目の前の天守は秀吉の城ではなかった
京都・伏見の高台にそびえる伏見桃山城。堂々とした姿から、豊臣秀吉が築いた天守が今も残っていると思う人も多いのではないでしょうか。
『鶴瓶の家族に乾杯 宮澤エマが京都へ!秀吉ゆかりの伏見城&日本酒の酒蔵へ!(2026年7月13日放送)』では、宮澤エマさんが秀吉ゆかりの場所を訪ねます。
実は現在の天守は、戦国時代の建物ではありません。その背景を知ると、伏見の町全体の見え方まで変わってきます。
この記事でわかること
- 現在の伏見桃山城の正体
- 秀吉が築いた伏見城の場所
- 城が何度も失われた理由
- 現在見学できる範囲と注意点
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伏見桃山城は豊臣秀吉が築いた天守ではない
(出典:Googleマップ)
最初に結論からお伝えすると、現在の伏見桃山城は、豊臣秀吉や徳川家康が築いた伏見城の天守ではありません。
今見られる建物は、1964年に造られた鉄筋コンクリート製の模擬天守です。
当時開園した遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」の中心施設として建設されました。古い天守が修復されて残ったものでも、発掘された設計図から忠実に復元された建物でもありません。
城の姿を考える際には、京都の町並みや風俗が描かれた洛中洛外図などが参考にされました。
遠くからでも目立つ立派な姿を見れば、「秀吉の時代から残る城」と思ってしまうのも無理はありません。初めて知ると、たしかに少し驚きます。
ただし、現在の天守が建っている一帯は、歴史上の伏見城と無関係な場所ではありません。
かつての広大な城域に含まれる場所ですが、本来の天守が置かれていた場所とは異なります。
なお、番組概要にある地元の方の具体的な発言内容は、放送前の公開情報では確認できません。ここでは、現在までに確認されている伏見城と模擬天守の違いを整理しています。
伏見桃山城と伏見城は何が違う?
「伏見桃山城」と「伏見城」は似た名前ですが、同じ建物を指しているとは限りません。
違いを簡単に整理すると、次のようになります。
| 名称 | 主に指しているもの |
|---|---|
| 伏見城 | 秀吉や家康が桃山丘陵周辺に築いた複数の城の総称 |
| 指月伏見城 | 秀吉が最初に指月の岡へ築いた城 |
| 木幡山伏見城 | 地震後に秀吉が木幡山へ造り直した城 |
| 伏見桃山城 | 1964年に遊園地の施設として建てられた模擬天守 |
| 伏見桃山城運動公園 | 遊園地の閉園後に整備された現在の公園 |
特に分かりにくいのは、歴史上の伏見城自体も1つではないことです。
秀吉が最初に築いた城、地震後に場所を移して造った城、さらに徳川家康が再建した城があり、それらをまとめて伏見城と呼ぶことがあります。
「伏見城はいつ造られたのか」という疑問に、1つの年だけで答えにくいのはこのためです。
秀吉が最初に築いた指月伏見城
伏見城の始まりは、1592年に秀吉が宇治川を望む指月の岡へ造り始めた隠居用の屋敷でした。
当初から大規模な戦いに備えた城を建てようとしていたわけではありません。
しかし、翌1593年に秀頼が誕生したことで、計画は隠居屋敷から本格的な城郭へ変わっていきます。天守や御殿が整備され、周辺には家臣や商工業者が集まる城下町も造られました。
ところが、1596年に発生した慶長伏見地震により、指月伏見城は大きな被害を受けて倒壊します。
築城から地震までの期間が短かったうえ、その後の土地造成によって地表の痕跡も少なくなりました。そのため、指月伏見城は長い間、実態のつかみにくい「幻の城」とされてきました。
近年の発掘調査では、石垣の基礎や階段、瓦などが確認されています。
現在の街並みだけを見ても、地下に豪華な城が眠っているとは気づきにくいでしょう。目立つ天守がある場所ではなく、住宅地の地下から本当の城の手がかりが見つかっている点は、伏見城らしい意外さです。
地震後に木幡山へ造り直された
指月伏見城が倒壊したあと、秀吉は近くの木幡山に新しい城を造ります。
1597年には天守や御殿などが完成し、秀吉と秀頼が入城しました。秀吉はこの城で晩年を過ごし、1598年に亡くなっています。
一般に「秀吉が晩年を過ごした伏見城」として語られるのは、この木幡山の城です。
本丸は、現在の明治天皇伏見桃山陵周辺にあったと考えられています。つまり、現在見えている模擬天守と、秀吉の城の中心部は場所が違います。
模擬天守の前に立っただけでは、本来の城の位置関係は分かりにくいところです。
個人的には、天守の外観だけを見るより、周辺の地図と照らし合わせて「本丸は別の場所にあった」と知る方が、伏見城の広大さを実感しやすいと感じます。
伏見城は戦いで焼失し家康が再建した
秀吉の死後、伏見城には徳川家康が入りました。
1600年、関ヶ原の戦いを前に西軍が伏見城を攻撃します。城を守ったのは鳥居元忠らでしたが、激しい攻撃の末に落城し、主要な建物は焼失しました。
伏見城の戦いは、関ヶ原の戦いにつながる前哨戦として知られています。
その後、関ヶ原で勝利した家康は、1601年から伏見城の再建を進めました。1603年には、この城で征夷大将軍の宣下を受けています。
そのため伏見城は、秀吉が晩年を過ごした城であると同時に、徳川政権が始まる重要な舞台でもありました。
伏見城を「秀吉だけの城」と考えると、歴史の半分しか見えません。
豊臣から徳川へ政治の中心が移っていく時期に、両者が利用した城だったことが大きな特徴です。
本物の伏見城はなぜ残っていない?
家康が再建した伏見城は、その後も徳川政権の拠点として利用されましたが、1623年に廃城となりました。
大坂夏の陣で豊臣氏が滅び、京都には二条城があったため、伏見城を維持する役割が薄くなったと考えられています。
徳川家光の将軍宣下が行われたのを最後に、城は解体されました。
城の建物や部材の一部は、各地の城や寺社へ移されたと伝わっています。ただし、伏見城から移築されたとされる建物の多くは、秀吉時代ではなく家康が再建した時代のものと考えられています。
また、移築の伝承が残っていても、すべての建物について科学的に由来が証明されているわけではありません。
「秀吉の伏見城から移された建物」と簡単に決めつけず、確認された事実と伝承を分けて見る必要があります。
廃城後、城跡周辺には桃の木が植えられました。これが、現在の桃山という地名につながったとされています。
秀吉の時代から「伏見桃山城」という名前で呼ばれていたわけではないことも、初めて知ると意外な点です。
現在の模擬天守はなぜ残された?
現在の模擬天守が造られた伏見桃山城キャッスルランドは、遊具やプールなどを備えたレジャー施設でした。
開園当時は天守の内部に入ることができ、上階から伏見の町を眺められました。
しかし、来園者の減少などにより、キャッスルランドは2003年に閉園します。模擬天守も解体される予定でしたが、地域から保存を求める声が上がり、京都市へ寄贈されました。
その後、跡地は伏見桃山城運動公園として整備され、天守は伏見のランドマークとして残されています。
歴史上の伏見城を正確に復元した建物ではありませんが、1960年代から地域の風景をつくってきた存在です。
「本物の城ではないなら見る価値がない」と感じる人もいるかもしれません。
個人的には、そう切り捨てるのは少し惜しいと思います。戦国時代の遺構ではなくても、昭和のレジャー文化や、地元の人が残した伏見のシンボルとして別の歴史を持っているからです。
本物の伏見城跡はどこにある?
秀吉が築いた伏見城をたどる場合は、現在の模擬天守だけでは全体像をつかめません。
主な場所の関係は、次のようになります。
| 場所 | 伏見城との関係 |
|---|---|
| 指月周辺 | 秀吉が最初に築いた指月伏見城の推定地 |
| 明治天皇伏見桃山陵周辺 | 木幡山伏見城の本丸があったと考えられる場所 |
| 伏見桃山城運動公園 | 1964年築の模擬天守が残る場所 |
| 伏見市街地 | 大名屋敷や町人地が広がった城下町 |
| 伏見大手筋 | 伏見城の大手門へ向かう道に由来する地域 |
本丸周辺は現在、陵墓地となっているため、城跡を自由に発掘したり、天守台の上を歩いたりできる場所ではありません。
一方で、発掘調査によって地下の石垣や城下町の道路、大名屋敷に関係する遺構が確認されています。
伏見には、毛利、井伊、板倉など、武家に由来するとされる名前を含む町名も残っています。
目の前に残る建物だけでなく、道路や高低差、町名まで含めて伏見城跡と考えると、城の規模が分かりやすくなります。
天守の中には入れる?
現在、伏見桃山城の模擬天守は、内部へ入ることができません。
かつては展望施設として利用されていましたが、現在は耐震性の問題から内部が非公開となっています。
訪問前に知っておきたい点は次のとおりです。
- 模擬天守は外観のみ見学できる
- 城内の展示や展望台は利用できない
- 現在の場所は伏見桃山城運動公園
- 公園にはスポーツ施設が併設されている
- 行事や施設管理により利用状況が変わる場合がある
天守へ上って伏見の町を見渡すつもりで出かけると、現地で戸惑ってしまいます。
実際に訪れるなら、内部見学を目的にするのではなく、外観や公園の景観を楽しむ場所として考えておくのが安心です。
アクセスと訪問前に確認したいこと
伏見桃山城運動公園へは、近鉄または京阪の丹波橋駅から徒歩約20分、JR藤森駅から徒歩約22分と案内されています。
駅からすぐの観光施設ではなく、高台へ向かって歩く区間もあります。暑い時期や荷物が多い日は、時間と体力に余裕を持っておきたいところです。
公園には駐車場がありますが、スポーツ大会や行事の開催日は混雑する可能性があります。
訪れる前には、次の点を確認しておくと安心です。
- 模擬天守の内部は非公開であること
- 公園や駐車場の利用状況
- スポーツ大会やイベントの開催予定
- 駅から20分前後歩くこと
- 本物の天守跡とは場所が異なること
- 城の歴史を知る展示施設ではないこと
現在の伏見桃山城に、本来の伏見城の天守や御殿が残っているわけではありません。
しかし、その違いを知ったうえで訪れると、模擬天守だけでなく、地形や町並み、本丸跡との位置関係にも目が向きます。
目に見える城が新しく、目に見えない地下や町の形に本当の城の痕跡が残っていること。それこそが、伏見桃山城の最も興味深い真実なのかもしれません。
参考リンク
- 京都市「都市史20 伏見城」 (京都市情報館)
- 京都市「伏見区民史跡・名所めぐり」 (京都市)
- 京都市文化財保護課「発掘された伏見城」
- 京都市「伏見城跡・指月城跡」
- とっておきの京都プロジェクト「伏見桃山城」 (とっておきの京都プロジェクト |)
- 京都市スポーツ協会「伏見桃山城運動公園」 (kyoto-sports.or.jp)
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