観測史上最大級の台風が八丈島に残した現実とは
このページでは『午後LIVE ニュースーン(2025年12月22日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。10月に相次いで襲った観測史上最大級の台風が、東京の離島・八丈島にどんな被害を残し、いま何が課題として見えているのか。住宅、避難、防災、産業、暮らしの再建まで、番組で伝えられたすべてのエピソードを通して、島の「いま」を深く知ることができます。
観測史上最大級の台風が相次いで襲った八丈島の現状
2025年10月、八丈島はこれまでの経験を大きく超える自然災害に見舞われました。短期間のうちに2つの台風が相次いで接近・通過し、島では最大瞬間風速54.7メートルという観測史上最大級の強風を記録しました。加えて、線状降水帯の影響で記録的な大雨となり、24時間雨量は350ミリを超えました。山が多く平地の少ない島の地形では、雨水が一気に集まりやすく、斜面の崩落や土砂の流出が各地で発生しました。先月下旬に行われた取材の時点でも、倒れた木や崩れた斜面、損壊した建物が島内の至るところに残っており、台風の規模と被害の大きさをはっきりと示していました。生活インフラの復旧は進みつつあるものの、観光や農業など島の産業には長引く影響が続いています。
2度の台風で明らかになった住宅被害と局地激甚災害指定
2度にわたる台風の直撃により、八丈島では700戸以上の住宅が被害を受けました。屋根が吹き飛ばされたり、壁がはがれたりする被害が相次ぎ、強風で飛ばされた物が窓を突き破るケースもありました。島内では一時的に停電や断水が広がり、日常生活そのものが大きく制限されました。こうした甚大な被害を受け、八丈町と青ヶ島村は局地激甚災害に指定されました。国や東京都からの支援が始まりましたが、短い期間で2度の被害を受けたことで、修理や再建が追いつかず、生活再建に時間がかかっている世帯も少なくありません。災害が重なることで、被害の回復がより難しくなる現実が浮かび上がりました。
末吉地区で起きた避難判断と土砂災害の実態
被害が集中した八丈町末吉地区では、避難をめぐる判断が大きな課題として浮上しました。最初の台風の直撃により大量の土砂が発生し、町は住民に海・山・暮らし館への避難を呼びかけました。本来、土砂災害時の避難所とされていたのは末吉公民館の2階でしたが、エアコンがなく、高齢者を階段で避難させることが難しいという事情がありました。そのため、空調があり平屋造りの施設を避難先として選びました。SNSや防災無線で呼びかけが行われ、19人が避難しましたが、翌朝、建物に大量の土石流が流れ込みました。結果的に全員が巻き込まれましたが、命は助かりました。平地が少なく、地区の中に避難所を確保せざるを得なかったという地形的な制約が、避難判断の難しさとしてはっきりと示されました。
公共施設とハザードマップが抱える構造的な課題
今回の被害では、防災の前提となる仕組みそのものにも課題が見えてきました。八丈町が土砂災害のハザードマップを作成したのは2019年ですが、島内の公共施設の中には、それ以前に建てられたものも多くあります。結果として、公共施設や避難所が土砂災害警戒区域、さらには土砂災害特別警戒区域内に含まれる状況が生まれています。東京都内全体で見ると、こうした区域内にある避難所や避難場所は239か所にのぼります。砂防工事などの対策は進められていますが、山が迫り平地が限られる離島では、安全な場所を新たに確保すること自体が簡単ではありません。地形と暮らしが密接に結びついている島ならではの課題が、改めて浮き彫りになりました。
教職員住宅を襲った土石流と被災者の生活再建
土石流の被害は、東京都の教職員住宅にも及びました。夫が島で教員として働く柳澤綾さんは、災害当日、夫と子どもと3人で1階の自宅にいました。突然、大量の土砂や大木が窓を割って室内に流れ込み、リビングやキッチンは一瞬で被害を受けました。電気も使えなくなり、その家での生活は続けられなくなりました。現在は島内の別の地域で暮らしていますが、住み慣れた場所を離れ、生活環境を一から整え直す負担は小さくありません。住宅の被害は、暮らしそのものに直結する問題であり、被災者一人ひとりが再建への道を模索しています。
特産しいたけの被害と生産者が直面する再建への道
八丈島の特産であるしいたけ栽培も、台風の大きな影響を受けました。10年前からしいたけを育ててきた大沢竜児さんは、今回の台風で全体の約6割が被害を受けたと話しています。栽培用のハウスや日除け用シート、エアコンなどが壊れ、被害総額は約1,750万円にのぼりました。2年前に開いた飲食店も、壁がはがれて雨が吹き込み、営業を続けることができず閉店に追い込まれました。従業員10人を解雇し、自宅も住めない状態となるなど、生活と仕事の両方に大きな影響が及びました。被災から約1か月半が経ち、町営住宅で新しい生活を始めながら、少しずつしいたけ栽培を再開しています。島の特産を守り、再び軌道に乗せようとする動きが、静かに続いています。
まとめ
観測史上最大級の台風が相次いで襲った八丈島では、住宅被害、避難の判断、防災の仕組み、そして特産産業の再建まで、多くの課題が同時に浮かび上がりました。短期間で2度の被害を受けたことで、これまでの経験や想定を超える災害への備えが求められています。『午後LIVE ニュースーン(2025年12月22日放送)』は、八丈島の現状を通して、離島や地域社会が直面する現実と、これから考えるべき防災のあり方を静かに問いかけていました。
NHK【歴史探偵】最初の戦国大名 早雲の素顔 小田原城攻略の裏側にあった牛たいまつ作戦の真偽と明応9年大地震・八丈島の外交戦略とは|2025年11月19日
台風前後で変わった八丈島の風景と生活動線

ここでは、台風の前と後で八丈島の風景がどのように変わり、通学・通勤・買い物といった生活動線にどんな影響が出たのかを、現地の状況をもとに補足として紹介します。被害の大きさは数字だけでは伝わりきらず、日々の移動の変化として島の暮らしに深く刻まれています。
通学と通勤で見えた風景の変化
台風前は、島の子どもたちや働く人たちは、海沿いや集落を結ぶいつもの道を使って学校や職場へ向かっていました。台風後は、倒木や飛散物が残る道が増え、一部では通行止めや遠回りが必要な状態になりました。見慣れていた道の脇には折れた木や壊れたフェンスが残り、毎日の移動の中で被害の大きさを実感する風景に変わりました。通学や通勤の時間が延びることで、島の朝の流れそのものが少しずつ変化しました。
買い物動線に表れた生活への影響
買い物に向かう道も大きく変わりました。普段は短時間で行けていた商店やスーパーまで、安全なルートを選ぶために距離が伸びるケースが見られました。停電や断水の影響が残る時期には、営業を続けられない店もあり、買い物先の選択肢が限られる状況も生まれました。島の人たちは、道の状態や店の再開状況を確認しながら行動するようになり、買い物そのものが慎重な判断を伴うものへと変わりました。
日常の移動に残る台風の記憶
台風が過ぎたあとも、島の風景はすぐには元に戻りませんでした。生活動線の中に残る被害の痕跡は、通学や通勤、買い物のたびに目に入ります。海沿いの道では荒れた海の色や削られた地形が印象に残り、山側では倒木が自然の力を物語っています。こうした風景の変化は、八丈島で暮らす人たちにとって、台風が過去の出来事ではなく、いまも続く現実であることを静かに伝えています。
気になるNHKをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。


コメント