震災の中で続いた声
2011年の東日本大震災で大きな被害を受けた福島県いわき市。地震や津波に加え原発事故の影響で、多くの住民が避難を余儀なくされました。そんな混乱のなかでも、地域に残り放送を続けたのがコミュニティラジオ局FMいわきでした。
このページでは「新プロジェクトX〜挑戦者たち〜(命をつないだラジオ〜FMいわきの3.11〜)(2026年3月14日)」の内容を分かりやすくまとめています。被災者でもあったスタッフが、安否情報や生活情報を発信し続けた理由とは何だったのか。災害の中で地域を支えたラジオの知られざる物語を紹介します。
震災の街で鳴り続けた声 FMいわきが届けた命の情報
2011年3月11日、日本観測史上最大級となる東日本大震災が発生しました。マグニチュード9.0の巨大地震と津波が東北から関東の沿岸を襲い、各地の町やインフラが壊滅的な被害を受けました。道路や鉄道は寸断され、停電が広がり、水道も止まりました。テレビや電話がつながらず、正確な情報が届かない地域も多くありました。
そんな混乱の中で、福島県いわき市にあるコミュニティラジオ局 FMいわき(SEA WAVE FMいわき)は、地震発生直後から放送を続けました。ラジオは電池でも聞くことができるため、停電の中でも情報を届けることができます。
被害状況、避難情報、安否情報、物資の配布情報。地域の人が今すぐ知りたい情報を、マイクを通して伝え続けました。
全国ニュースでは伝わらない、いわき市の生活に直結する情報を届ける。その役割を担ったのがこの地域ラジオでした。被災した街で途切れずに流れ続けた声は、多くの人にとって安心の支えになっていきました。
東日本大震災と原発事故の中で なぜFMいわきは放送を続けたのか
震災直後、いわき市の状況は刻々と変わっていきました。津波による被害に加え、近くの東京電力福島第一原子力発電所で事故が発生し、放射線への不安が急速に広がりました。
避難を選ぶ人が増え、街の様子も一変しました。多くの報道機関が安全確保のために現地から離れました。
しかしその中で、FMいわきは放送を続ける決断をします。
理由ははっきりしていました。街に残る人たちに情報を届けるためです。
災害のとき、住民が知りたいのは「全国のニュース」よりも「自分の町の情報」です。どこで水が配られるのか、どこの避難所が開いているのか、どの道が通れるのか。
こうした情報は、地域のラジオ局だからこそ伝えることができます。
このときFMいわきは、いわきに残った数少ないメディアとして、市民に向けて情報を発信し続けました。
避難か放送か 8人のスタッフが選んだ「残る」という決断
震災と原発事故が続く中、放送局のスタッフたちも重大な決断を迫られました。
避難するのか、それとも放送を続けるのか。
家族を守るために避難する人もいました。ですが最終的に8人のスタッフがいわき市に残ることを決めました。
放送を止めれば、街の人は情報を失ってしまう。
その思いから、スタッフたちは局に泊まり込みながら放送を続けました。
取材、放送、休憩の班を作り、24時間体制の生放送を続けました。震災直後には少人数のスタッフで長期間の放送を続けたと記録されています。
段ボールや梱包材を床に敷き、仮眠を取りながら次の放送に備える。
自分たちも被災者でありながら、街の人に向けて声を届け続けたのです。
市民をつないだラジオ 物資支援と助け合いを生んだ放送
ラジオは情報を伝えるだけではありませんでした。
放送をきっかけに、人と人をつなぐ力を生み出していきました。
避難所の状況や不足している物資をラジオで伝えると、「何か手伝えないか」という声が次々と届くようになりました。
食料や灯油を持ってくる人。
医療や介護の支援を申し出る人。
避難所の手伝いをする人。
ラジオの呼びかけによって、支援の輪が広がっていきました。
また、リスナーからの電話も昼夜を問わず続きました。
不安や怒り、悲しみ、そして感謝の声。
スタッフはそれらの声に耳を傾けながら、地域の人たちと一緒にこの困難な時間を乗り越えようとしていました。
コミュニティFMは単なる放送ではなく、地域を結びつける存在になっていったのです。
復旧への道を伝え続けた2か月 水・避難・安否情報の最前線
震災からしばらくの間、いわき市では断水が続きました。
水道の復旧は簡単ではなく、住民からは「いつ水が出るのか」という問い合わせが相次ぎました。
FMいわきは行政機関に取材を重ね、水道の復旧状況や生活情報を伝え続けました。
復旧した地域、これから復旧する地域、作業の進み具合。
こうした情報をラジオで伝えることで、市民は少しずつ状況を理解できるようになりました。
震災直後から続いた24時間体制の放送は、短期間で終わったわけではありません。
被災地では長い時間をかけて生活を立て直していく必要があります。
その間、ラジオは止まることなく放送を続け、地域の生活を支える情報を届け続けました。
震災から15年 いまも続くFMいわきの使命
震災から15年が過ぎたいまも、FMいわき(SEA WAVE FMいわき)は地域のラジオとして放送を続けています。
震災や原発事故の影響は完全になくなったわけではありません。
放射線への不安、復興の課題、人口の変化。
さまざまな問題を抱えながら、街は少しずつ前に進んできました。
その中でラジオは、地域の声を届け続けています。
災害情報、生活情報、地域のイベント、町の出来事。
そして新しい世代の放送スタッフも加わり、地域のラジオは次の世代へと受け継がれていきます。
震災のとき、人々の命をつないだラジオ。
FMいわきは今も、地域に寄り添う声として放送を続けています。
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災害時に力を発揮するコミュニティFMの防災力

ここからは筆者による追加情報として、震災の現場で重要な役割を果たしてきたコミュニティFMの防災力について紹介します。
地域に密着した小さなラジオ局は、災害のときに大きなメディアとは違う強みを発揮してきました。停電や通信障害でテレビやインターネットが使えなくなる中でも、電池で動くラジオは情報を届け続けることができます。とくに地域のラジオ局は、避難所や給水所、道路の状況などその町に住む人が本当に知りたい情報を細かく伝えることができます。災害の混乱の中で、人々に安心を届け、地域をつなぎ続ける。それがコミュニティFMの大きな役割です。
地域に密着した情報を届ける力
コミュニティFMは、全国放送とは違い地域の生活に密着した情報を伝えることができます。例えば避難所の場所や開設時間、給水車の場所、食料配布の時間など、住民が今すぐ必要としている情報を伝えることができます。自治体や消防、病院などと直接連携して情報を発信するため、細かな地域情報が届きやすいのが特徴です。災害時には、こうした身近な情報が命を守る行動につながります。
阪神淡路大震災が生んだ地域ラジオの広がり
日本でコミュニティFMが注目されるようになったきっかけは1995年の阪神淡路大震災でした。この震災では電話やテレビなどの通信が混乱し、地域の情報が住民に届かないという問題が起きました。その経験から、地域に密着した情報を届ける仕組みとしてコミュニティFMが各地で誕生していきました。災害時には臨時災害放送局が開設されるなど、ラジオは地域の情報拠点として重要な役割を担うようになりました。
熊本地震でも活躍した地域ラジオ
2016年の熊本地震でもコミュニティFMは大きな役割を果たしました。避難所の情報、物資の支援、医療の案内など、地域に必要な情報を繰り返し放送し続けました。被災地では不安や孤立を感じる人も多くいます。そんなときに、ラジオから流れる声は大きな支えになります。地域の声を届け、人と人をつなぐ存在として、コミュニティFMは今も各地で大切な役割を果たしています。
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