冬の秋田県湯沢市へ 小さな旅の始まり
舞台は、秋田県南部にある湯沢市です。
山あいの盆地に位置し、冬には一メートルを超える積雪になることもある、いわゆる豪雪地帯のまちです。
雪が積もれば、農作業は一旦ストップします。
しかし、その「農閑期」をじっと耐えるだけの時間にはしない。
この番組では、冬のあいだに仕事を生み出してきた人びとの姿を追いかけていきます。
旅人の目に映るのは、真っ白な雪に包まれた街並みと、ゆっくり煙を吐く工場の煙突。
静かな風景の奥に、「冬だからこそ動き出す仕事」がいくつも隠れています。
豪雪のまち・湯沢市で人びとが支えあって生きる冬
湯沢市の冬は、長くて厳しいです。
雪かきだけでも大仕事で、外に出るのも一苦労。
そんな中でも、人びとは互いに雪を寄せ合い、車が通れる道をつくり、買い物に行けない高齢者の手助けもします。
雪国では当たり前のように見えるこうした行動が、実は暮らしを支える大切な「仕事」になっています。
今回の旅では、さらに一歩踏み込んで、
「冬にこそ働ける場所をどう作ってきたのか」
という視点で、湯沢の産業と人びとを見つめていきます。
稲庭うどん発祥の地・湯沢市稲庭町という場所
最初に訪ねるのは、稲庭うどん発祥の地として知られる湯沢市稲庭町です。
稲庭うどんは、細くてつるりとしたのどごしが特徴の干しうどんで、一般に「日本三大うどん」のひとつに数えられることもあります。
雪深い土地で保存がきく食品として生まれ、手作業で伸ばして干す工程が受け継がれてきました。
稲庭町の集落には、古い蔵や木造の家が並び、冬は屋根にこんもりと雪が積もります。
その一角に、今回の中心となる店、佐藤養助商店の総本店があります。
佐藤養助商店が秘伝を公開した「冬の働く場づくり」の決断
佐藤養助商店は、江戸時代から続く稲庭うどんの老舗です。
かつて稲庭うどんの技は、一子相伝の「家の中だけの秘伝」とされてきました。
しかし、昭和四十年代、七代目の佐藤養助は大きな決断をします。
それまで門外不出だったうどん作りの技術を地域の人びとにも公開し、家業から地域の産業へと広げたのです。
背景には、冬になると農業の仕事がなくなり、現金収入の手段に困る農家が多かったという事情がありました。
そこで、冬のあいだはうどん作りの職人として働いてもらうことで、農家に安定した収入の柱をつくろうとしたのです。
番組では、工場の一角で生地をこね、細く伸ばしていく作業場の様子が映し出されます。
職人の中には、「夏は田んぼ、冬はうどん」という二つの顔を持つ人もいます。
秘伝を分かち合うことで、冬の働く場を増やした――その思いが、現在の湯沢の稲庭うどん産業を支えていることが伝わってきます。
手延べの技で生まれる稲庭うどんの魅力と現在の取り組み
工場の中では、稲庭うどん独特の手延べの工程が続きます。
小麦粉と塩、水を合わせてこねた生地を、棒に巻きつけては伸ばし、また巻きつけては伸ばす。
何度も何度も手をかけることで、細く均一で、コシのある麺に仕上がります。
冬場は気温と湿度が低く、麺をじっくり乾燥させるにはむしろ適した環境です。
雪国の寒さが、そのままうどん作りの味方になっているともいえます。
番組では、できあがったうどんを試食するシーンも登場するでしょう。
透明感のある細い麺が器の中でゆらぎ、出汁を含んで輝きます。
そこには、農家の冬仕事として始まり、今では全国、さらには海外にも出荷されるまでになった稲庭うどんの歴史が詰まっています。
こうした背景を知ると、稲庭うどんという一杯の麺の向こう側に、冬を生き抜くために工夫を続けてきた湯沢の人びとの姿が見えてきます。
約八百年の歴史を持つ川連漆器と農家の冬仕事
つぎに旅人が向かうのは、湯沢市南部の川連地区です。
ここは、川連漆器の産地として全国に知られています。
川連漆器の起こりは、鎌倉時代までさかのぼるといわれています。
当時、この地を治めていた小野寺氏の家臣が、武具に漆を塗らせる内職を農民にさせたのが始まりとされ、そこから約八百年にわたって漆器作りが続いてきました。
雪深いこの地域では、冬のあいだ農作業ができません。
そのため、農家が冬の副業として椀や膳をつくり、家の中で漆を塗ることで生計を立ててきました。
農業と漆器づくりがセットになった暮らし方は、まさに「冬の働く場」を自分たちの手で作り出してきた例といえます。
番組では、工房の中で木地を削り、何度も漆を塗り重ねる職人の姿が映ります。
乾燥に時間がかかる漆器作りは、一朝一夕では身につかない仕事です。
それでも代々技術が受け継がれてきたのは、冬の厳しさの中でこの技が生活を支えてきたからにほかなりません。
川連漆器の若手職人が挑む「新しい漆器づくり」
今回の小さな旅では、川連漆器の世界で新たな挑戦をしている若手職人も紹介されます。
伝統的な椀や重箱だけでなく、現代の暮らしに合うカップやプレート、カトラリーなどを手がける工房も増えています。
落ち着いた色合いの漆器に、少し明るい色のラインを入れたり、洋風の料理にも合うような形を工夫したり。
彼らに共通しているのは、古くから続く丈夫で実用的な漆器の良さを守りながらも、新しい使い方を提案したいという思いです。
番組では、若い職人が自分の作品を手に取りながら、
「冬のあいだ、工房にこもって試作を重ねている」
「雪が深いからこそ、落ち着いてものづくりに向き合える」
といった心の内を語る場面も描かれるはずです。
豪雪の冬は、外の世界との往来を少し不便にします。
しかし、その静けさがあるからこそ、じっくりと手仕事に向き合う時間が生まれ、川連漆器という文化が育まれてきたのだと感じられます。
伝統野菜・三関せりを育てる湯沢の農家の日常
旅の終盤で訪ねるのは、湯沢市三関地区で三関せりを育てる農家です。
三関せりは、鮮やかな緑色と、しゃきしゃきとした食感、そして白く長い根が特徴の伝統野菜です。
約三百年前、稲作の合間の収入源として栽培が始まったとされ、今では秋田の鍋料理には欠かせない存在になっています。
冬のハウスの中では、雪の外側とは対照的に、ふわりと水蒸気が立ち上る温かな空気が広がっています。
根元まで水に浸かったせりが、透き通った水の中でまっすぐ伸びている光景は、まさに冬の湯沢ならではのものです。
農家の人びとは、冷たい水に手を入れながら丁寧にせりを束ねていきます。
その表情には、厳しい環境の中でも、この野菜を守り続けてきた誇りがにじんでいます。
三関せりが生み出す「冬の働く場」と地域のネットワーク
三関地区では、せり農家が栽培の規模を広げることで、コメ農家や果樹農家に冬の働く場を提供する動きが広がっています。
たとえば、秋に稲刈りや果樹の収穫を終えた人たちが、冬になるとせりの収穫や選別の手伝いに入る。
これによって、収入の波をおだやかにし、年中通して働ける仕組みを地域の中で作り出しているのです。
こうした「お互いさま」の関係は、雪に閉ざされがちな冬の暮らしを支える大きな力になります。
仕事を紹介し合い、忙しいときには手を貸し合う。
三関せりは、単なる特産野菜ではなく、湯沢の人びとをつなぐ「冬のしごと」の象徴でもあるのです。
冬を越える力 湯沢の人びとが守る暮らしと文化
旅の最後に見えてくるのは、
「冬は何もできない時間」ではなく
「冬だからこそ生まれた仕事と技」が、湯沢のまちを支えているという事実です。
稲庭うどんを作る手、
川連漆器に漆を塗る手、
三関せりを束ねる手。
それぞれの現場で働く人びとの手仕事が、長い歴史の中で積み重なり、今の湯沢を形作っています。
豪雪という厳しい条件の下で、
「冬の働く場をつくる」「支えあって生きる」
という知恵を磨いてきた湯沢市の人びとの物語。
この小さな旅は、雪景色の美しさを超えて、
冬を越える力を持った地域の姿をそっと教えてくれる回になっています。
NHK【あさイチ】秋田県 湯沢市 伝統の技が光る 稲庭うどん――一子相伝の手綯い工程と発祥・佐藤市兵衛の物語
雪国の湿度と気温が稲庭うどんの乾燥に向く理由

秋田県湯沢市の冬は、とても寒く雪が深い地域です。この環境は、実は稲庭うどんを乾燥させる工程にとても向いています。ここでは、その理由をわかりやすく紹介します。
気温が低いことで生地がゆっくり乾く
冬の湯沢市は気温が低く、室内に取り込む空気も冷たくなります。この冷たい空気は急激に水分を奪いません。うどんの生地は一気に乾かすと割れたり縮んだりすることがありますが、湯沢の冬の空気なら、表面と中の水分が同じペースでゆっくりと抜けていきます。この「ゆっくり乾く」という状態が、均一でなめらかなうどんを作るためにとても大切です。
湿度が安定して生地が割れにくい
雪国の冬は外が乾燥していそうに見えますが、湯沢の冬の空気は湿度が比較的安定しており、急に乾燥したり湿ったりする変化が少ない環境です。この安定した湿度によって、うどんの生地がひび割れにくくなります。手延べで細く伸ばされた生地はとても繊細なので、この湿度の安定が仕上がりを左右します。
冬の気候がコシのある仕上がりを生む
低温でゆっくり乾燥すると、生地の内部に残る水分が均等に抜け、うどんの中に細かいすき間が生まれます。このすき間が、ゆでた時に弾力とつるみを感じる稲庭うどん独特のコシになります。湯沢の冬の気候そのものが、食感を作る大切な工程を支えているのです。
湯沢の冬は厳しいですが、その寒さと湿度こそが、細く美しい稲庭うどんを作り上げてきた背景にあります。こうした理由を知ると、手間ひまをかけて作られたうどんの一杯が、より味わい深く感じられます。
気になるNHKをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。


コメント