極寒の町にカーリングが芽生えた日
このページでは『新プロジェクトX〜挑戦者たち〜 カーリング 極寒の町に熱狂を〜じっちゃんが夢をくれた〜(2026年1月16日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
北海道の小さな町・常呂町が、なぜカーリングの町として知られるようになったのか。その始まりにいた一人の人物と、競技が生まれた最初の出来事を、番組内容に沿って整理します。この記事を読むことで、町に何もなかった時代から、競技が根を下ろす最初の一歩までを理解できます。
破天荒な酒屋・小栗祐治がカーリングと出会うまで
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北海道オホーツク海に面した 常呂町 は、冬になると海が流氷に覆われ、長い寒さが続く地域です。番組では、この厳しい自然環境の中にある町で、酒屋を営んでいた 小栗祐治 が、すべての始まりにいた人物として描かれました。
当時の 常呂町 は、目立った産業や若者の流出など、地方の小さな町が抱える課題を多く抱えていたことも背景として語られています。
小栗祐治 は、ひとつのことに強く引き寄せられる性格で、興味を持つと生活の中心になるほど没頭してきた人物でした。番組では、野鳥の写真撮影に夢中になり、山から戻らず家族が心配して捜索する騒ぎになったことや、ボウリングに打ち込んだ際には、レーンに塗られるオイルの種類や塗り方まで調べ上げていたことが紹介されています。
こうした行動から、小栗が単なる趣味ではなく、「納得するまでやり切る」姿勢を持っていたことが伝えられていました。
そのボウリングも、町のボウリング場が閉鎖されたことで続けられなくなります。次に打ち込めるものを探していた 1980年、小栗はラジオ放送の中で『カーリング講習会』が開かれるという情報を耳にしました。
この時点で 常呂町 にカーリングのリンクや道具はなく、競技そのものを知る人もほとんどいませんでした。それでも小栗は、その聞き慣れない競技に強い関心を持ち、講習会が行われる北海道内の別の町まで足を運ぶことを決めます。
番組では、この「ラジオで聞いた情報をきっかけに行動した」という事実が、後に 常呂町 を カーリング の町へと変えていく最初の分岐点として描かれていました。ここから、小栗祐治とカーリング、そして町の長い物語が動き始めていきます。
160キロ先の講習会と最初の一歩
小栗祐治 は、北海道・池田町で行われる カーリング講習会 の存在を知ると、すぐに行動に移します。
常呂町 から 池田町 までは、片道およそ 160キロ。決して近い距離ではありませんが、小栗は迷わず車を走らせ、実際に競技を自分の目で確かめるために見学に向かいました。
番組では、この移動そのものが、後に語られる 「常呂町のカーリング史の出発点」 として位置づけられています。
当時の 常呂町 には、カーリング専用のリンクはなく、ストーンなどの道具も一切ありませんでした。
町の中でカーリングを知る人もほとんどおらず、競技として根づく下地は何もない状態でしたが、小栗は講習会で目にした カーリングという競技そのもの に強く引きつけられます。
ここで番組が強調していたのは、小栗が 大会成績 や 将来の実績 を見据えていたわけではない、という点です。
オリンピックや全国大会といった目標が先にあったのではなく、
「実際に見て、触れてみて、やってみたいと思った」
その 純粋な関心 が、すべての行動の出発点でした。
小栗は講習会を見学したあと、この競技を常呂町に持ち帰ろう と決めます。
設備も仲間もそろっていない状況であっても、まずは町でやってみる。
番組では、この判断が、後に多くの人を巻き込み、常呂町がカーリングの町へと変わっていく流れの第一歩 だったことが、事実として語られていました。
深夜の駐車場で始まったリンク作り
番組では、講習会から常呂町に戻ったあとの小栗祐治の行動も、具体的に描かれています。
小栗は、正式なリンクがない状況でも競技を始めようとし、夜遅くに町の駐車場へ水をまき、氷を張ろうとする姿が目撃されました。
それは特別な施設ではなく、普段は車が停まる場所で、身近な空間を使った試みでした。
この作業に、次第に地元の人たちが関わっていきます。
最初は事情も分からず、しぶしぶ手伝った住民や、成り行きで声をかけられた人もいましたが、小栗の行動をきっかけに、作業は一人ではなくなっていきました。
水を運ぶ人、氷の様子を見る人など、少しずつ手が増え、町の中にカーリングのための場所が形として現れ始めます。
できあがったリンクは、あくまで仮設の簡易的なもので、整った競技施設とは言えませんでした。
それでも番組では、この時点で重要だったのは完成度ではなく、
「常呂町でカーリングを実際にやる場所ができた」
という事実だったと伝えられています。
誰かが見に来て、誰かが手伝い、町の中で競技が動き出す。
この夜の出来事が、カーリングが常呂町に根を下ろしていく最初の瞬間として、番組の中で位置づけられていました。
手作りストーンと広がる参加者
当時の 常呂町 では、カーリング に使う正式な ストーン を用意することができませんでした。
番組では、その代わりとして、鉄工所を営む知人が取っ手を溶接して作った手作りのストーン や、身の回りにある重たい物を代用していた様子が具体的に紹介されています。
中には、ガスボンベや墓石のような石材 までストーンとして使われたこともあり、競技環境は決して整ったものではありませんでした。
こうした 見よう見まねの環境 の中でも、実際に氷の上で投げてみると、思いのほか競技として成立し、
「やってみると面白い」
という声が自然と広がっていきます。
番組では、この反応が特定の誰かではなく、プレーした人たちの間から少しずつ生まれていったことが伝えられていました。
参加していたのは、もともとカーリングとは無縁だった 大人たち です。
ママさんバレー に打ち込んでいた人、農作業 に従事していた人など、日々の生活も立場も異なる住民が、仕事や家事の合間にリンクへ集まるようになります。
競技経験の有無に関係なく、同じ氷の上に立ち、ストーンを投げることで、町の中に新しい時間の過ごし方が生まれていきました。
ここで番組が示していたのは、常呂町のカーリング が、
最初から 競技人口の拡大 や 大会での実績 を目的に始まったものではなかった、という事実です。
立派な道具も指導体制もない中で、
「やってみたら続いた」
「人が集まった」
その積み重ねによって、カーリングが町の中に自然に入り込んでいった過程 が、ありのままに描かれていました。
この段階では、勝ち負けよりも、
町の中に人が集まり、同じことを楽しむ場が生まれた
という事実そのものが、後につながる大きな土台になっていきます。
町の中に生まれた最初の熱
番組の前半で描かれているのは、誰かが作った計画 や 行政主導の取り組み ではありません。
中心にいたのは 小栗祐治 で、その周りにいた人たちが、
「見てみる」
「手伝う」
「やってみる」
という流れで、少しずつ関わっていく様子が丁寧に描かれています。
小栗が声をかけ、誘われた人がさらに別の人を呼ぶ。
その繰り返しによって、カーリング は特定のグループだけのものではなく、常呂町 の中に広がっていきました。
番組では、この広がり方がとても自然で、無理に人を集めた形ではなかったことが事実として伝えられています。
この段階では、
オリンピック
全国大会
日本代表
といった言葉は、まだ話題にもなっていません。
当時、常呂町 で起きていたのは、
「新しいスポーツを町でやってみる」
という、ごく身近な出来事でした。
リンクは簡易的で、道具もそろっていない。
それでも、氷の上に集まり、同じ競技を体験することで、町の中に共通の時間が生まれていきます。
番組では、この「同じ場所で、同じことをする時間」が、人と人を結びつけていった様子が描かれていました。
結果として、この 小さな始まり が、後に 日本代表選手 を育てる土台になっていきます。
最初から高い目標を掲げていたわけではなく、
町の中で続いた日常の積み重ねが、常呂町をカーリングの町へと変えていく下地 になっていったことが、番組前半の重要なポイントとして示されていました。
まとめ
『新プロジェクトX』のこの回では、カーリングの町・常呂町の原点として、小栗祐治が競技と出会い、町に持ち帰った最初の行動が丁寧に描かれています。
酒屋を営む一人の大人が講習会に足を運び、深夜の駐車場で氷を張り、手作りの道具で競技を始めたという事実が、その後のすべてにつながっていきました。この「始まりの部分」を押さえることで、後に続く選手育成やチーム誕生の流れが理解しやすくなります。
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