- 福島県南相馬市へ 戸塚純貴と始まる「家族に乾杯」の旅
- 南相馬市とはどんなまち?相馬野馬追と震災からの歩み
- 馬との出会い 移住者・櫻田さんがつないだご縁
- 青田家の厩舎へ 相馬野馬追を支える馬と甲冑の物語
- 南相馬の人に聞いた「いっちゃんええやん」よつわりパンと暮らしやすさ
- 石崎さんと愛犬が教えてくれた 小高と震災の記憶
- 親子で営む食堂で味わう南相馬ランチ 橋本さん親子の物語
- 戸塚純貴が語る 東日本大震災の年に上京した俳優人生の出発点
- 海辺の集落で出会った齋藤さん夫妻と友人・西村さん 震災から15年の「今」
- 孫世代が語るあの日のこと 亘理町や仙台とつながる家族の時間
- 農業高校での人生初の取材交渉 若い世代とつながりたい思い
- 福島ロボットテストフィールドと南相馬の未来 復興から「挑戦のまち」へ
- 旅の終わりに見えた 南相馬の人の強さとやさしさ
- 気になる生活ナビをもっと見る
福島県南相馬市へ 戸塚純貴と始まる「家族に乾杯」の旅
人気番組鶴瓶の家族に乾杯の今回の舞台は、福島県の太平洋側にある南相馬市です。
スタジオで笑福亭鶴瓶さんと小野文惠アナウンサーがゲストを紹介すると、登場したのは朝ドラ「虎に翼」で弁護士・轟太一を演じた俳優の戸塚純貴さん。
戸塚さんは東北出身ですが、福島県に降り立つのはこれが人生で初めてだと話します。
「通ったことはあるけれど、立ち寄ったことはない場所」。
そんな少しだけ縁遠かった土地で、どんな家族と出会えるのか。
視聴者としても、旅の始まりからワクワクせずにはいられません。
南相馬市とはどんなまち?相馬野馬追と震災からの歩み
今回の旅の舞台となる南相馬市は、福島県浜通り北部に位置するまちです。
市内には原町区・小高区・鹿島区があり、太平洋に面した平野と丘陵地が広がっています。
この地域を語るうえで外せないのが、勇壮な祭り相馬野馬追です。
相馬野馬追は、甲冑姿の騎馬武者が街中を進軍する「お行列」、砂煙の中を駆け抜ける「甲冑競馬」、空から舞い降りる御神旗を奪い合う「神旗争奪戦」などから成る一大イベントで、旧相馬中村藩のエリア(現在の南相馬市や相馬市)に受け継がれてきました。
起源は平安時代。平将門が、放たれた野馬を敵に見立てた軍事訓練を行ったことが始まりとされ、戦国時代さながらの世界を今に伝える祭りとして、東北を代表する行事の1つになっています。
そして、南相馬市は東日本大震災と原発事故の被害を大きく受けた地域でもあります。
津波により多くの命と家が失われ、特に福島第一原発から約20キロ圏内にあたる小高区は、長く避難指示の対象となりました。
番組は、祭りのまちであり、震災からの復興に歩み続けるまちでもある南相馬市のいまを、住む人びとの日常を通して描いていきます。
馬との出会い 移住者・櫻田さんがつないだご縁
旅のスタートで戸塚さんが口にした願いは、「馬に乗りたい」「馬を飼っている人に会いたい」というものでした。
相馬野馬追の地に来たからには、やはり馬との出会いは外せません。
広場を出た2人が最初に出会ったのは、震災後に南相馬へ移住してきた櫻田君枝さん。
地元の様子をよく知る櫻田さんは、馬を飼っている場所を教えてくれます。
震災後、多くの人が一度はこの土地を離れましたが、その後「ここで暮らしたい」と移住してくる人も少しずつ増えています。
外から来た人が、地元の魅力を再発見し、次の世代につないでいく。
櫻田さんの存在は、そんな南相馬の新しい一面をさりげなく教えてくれました。
青田家の厩舎へ 相馬野馬追を支える馬と甲冑の物語
教えてもらった場所へ向かった2人は、防寒具をまとった馬たちを発見します。
最初は距離を取っていた馬に声をかけ、少しずつ近づいていく2人。
ここで出会ったのが、馬を5頭飼育している青田照一さんです。
うち1頭は自分の馬、残り4頭はそれぞれオーナーがいるとのこと。
青田さんの話から、この地域では相馬野馬追に参加するために馬を飼っている人が多いことがわかります。
相馬野馬追は、単なる観光イベントではなく、各家にとって「家業」に近い重みを持つ行事。
鎧や甲冑、旗指物も代々受け継がれ、家ごとの誇りがそこに込められています。
青田家も、その伝統を受け継いできた家の1つ。
自宅には、実際に野馬追で使われる甲冑が保管されていて、戸塚さんたちに見せてくれます。
さらに、野馬追に参加するために神奈川県から戻ってきた息子・青田教常さんの存在も紹介されます。
首都圏で暮らしながらも、祭りの時期には故郷に戻る。
その姿から、「祭りを守る」という思いが、若い世代にも確実に受け継がれていることが伝わってきます。
南相馬の人に聞いた「いっちゃんええやん」よつわりパンと暮らしやすさ
番組恒例のコーナー「いっちゃんええやん聞かせてや」では、南相馬の人たちに「このまちのいちばんのおすすめ」を聞いていきます。
ここで登場するのが、南相馬のご当地パンよつわりのパン。
地元では、南相馬市原町区本陣前にある老舗パン屋・原町製パンが作る「よつわりパン」が有名です。
丸いパンの表面に十字の切り込みが入り、4つに割りやすい形。
中には、こしあんとホイップクリームがたっぷりサンドされ、上にはシロップ漬けのチェリーがちょこんとのったレトロな見た目です。
半世紀以上にわたって愛されてきたこのパンは、今も学校給食やスーパーでも親しまれていて、「南相馬といえばこれ」というソウルフード的な存在です。
ほかにも、クレープのお店や、過ごしやすい気候など、地元の方それぞれが「ここが好き」と思うポイントを口にします。
震災や原発事故のイメージだけではない、「暮らしの楽しさ」を感じさせるエピソードが次々と紹介されました。
石崎さんと愛犬が教えてくれた 小高と震災の記憶
おいしいランチを探して歩いていた2人が、駐車場で出会ったのが石崎さん。
愛犬と一緒に現れた石崎さんは、地元の食堂情報を教えてくれるだけでなく、自身の震災体験も話してくれます。
石崎さんが暮らしていた小高は、福島第一原発から約20キロ圏内にあり、震災後は避難指示区域となりました。
当時、小高区の住民は一時的に全員避難せざるを得なかったと言われています。
その後、避難指示解除準備区域などに区分が変わり、少しずつ帰還が進みましたが、空白の時間が存在することは消えません。
石崎さんの言葉には、その時間を生きてきた人にしかわからない重さがにじんでいました。
親子で営む食堂で味わう南相馬ランチ 橋本さん親子の物語
石崎さんに教えてもらった食堂に入り、2人は地元のおすすめメニューを注文します。
料理を待つあいだ、注文を受けてくれた橋本恵子さんと会話を交わします。
店を切り盛りしているのは息子さんで、自分はその母親。
夜はスナックも営んでいるという恵子さん。
震災直後は、スナックを一時閉めていた時期もあったそうです。
それでも、「話を聞いてほしい」というお客さんの声があり、再び店を開いたとのこと。
震災から時間がたっても、当時の思いや悩みを誰かに聞いてほしい人は多くいます。
お酒を飲みながら話を聞いてくれるママの存在は、地域にとって小さくない心の拠り所です。
料理が運ばれてくると、店主でもある息子さん・勝友さんも席に加わり、お店の歴史を話してくれます。
以前は相馬市でうどん・そば店をやっていたこと、今のお店は約7年続いていること。
親子で支え合いながら、震災後のまちで新しい店を育てている姿が印象的でした。
戸塚純貴が語る 東日本大震災の年に上京した俳優人生の出発点
食堂でのひと息の時間、話題は戸塚純貴さん自身の震災体験に移ります。
戸塚さんがデビューした年は、東日本大震災が起きた年と同じ。
上京を予定していたのは、震災のわずか4日前だったそうです。
生まれ育った町は震災で大きく姿を変えました。
そんななかで、「こんな時に自分だけ東京へ行っていいのか」と迷いが生まれたと話します。
それでも背中を押してくれたのは母親の存在でした。
「行っておいで」と送り出してくれた家族がいたからこそ、今の俳優・戸塚純貴がある。
南相馬で震災の話を聞きながら、自分自身の原点を重ね合わせていく。
その姿に、単なるロケではなく、「東北出身の俳優」としての複雑な思いがにじんでいました。
海辺の集落で出会った齋藤さん夫妻と友人・西村さん 震災から15年の「今」
一方の鶴瓶さんは、海に近いエリアへと足を進めます。
訪ねた一軒家で出迎えてくれたのは、齋藤さん夫妻。
津波は家のすぐ近くまで迫ったといいます。
家が残ったことは幸運でしたが、その裏には説明しきれない恐怖や不安があったはずです。
この家には、仙台から来ていた友人・西村さんの姿もありました。
同じ職場で長年働いた仲間で、付き合いは約50年にもなるといいます。
震災からの15年を語るとき、被災地の中だけで完結する物語はありません。
仙台や亘理町など、周辺地域との行き来や支え合いも含めて、「広い意味での家族」としてこの時間を乗り越えてきたことが伝わってきました。
孫世代が語るあの日のこと 亘理町や仙台とつながる家族の時間
やがて、齋藤さん夫婦の娘さんとお孫さんも合流します。
震災当時、孫はちょうど小学生。
上の兄は中学校の卒業式を控えていた時期だったと話します。
人生の節目に起きた大きな災害。
卒業式や入学式、進学や就職など、家族のイベントにも影響が出た家庭は少なくありません。
番組では、宮城県の亘理町や仙台とのつながりも自然に語られます。
同じ太平洋沿岸部として、津波被害を受けた地域同士の距離は、地図以上に近いものがあります。
子や孫世代が、あの日のことをどんな言葉で覚えているのか。
それを聞く時間は、震災から年月が経った今だからこそ、より大切になっていると感じさせられます。
農業高校での人生初の取材交渉 若い世代とつながりたい思い
一方で戸塚さんは、「若い人たちと話してみたい」と農業系の高校に興味を示します。
スタッフからは「まだ取材の許可は取っていない」と聞かされますが、そこで止まらないのが戸塚さん。
自ら学校へ向かい、人生初の「取材交渉」に挑むことになります。
カメラの前で、学校側にきちんとあいさつをし、番組の趣旨を説明する戸塚さん。
その真剣な姿は、普段テレビで見るコミカルな役柄とはまた違う一面でした。
結果として、学校側から取材OKの返事をもらい、出張中の校長先生とも電話であいさつ。
若い世代と正面から向き合おうとする姿に、見ているこちらも思わず背筋が伸びるような気持ちになります。
福島ロボットテストフィールドと南相馬の未来 復興から「挑戦のまち」へ
番組の中では、南相馬市に整備された福島ロボットテストフィールドの存在にも触れられます。
この施設は、福島イノベーション・コースト構想の一環として整備された、陸・海・空のフィールドロボットの研究開発拠点です。
敷地内には、インフラ点検や災害対応のシーンを想定したエリアが広がり、トンネル・橋梁・市街地・プラントなどを模した構造物が設置されています。
老朽化したインフラや災害現場を再現し、ロボットによる点検や救助の実証試験、操縦訓練が行える、日本でも他に例を見ない施設です。
震災と原発事故で大きな傷を負った地域が、今度は「未来の技術を試す場所」として注目されている。
福島ロボットテストフィールドは、南相馬が「被災地」から「挑戦のまち」へと変わりつつある象徴と言えます。
番組ではそこまで専門的な説明はありませんが、背景を知ると、映し出される風景の意味合いがぐっと深くなります。
旅の終わりに見えた 南相馬の人の強さとやさしさ
最後に映し出されるのは、旅先で出会った人たちの笑顔です。
馬と生きる青田さん親子。
移住者としてこの地に根を下ろした櫻田さん。
震災を乗り越え、親子で店を続ける橋本さん一家。
小高や海辺で暮らし続ける家族と、その友人たち。
鶴瓶の家族に乾杯の魅力は、「観光スポットを巡る旅」ではなく、「その土地で暮らす人の人生に触れる旅」であることです。
今回の南相馬の回では、震災から15年という時間の重みと、それでも日常を積み上げ続けてきた人びとの強さが、静かに、けれど確かに伝わってきました。
東北出身の戸塚純貴さんが、自分の原点とも向き合いながら歩いたこの旅。
視聴者にとっても、「南相馬に行ってみたい」「相馬野馬追をこの目で見てみたい」と思わせてくれる、温かい時間になったのではないでしょうか。
南相馬市というまちは、今も復興の途中にあります。
しかし、そこに暮らす人の表情は前を向いていて、出会いを歓迎するやさしさに満ちていました。
この記事が、番組を見逃した方にとってのガイドになると同時に、南相馬に足を運んでみたいと思うきっかけになればうれしいです。
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