者もまた、自分の考えグセや、つい陥りがちなパターンに気づくヒントを受け取ることができそうです。

なぜ今、仏教がふたたび注目されているのか

情報があふれ、仕事も生活もスピードが増す中で、「どう生きればいいのか」「何を大事にして働けばいいのか」といった根本的な問いを抱える人は増えています。

そんな時代に、仏教は「こうしなさい」と命令するのではなく、「そもそも、自分は何に執着しているのか」「何に怯えているのか」を静かに見つめる道具をくれます。
だからこそ、宗教として信仰する人だけでなく、「考え方としての仏教」に関心を持つ人が増えているのです。

寳幢寺のような場が注目される背景には、単に“変わったお寺がある”という面白さだけでなく、今の社会が抱える不安やモヤモヤに対して、仏教哲学が現実的な助けになるかもしれない、という期待が含まれています。

京都・寳幢寺へのアクセスと、訪ねるときに知っておきたいマナー

番組を見て、「実際に行ってみたい」と思う人もいるかもしれません。
寳幢寺は、京都市上京区上小川町にあり、地下鉄今出川駅から徒歩10分ほどの場所にあります。京都駅からタクシーを利用する場合は、「実験寺院 寳幢寺」で検索すると案内してもらいやすいと案内されています。

ただし、近年は来訪者が増えており、公式サイトでも「必ず事前に問い合わせをしてください」と呼びかけています。
ここは観光寺院ではなく、対話と学びの場として運営されている場所です。
静かな環境を守るためにも、いきなり押しかけるのではなく、案内にしたがって連絡を入れることが大切です。

語りを務める俳優・祷キララが添える番組の空気感

このETV特集で語りを務めるのは、俳優の祷キララです。
落ち着いた声で視聴者を導きながら、寳幢寺で交わされる言葉や、そこで揺れ動く人の心にそっと寄り添っていきます。

ドキュメンタリー番組では、ナレーションのトーンが作品全体の印象を大きく左右します。
祷キララの柔らかな語りは、「仏教」というテーマに構えがちな人の心をほぐし、あくまでひとりの人間の物語として受け取れるようにしてくれるはずです。

仏教に詳しくない人でも、「なんだか自分の悩みにも当てはまりそうだな」と感じながら、静かに番組の世界に入り込める構成になっています。

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