赤羽が“せんべろの聖地”になった理由とは?
このページでは『ブラタモリ 東京・赤羽(2025年1月31日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
新宿へわずか数駅という便利さと、昼から人が集まる“飲み屋の迷宮”。その明るいにぎわいの裏には、戦国の城跡、台地と低地が交差する独特の地形、そして焼け跡から立ち上がった商店街の物語が息づいています。
タモリさんが歩くと、何気ない路地が歴史の舞台に変わり、街の姿が立体的に見えてくる。そんな面白さあふれる赤羽の秘密を、ぎゅっと凝縮してお届けします。
赤羽はどうやって“せんべろの聖地”になったのか
![]()
ブラタモリが今回歩くのは、東京の北の玄関口として知られる赤羽です。新宿まで電車で約15分という抜群のアクセスを持ちながら、街を一歩歩けば立ち飲み屋がずらりと並び、今では全国からファンが訪れる“せんべろの町”として人気を集めています。赤ちょうちんの灯りと昭和の空気がそのまま残る路地が多く、はしご酒を楽しむ人たちの笑い声があちこちから聞こえてくるにぎやかなエリアです。
このにぎわいの始まりは、戦後すぐに生まれた闇市でした。空襲で街のほとんどが焼けてしまった赤羽駅前には、生活必需品を扱う店が並び、やがて商店街として整備されました。昭和を通じて個人経営の店が増えると、安くておいしいお酒やつまみを出す店が次々と登場し、飲み文化が根付いていきました。こうして、いつでも気軽に立ち寄れる“飲兵衛の楽園”がつくられていったのです。
いまの赤羽には、人情味あふれる個人店、昔ながらのもつ焼き屋、昼から開く立ち飲み屋など、幅広いスタイルの店がそろっています。観光客、一人飲みデビューの人、仕事帰りの常連客―どんな人でも自然と混ざり合える空気があるのが、この街の特徴です。番組では、この独特のにぎわいがどのようにして生まれたのかを、歴史と地形の視点から深く掘り下げていきます。
戦国時代の「稲付城」が示す赤羽の原点
赤羽の成り立ちを考えるうえで重要なのが、戦国時代に築かれた稲付城です。現在は静勝寺が立つ場所ですが、かつては台地の突端にある要害で、江戸方面から関東北部へ向かうルートを押さえるために設けられていました。川や崖に囲まれた地の利を活かした城で、この地形こそが赤羽の成長の基礎となりました。
赤羽の地形は、町の東西でまったく違います。西側は標高20〜30メートルほどの武蔵野台地で、坂道や階段が続き、住宅がぎっしりと並ぶエリアになっています。一方で東側は荒川に向かってひらけた低地で、駅から歩くとすぐ平らな道が広がります。このくっきりとした地形の差は、川が台地を削ってできた「崖線」によるもので、まさに街の性格を分ける境目となっています。
タモリさんが得意とする「地形の読み解き」が面白さを増す回でもあります。崖線の上から見渡すと、城が置かれた理由や、なぜこの場所に人が集まってきたのかといった“地形の必然”がはっきりと分かってきます。街歩きをしながら、坂の向こうに戦国時代の記憶が重なって見えるような、不思議な感覚が味わえるでしょう。
鉄道が赤羽を“東京の北の玄関口”へ押し上げた
赤羽を語る上で欠かせないのが、交通の要所としての役割です。現在のJR赤羽駅には、京浜東北線・埼京線・宇都宮線・高崎線・湘南新宿ラインなど数多くの路線が通り、東京と埼玉・北関東を結ぶ大動脈として機能しています。毎日多くの人が乗り降りし、駅周辺には商店や飲食店が集まり、大きなにぎわいを生み出しています。
鉄道がひらいた街の姿には、地形との深い関係があります。武蔵野台地の縁に沿うように線路が敷かれているため、駅の西側と東側でまったく違う町並みが広がりました。台地側には住宅が整然と並び、低地側には商業エリアが伸びていくという、自然と都市の構造が重なり合った発展の仕方をしています。
かつては旧陸軍の被服倉庫や火薬庫などもあり、その物資を運ぶための鉄道施設や貨物線が周辺に張り巡らされていました。いまも街のあちこちに、わずかに線路の跡を思わせる土手や高まりが残っていて、それが町の成り立ちを静かに物語っています。こうした痕跡を見つけながら歩くのも、ブラタモリならではの醍醐味です。
焼け跡から生まれた商店街が、現在のにぎわいへ
戦後の赤羽は、空襲で大きな被害を受けた「焼け跡」からの復興が始まりでした。駅前には闇市が立ち、人々の日常を支えるために自然発生的に店が並びました。これがのちに「復興会商店街」として整備され、現在の赤羽一番街商店街へと発展していきます。
全長約400メートルの通りには、食料品店や飲食店が並び、地域の暮らしに欠かせない商業地として成長しました。昭和が進むにつれ、飲食店の割合が増え、個性豊かな酒場が軒を連ねるようになり、独自の飲み文化が形成されていきました。
現在では、立ち飲み、もつ焼き、おでん、焼き鳥、海鮮酒場など多様なスタイルの店が共存していて、日中からはしご酒を楽しむ人が絶えません。チェーン店よりも個人店の存在感が強く、温かい雰囲気の中で、どの店にも気軽にふらっと入れる居心地の良さがあります。この土地の“敷居の低さ”こそが、赤羽という街の最大の魅力です。
赤羽台団地とスターハウスが映す戦後ニッポンの生活
赤羽には、戦後日本の住宅史を象徴する建物も残っています。それが赤羽台団地と、独特の形で知られるスターハウスです。1960年代初頭に建てられた赤羽台団地は、都市型の大規模団地としては先進的な存在で、新しい生活スタイルを広く示した場所でもありました。
スターハウスは、上空から見ると星型に見える特徴的な建物で、当時の団地の中でも特に珍しい形です。建設コストの高さなどから全国でも数が少なく、老朽化で取り壊される例も多い中、赤羽台のスターハウスは貴重な文化財として登録されています。団地の中を歩くと、昭和の暮らしや住まいの工夫がいまも感じられ、時代を超えて残ってきた価値を強く実感できます。
団地が建てられる前、この場所には旧陸軍の倉庫や施設が並んでいました。その跡地を利用するかたちで、最新設備を備えた団地が誕生し、日本全国の住宅のモデルケースになっていったのです。台地の上に広々と配置された住棟の並びや動線は、地形を読み解くことでさらに深く理解できます。番組では、この団地と地形の関係も丁寧に掘り下げながら、赤羽が歩んできた戦後の変化を鮮やかに描いてくれるはずです。
赤羽は、戦国時代の城跡から鉄道の発展、戦後の再出発、商店街のにぎわい、そして団地の誕生まで、多くの歴史が折り重なってできた街です。飲み屋街としての明るい雰囲気の裏には、地形・交通・文化の積み重ねがあります。ブラタモリが歩くことで、この街がただの“せんべろタウン”ではなく、日本の都市の変化を象徴する場所であることが、より鮮明に見えてきます。
まとめ
赤羽は、戦国の城跡から鉄道の発展、そして“せんべろ文化”まで、重なる歴史が現在の姿を形づくっています。坂と崖線がつくる独特の地形、焼け跡から生まれた商店街、今も進化を続ける街並み―そのすべてが魅力として息づいています。
本記事の内容は、実際の放送内容と異なる場合があります。放送を確認し、内容を精査したうえで、のちほど追記を行います。
NHK【首都圏いちオシ!】中川家礼二の沿線いちオシ!JR山手線スペシャル下町編|山手線下町スポット・品川田端全駅・140年の歴史|2025年12月20日
気になるNHKをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

コメント