国技館はすべてを見ている 相撲の舞台が語る本当の顔
このページでは『大相撲どすこい研(2026年1月2日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
舞台は両国国技館。年6回行われる大相撲本場所のうち、半分を担うこの場所は、ただの会場ではありません。力士の緊張も歓声も、喜びも悔しさも、すべてを受け止めてきた特別な空間です。この記事を読むことで、国技館がなぜ力士にとって特別なのか、なぜ「人生の学校」と呼ばれるのかが、番組の言葉とエピソードから見えてきます。
国技館ってどんな場所?力士の体が覚えている違い
番組は「国技館ってどんな場所?」という素朴な疑問から始まります。
能町みね子さんは国技館への思い入れを語り、吉田さんは何度も足を運んだ経験を振り返ります。二所ノ関親方は、初めて国技館の土俵に上がった記憶を今も鮮明に覚えていると話しました。それは『わんぱく相撲』の土俵だったといいます。
力士たちの証言も具体的です。一山本は、大阪場所や名古屋場所では観客と会わずに会場入りするのに対し、国技館ではお客さんの前を通って入ることを挙げました。駐車場から入口までの距離があり、自然と気持ちが切り替わるそうです。
美ノ海は「土俵が近い」と感じると言い、藤ノ川は支度部屋の配置が他の場所と違うと話します。若元春は、国技館の花道が広く感じられる点を挙げました。地方場所では花道が観客の通路と重なることもありますが、国技館では力士のための空間が確保されています。
音が違う、空気が違う 国技館ならではの臨場感
国技館の大きな特徴として語られたのが「音」です。
「反響がいい」「上から声が降ってくる感じがある」という言葉が相次ぎました。これは建物の構造によるものです。国技館は『大鉄傘』と呼ばれる大きな屋根を持ち、鉄骨がむき出しになった独特の空間をしています。
そのため、白鵬と稀勢の里の名勝負のような一番では、歓声が一気に土俵へ集まり、力士の体に直接届く感覚が生まれます。観客の声援が力士を押し、同時に逃げ場のない緊張感も生む。それが国技館の臨場感です。
国技館は何が特別?優勝額と歴史が並ぶ景色
隆の勝は、国技館が特別に感じられる理由として、歴代優勝者の写真が並ぶ光景を挙げました。
この『優勝額』は年に3回、東京場所の前に入れ替えられます。1枚の重さは約60キロ。本場所の前日に、関係者の手で取り付けられます。二所ノ関親方は、この優勝額を飾るために部屋の天井を高くしたと話しました。
かつては白黒写真に絵の具で色をつけていた時代もあり、そこには大相撲の歴史が刻まれています。国技館は、今の相撲だけでなく、過去の力士たちの歩みを常に見下ろしている場所でもあります。
国技館で強い力士は誰?数字が語る相性
番組では、国技館での勝率にも注目しました。
断トツの勝率80%を誇るのが、第75代横綱大の里です。新入幕から国技館で5場所を経験し、そのまま横綱へと駆け上がりました。地方3場所での勝率は70%で、国技館との相性の良さが際立ちます。
思い入れの一番として語られたのが、初めての5月場所。初の横綱戦で敗れ、『大相撲』の世界とアマチュアとの違いを思い知った一番でした。その4か月後、再び国技館で巡ってきた横綱戦では、急成長した姿を見せています。
優勝4回のうち3回が国技館という事実も、この場所が力を引き出す舞台であることを示しています。吉田さんは、国技館と地方場所の差が最も大きかった力士として貴ノ花を挙げ、大関時代は国技館で優勝し、地方では優勝しなかったというデータを紹介しました。
得意と不得意はなぜ生まれる?心と生活の距離
国技館が得意な力士、不得意な力士。その差にも理由があります。
勝率2位の若隆景は、小さい頃から国技館を目標にしてきたため、土俵に上がるだけで気持ちが高まると話しました。さらに、自宅に戻って家族と過ごせることで、心身ともに整えられる点も大きいそうです。
一方、一山本は国技館での勝率が地方より低く、「リラックスしすぎているのかもしれない」と自己分析しました。親方の話では、巡業から体を作ってそのまま本場所に入る調整法があり、国技館の3場所と九州場所は巡業があるため相性が良かったとのことです。
白鵬の63連勝を止めた一番が九州場所だったというエピソードも、場所と調整の関係を物語っています。
国技館の裏側 相撲教習所というもう一つの土俵
国技館の正面入口とは反対側にあるのが『相撲教習所』です。ここでは力士に必要な体づくりだけでなく、一般教養も学びます。
幕内に昇進できるのは7%未満。10年前の新弟子検査の映像には霧島の姿もありました。教習所には土俵が3つあり、経験によって使う場所が分かれます。霧島は真ん中のB土俵からスタートし、A土俵に上がったものの、そこには強者がひしめいていました。
霧島は「相手の嫌がる相撲を取ろう、それしか考えていなかった」と語ります。二所ノ関親方もB土俵から始めた一人で、相撲経験が浅かったことが、かえって教習所でプラスに働いたと振り返りました。
国技館 誕生秘話と相撲の歴史
国技館の歴史は明治42年、両国・回向院の境内に初代国技館が完成したことから始まります。双葉山の69連勝は、ここで達成されました。
しかし空襲で建物は焼失し、戦後はGHQに接収され『MEMORIAL HALL』と改名、日本人は立ち入れなくなります。大相撲は各地を転々とし、雨で中止になることもありました。
2代目国技館の建設を主導したのが武蔵川親方です。蔵前で国技館を復活させ、輪島、貴ノ花、北の湖といったスター力士が生まれました。その後、老朽化により3代目建設が決まり、春日野親方と二子山親方が資金集めを進めます。
昭和60年1月、新国技館が完成。初場所の前売りには5000人もの行列ができました。
引退相撲と断髪式 国技館が見届ける最後の土俵
国技館は、力士の終わりも見続けています。
引退相撲には7000人が集まりました。元琴恵光の尾車親方。技巧派として48場所、17年間戦い続け、結い続けた髷を土俵の上で切ります。琴櫻との最後の一番、日向ひょっとこ踊り、関取全員の取組。場内は半分お祭りのような空気でした。
吉田さんは、貴ノ浪の断髪式で司会を務めた思い出を語ります。最後に挟みを入れる予定の二子山親方がなかなか現れず、ようやく到着した瞬間の安堵感。その一つ一つが、国技館の記憶です。
国技館とは〇〇だ 力士たちの答え
番組の最後に投げかけられた問いが「国技館とは〇〇だ!」でした。
阿炎は「相撲ができることが幸せな場所」、正代は「第二の実家」、玉鷲は「人生の学校」と表現しました。
今田耕司さんは「国技館とはなんばグランド花月みたいなもの」と語り、立ち合い説明会を吉本興業のコンプライアンス研修になぞらえて笑いを誘いました。
まとめ 国技館は相撲そのもの
両国国技館は、勝ち負けだけを決める場所ではありません。力士が育ち、迷い、輝き、去っていく、そのすべてを見続けてきました。
『大相撲どすこい研(2026年1月2日放送)』は、国技館という舞台そのものが、相撲の歴史であり、今も動き続ける存在であることを、静かに、そして熱く伝えていました。
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