「時を戻せるならば 福島浪江町 時計店の100年」
NHK総合の防災番組明日をまもるナビは、「いのちと暮らしを守る」をテーマに、災害や復興に向き合う人たちの姿を伝えてきたシリーズです。
今回の「時を戻せるならば 福島浪江町 時計店の100年」では、福島県浪江町から避難を余儀なくされた一軒の老舗時計店と、その店主の人生がじっくり描かれます。
番組の主人公は、町の人たちに愛された原田時計店の三代目店主・原田雄一さん(76)。原田時計店
東日本大震災と原発事故で町が一変し、店は内陸の町へ移転。それでも原田さんは、離れ離れになった仲間のもとを車で二百キロ以上かけて訪ね、かつて自分が販売した補聴器の修理を続けてきました。
語りを務めるのは、女優の倍賞千恵子さん。柔らかな声で、原田さんの十五年の歩みと胸に去来する思いを、静かにすくい上げていきます。
番組では、防災や復興という言葉だけでは語り切れない、「人と人とのつながり」「故郷への思い」が丁寧に追いかけられます。
浪江町で百年続いた原田時計店の歴史
原田時計店は、大正時代の1920年代に創業したとされる老舗で、約百年にわたって浪江町の中心部で時計・めがね・宝飾・カメラなどを扱ってきました。
昭和から平成にかけて、町の人が腕時計の電池を替えるのも、メガネを直すのも、記念日の贈り物を買うのも、向かう先はいつも同じ店。時計店というより、「暮らしの便利屋さん」「相談窓口」のような場所だったといわれています。
地方の商店街では、時計店やめがね店が補聴器を扱うことが多くあります。耳鼻科の診察と連携しながら、地元の高齢者の「聞こえ」の相談に長年付き添う役割を担ってきたからです。原田時計店も例外ではなく、耳の悩みを抱える人たちの心強い味方でした。
番組では、そんな百年の積み重ねが、町の写真や店内の古い時計、そして原田さんの言葉を通して、静かに浮かび上がっていきます。
原発事故がもたらした避難と、町から店が消えた日
2011年、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故によって、浪江町の2万人以上の住民は一斉に避難を迫られました。
商店街も例外ではなく、多くの店がシャッターを閉め、そのまま再開できないまま年月だけが過ぎていきます。かつて人が行き交っていた通りから、街灯だけが残る光景は、多くの住民にとって「故郷が消えてしまった」というショックそのものでした。
原田時計店も、長く店を構えてきた町から離れる決断をします。建物は残っても、お客さんも店主も町の外へ散り散りに。店の看板だけが、そこに暮らしていた人々の時間を証明している――そんな状況が、福島の被災地には今も少なからず残っています。
番組では、原発事故から十五年近く経った今も、完全な「帰町宣言」ができない現実が語られます。避難指示の解除が進んでも、仕事や学校、家族の事情から、簡単には戻れない人が大勢いるのです。
内陸の町・二本松市で始まった時計店の再出発
避難後、原田さんは福島県内陸部の二本松市で、店を再開しました。商業施設や飲食店と並ぶ敷地に、新たな原田時計店の看板を掲げ、時計・メガネ・宝飾・補聴器を扱う店として歩き出します。
新しい場所では、これまでの常連客だけでなく、二本松周辺の人たちも訪れるようになります。しかし原田さんの心の中には、いつも浪江町の商店街や、そこで出会ったお客さんの顔が残ったままです。
日本の被災地では、こうして「避難先で再出発した店」が少なくありません。新しい土地で営業を続けながらも、元の町とのつながりをどう保つか――多くの店主が同じ悩みを抱えています。番組は、その一例として原田さんの選択を追いかけます。
離れ離れになった仲間のもとへ 二百キロを走る補聴器修理
原田さんが今も続けているのが、かつて浪江町で補聴器を購入してくれた人たちのもとを訪ね歩くことです。車で走る距離は、時に片道二百キロを超えます。
補聴器は、定期的なメンテナンスが欠かせない精密機器です。耳に合っているか、音の調整が必要か、電池交換は大丈夫か――こうした細かなケアを怠ると、「せっかく買ったのに使わなくなる」ということがよく起きます。
避難生活の中では、病院も店も遠くなり、高齢者が自力で店まで出向くことは大きな負担になります。だからこそ原田さんは、自ら車を走らせます。「聞こえるようになったあの日」から途切れないように、お客さんとの時間を守るためです。
番組では、雪道や山道を越えながら、離れ離れになった仲間の家を一軒一軒訪ねていく原田さんの姿が描かれます。そこにあるのは「商売」というより、「約束を守り続ける」行為に近いように見えます。
「みんなで故郷に帰る」ために描かれた青写真とは
原発事故後、原田さんは「いつかみんなで浪江に帰ろう」という思いを胸に、具体的な“青写真”を描いてきました。
商工会の仲間たちと、いつ、どんな形で店を再開するか。どのエリアの避難指示が解除されれば、どこから人の流れが戻ってくるか。商店街をどう再生すれば、若い世代も帰って来やすいか。
実際、被災地では行政だけでなく、商店主や住民たちが自分たちなりの復興プランを考え続けてきました。インフラ整備や除染の計画だけでは測れない、「暮らしの再生」の青写真です。
番組では、原田さんがどんな未来図を思い描き、どこまで実現できたのか、どんなところで壁にぶつかったのかが語られます。その青写真は、単なる計画書ではなく、「仲間と一緒に笑っていたあの頃」にもう一度近づきたいという、心の地図でもあります。
帰還をあきらめた人たちの決断と、その舞台裏
避難から年月が進むほど、「やっぱり戻れない」という決断をする人も増えていきました。
子どもの学校、職場、家族の介護、新しい地域での人間関係――一度根を下ろした場所から、もう一度動くのは簡単ではありません。家は浪江町にあっても、「生活のすべて」は別の町に移ってしまった人も多いのです。
番組では、そんな仲間たちの思いにも触れます。戻らないと決めた人の選択が、「ふるさとを捨てた」のではなく、「家族の今を守るための決断」であること。原田さんも、それを理解しながら受け止めていること。
防災や復興の話というと、「戻るか戻らないか」の二択で語られがちですが、その間には数えきれない事情と物語があります。そのグラデーションを、番組はすくい取ろうとしています。
原田雄一さんが十五年間抱え続けてきた思い
三代目店主の原田雄一さんは、震災前、商工会の役員として町のにぎわいづくりに取り組んできました。原発事故後の十五年間、彼が抱えてきた思いは一言では言い表せません。
「自分がもっとこうしていれば」「あの時別の選択をしていれば」と、自分を責める気持ち。
避難先で店を続ける中で、「それでも生きていかなければ」という覚悟。
そして、「時間を巻き戻したい」と願いながらも、今の現実の上に何かを積み重ねようとする決意。
明日をまもるナビのカメラは、補聴器を調整する手元や、車を走らせる表情、静かに言葉を選ぶ横顔を通して、その葛藤と希望を映し出します。
防災番組という枠を超えて、「一人の人間が予想もしなかった出来事とどう向き合ってきたか」という、深い人生のドキュメントになっています。
浪江町はいまどうなっているのか 復興の現在地
浪江町では、2017年に一部の避難指示が解除され、その後も特定復興再生拠点区域の解除が進んできました。それでも、町全体の人口は震災前より大きく減ったままで、今も帰還困難区域が残っています。
新しい商業施設や住宅が整備される一方で、空き地や更地が目立つ場所もあります。新たに移り住む人、週末だけ町に戻る人、まったく戻らない人――いろいろな「距離感」で故郷とつながる人たちが存在しています。
番組は、そうした現在の町の姿もあわせて映し出し、「復興とは何か」「元に戻るとはどういうことか」を静かに問いかけます。
防災や減災を考えるとき、「被害を減らす方法」だけでなく、「被害のあと、どう生きていくか」という視点が欠かせません。浪江町の今は、その問いに向き合うための大切な現場の一つです。
時計と補聴器がつなぐ“ふるさと”の記憶と、私たちへのメッセージ
時計は、止まったままでも、そこに刻まれた傷や文字盤が「過ごしてきた時間」を語ります。補聴器は、小さな機械ですが、人の声や鳥のさえずり、日常の音を通して「暮らしの輪郭」を取り戻させてくれます。
原田さんが続けている仕事は、単に機械を直すことではなく、「あの頃の暮らし」と「今の暮らし」を、細いけれど確かな糸で結び直すことなのだと思います。
地震や台風、水害など、いつどこで災害が起きてもおかしくない日本で、「明日を守る」とはどういうことか。
それは、建物を補強したり、防災グッズをそろえたりするだけでなく、
誰かが困っているときに手を伸ばせる関係を、普段から少しずつ育てておくこと。
そして、失われたものに目を背けず、残ったつながりを大事にし続けること。
この回の明日をまもるナビは、福島の一軒の時計店を通して、そのことを静かに教えてくれる番組になりそうです。
読者としては、原田さんの姿に自分や家族を重ねながら、「自分の町で、誰の時間や声を守りたいのか」を考えるきっかけになるはずです。
NHK【明日をまもるナビ(180)】能登半島地震2年 人口減少の中での復興|輪島市の子ども支援とごちゃまるクリニック、関係人口の力|2025年12月14日
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