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NHK【ブラタモリ】東京・赤羽▼都内で大人気!せんべろの町誕生の秘密を“地形と一番街の歴史”から深掘り!赤羽台地が生んだ独自のルートとは|2026年1月31日

ブラタモリ
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赤羽という町が“せんべろの聖地”になった理由

このページでは『ブラタモリ 東京・赤羽(2026年1月31日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。

東京の北の玄関口にして、昼から人が集まる赤羽。駅を降りた瞬間に感じる熱気の裏側には、城が築かれた台地、軍都としての発展、そして戦後の焼け跡から生まれた商店街という、重層的な物語があります。

タモリさんが歩いた路地には、過去と現在が入り混じる独特のリズムが息づいていました。歴史を知るほど、なぜせんべろの町がここに生まれたのかが、はっきり見えてきます。

赤羽はなぜ「せんべろの町」になったのか

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東京北端にある赤羽は、「千円でベロベロに酔える」街として全国区の知名度を手に入れました。『ブラタモリ』では、このにぎやかな飲み屋の町が、たまたま生まれたのではなく、地形と歴史、戦後復興、そして人々の暮らしが積み重なった“必然の結果”だと示していきます。

番組のテーマは「せんべろの町・赤羽はどうできた?」。赤羽駅の東側には居酒屋や立ち飲みがびっしり並び、昼間からハシゴ酒を楽しむ人であふれています。一方、西側に出ると一気に静かな住宅街とお寺の世界に変わります。この「東の飲み屋街」「西の静かな台地」という対照的な顔を読み解くことが、せんべろの町の成り立ちを知る近道だと、タモリさんは歩きながら確信していきます。

城と寺が見守る台地の物語 静勝寺と稲付城

赤羽駅西側を歩いてすぐに現れるのが、丘の上にたたずむ静勝寺。ここは、室町時代の武将・太田道灌が築いたとされる稲付城の跡に建てられた寺院です。太田道灌は、のちに江戸城の基礎を築いた武将として知られ、関東支配の要として、この台地の突端に城を構えました。

稲付城があった赤羽台地は、周囲より一段高く、崖線の上に位置します。攻め込まれにくく、遠くまで見渡せるこの地形は、中世には軍事拠点として、近代以降は軍事施設や鉄道網の要衝として活用されてきました。駅を境に「西が高く、東が低い」という高低差は、タモリさん好みの“ブラタモリ的高低差ポイント”。この段差こそが、静かな住宅地とにぎやかな飲み屋街という、赤羽の二つの顔を生み出すベースになっています。

静勝寺の境内からは、かつて城下町だった面影とともに、現在の街並みも一望できます。中世から続く“見張りの丘”が、現代では“街全体を見渡す展望台”となり、歴史のレイヤーが一つの場所に重なっていることを、ブラタモリらしい視点で見せてくれます。

軍都・鉄道ターミナルとして発展した赤羽

赤羽が一気に発展するきっかけになったのが、明治時代の鉄道です。新橋~横浜間の鉄道開業に続き、上野~熊谷を結ぶ路線が整備され、その二つをつなぐ形で品川~赤羽間の線路が敷かれました。荒川を新たに渡る鉄橋を増やさずに路線同士を接続するには、赤羽が最適な結節点だったのです。

さらに、北区一帯には明治以降、赤羽火薬庫東京第二陸軍造兵廠などの陸軍施設が集中的に配置され、「軍都」と呼ばれるほどの軍事拠点に発展しました。火薬や兵器、軍服などを生産する工場と、それらを首都圏の各地へ運ぶための専用線路が張り巡らされ、赤羽は“前線を支える後方基地”としてフル稼働します。

軍需施設が集中した結果、赤羽には全国から労働者が集まりました。工場勤務の人々、軍の関係者、その家族たちが暮らすことで、街は昼夜を問わず活気づきます。ブラタモリでは、この“働く街・赤羽”の姿が、のちの飲み屋街文化につながっていく重要な伏線として描かれていました。

戦後、軍の施設跡や広大な軍用地は、学校や病院、住宅などに転用されていきます。その象徴のひとつが、のちに登場する赤羽台団地です。軍都としての歴史と、その転換こそが、現代の赤羽の景観とコミュニティの土台になっています。

焼け跡から生まれた赤羽一番街商店街とせんべろ文化

現在「せんべろの聖地」として知られるのが、赤羽駅東口からすぐの赤羽一番街商店街。戦時中に大きな空襲被害を受けたのち、焼け跡に立ち上がったヤミ市がルーツで、1945~46年ごろに赤羽復興会商店街としてスタートしました。

通りの長さはおよそ400メートル、約100軒の店が軒を連ね、そのうちかなりの割合を居酒屋や立ち飲み店が占めます。朝から営業している店も多く、戦後まもなく、近隣の工場で夜勤を終えた労働者が「仕事明けの一杯」を楽しみに立ち寄る場所としてにぎわいました。これが、今につながる“朝飲み・昼飲み文化”の始まりです。

商店街を代表する老舗としては、うなぎと鯉料理で知られ、朝から行列ができる「まるます家」、立ち飲みおでんで有名な「丸健水産」、海鮮浜焼きスタイルの「赤羽トロ函」などが挙げられます。どの店もリーズナブルな価格で、名物メニューとお酒を気軽に楽しめるのが特徴です。こうした店が集合した結果、「千円あればしっかり酔える」というせんべろのイメージが定着していきました。

『ブラタモリ』では、こうした商店街の歴史が、単なる「安く飲める街」ではなく、「焼け跡からの復興を願う地元の人たちが作り上げた、働く人のための飲み屋街」だと強調されます。戦後の混乱期を支えたヤミ市、復興会商店街としての再出発、高度経済成長とともに店が増え続けた時代。これらすべてが重なり合って、現在の赤羽一番街商店街が、“全国の吞兵衛の憧れの地”になったのです。

昭和レトロが息づく巨大団地・スターハウスの世界

赤羽のもう一つの象徴が、駅西側の台地に広がる赤羽台団地です。ここは日本住宅公団(現・UR都市機構)が1960年代に整備した大規模団地で、敷地面積約29万平方メートル、総世帯数約2800世帯というスケールを誇ります。

『ブラタモリ』では、タモリさんが団地の中でもひときわ目を引く“スターハウス”に大興奮。スターハウスとは、平面が星形のように三方向へ伸びた独特の形をした集合住宅で、風通しや採光に優れ、住戸を効率よく配置できるよう工夫された昭和ならではのデザインです。軍用地だった広大な土地が、戦後の住宅不足を背景に、最先端の集合住宅へと生まれ変わった象徴的な存在だと紹介されます。

かつて軍需施設が並んでいた台地が、今では子どもから高齢者まで多世代が暮らす生活の場になっている。この“用途の大転換”こそ、北区が軍都から「平和な住宅都市」へと変わっていった証しです。団地のベランダ越しに見える赤羽の街並みには、戦後日本の住宅政策と都市計画の歴史が凝縮されています。

ブラタモリらしい視点で見れば、「軍都のインフラ」「戦後の住宅需要」「崖線上の台地」という条件が揃っていたからこそ、このエリアに巨大団地とスターハウスが並ぶ景色が生まれたと分かります。

いま歩きたい「せんべろの町」赤羽の楽しみ方

現在の赤羽は、歴史ファンにも吞兵衛にも、生活者にも愛される“多層的な街”です。東側の赤羽一番街商店街では、朝から開いている居酒屋や立ち飲みでせんべろ文化を満喫できます。ハシゴ酒をするなら、老舗の「まるます家」や「丸健水産」で名物料理と一杯を楽しみつつ、路地にある小さな立ち飲みや新しいバルにも挑戦してみたいところです。

一方で、西側の台地に上がれば、静勝寺や稲付城跡の静かな空気に包まれ、歴史と地形を体感できます。さらに歩みを進めて赤羽台団地のエリアに入れば、昭和レトロな団地の風景と、今も続く暮らしの温度を同時に味わえます。城跡の台地、軍都の記憶、団地の生活、そして東側の飲み屋街まで、すべてが徒歩圏内にギュッと詰まっているのがこの街の魅力です。

『ブラタモリ』の「せんべろの町・赤羽はどうできた?」という問いに答えるなら、こう言い切れます。中世の城下町の台地、明治の鉄道ターミナル、軍都としての発展、戦後のヤミ市と復興商店街、そして団地による住宅都市化。そのすべてが積み重なった結果として、個性豊かな“せんべろの聖地”赤羽が生まれたのです。タモリさんが「個人的にもまた歩きに来たい」と語ったように、歴史を知って歩けば歩くほど、赤羽の一杯はますます味わい深く感じられます。

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