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シネマ尾道はなぜ復活できた?河本清順が市民募金2700万円を集めるまで【Mr.サンデー】

地域・施設
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市民が取り戻した尾道のスクリーン

映画の街として知られる広島県尾道市には、映画館が1館もない時期がありました。その空白を埋めたのが、映画業界の経験を持たない河本清順さんと、市民から集まった2700万円の募金です。

『Mr.サンデー(映画の街の逆転物語 草彅剛が語るミニ劇場)(2026年7月12日)』では、閉館した映画館に再び明かりがともるまでの歩みが取り上げられます。

なぜ人々は、この小さな映画館を何度も支えたのでしょうか。

この記事でわかること

  • 尾道から映画館がなくなった背景
  • 河本清順さんが復活に動いた理由
  • 2700万円の募金が使われた目的
  • 開館後も支援が続いている理由

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シネマ尾道はなぜ一度閉館したのか

シネマ尾道 - Wikipedia

(出典:シネマ尾道 – Wikipedia)

最初に知っておきたいのは、現在のシネマ尾道が一度閉館し、同じ経営者によって再開されたわけではないことです。

2001年に閉館したのは、現在の建物で営業していた前身の映画館尾道松竹でした。

その建物を別の運営団体が改装し、2008年に新しい映画館として開いたのがシネマ尾道です。

映画が主要な娯楽だった1950年代、尾道市内には20館近い映画館があったとされています。

しかし、テレビの普及や娯楽の多様化などにより、街の映画館は少しずつ減っていきました。最後まで残っていた尾道松竹も2001年に閉館し、尾道は映画館のない街になります。

ただし、尾道松竹が閉館を決めた直接的な経営事情は、確認できる資料に詳しく記録されていません。

そのため、「赤字だけが原因だった」「建物の老朽化が決定的な理由だった」と断定することはできません。

確認できるのは、映画を見る人の生活や娯楽の選び方が変わる中で、尾道の映画館も次々に姿を消していったということです。

尾道といえば、小津安二郎監督の『東京物語』や、大林宣彦監督の作品などで知られる場所です。

映画のロケ地を目的に観光客が訪れる一方で、地元の人は自分の街で映画を見られない状態になりました。

初めて知ると少し驚きますが、映画の街なのに映画館がないという矛盾が、復活への動きを生むことになります。

復活させた河本清順さんはどんな人なのか

シネマ尾道の復活を中心となって進めたのが、河本清順さんです。

河本さんは1976年に尾道市で生まれました。

京都の服飾専門学校で学んだ後、地元のアパレル企業に就職し、母親が経営していた焼肉店も手伝っています。

映画会社の社員でも、映画館経営の専門家でもありませんでした。配給会社とのつながりや、映写設備に関する専門知識が最初からあったわけでもありません。

河本さんにとって映画館は、単に新作映画を見るための施設ではありませんでした。

子どもの頃、映画好きだった祖父によく映画館へ連れていってもらったため、映画館そのものが家族との記憶につながる大切な場所だったのです。

尾道松竹の閉館後、映画を見たければ、福山市や広島市など別の街まで出かける必要がありました。

自分だけが映画を見たいのであれば、別の街へ行けば済むかもしれません。

それでも河本さんが目指したのは、尾道に暮らす人が日常の中で映画に触れられる場所を取り戻すことでした。

個人的には、この点がシネマ尾道の歩みを理解するうえでいちばん大事だと感じます。

古い建物を残すことだけが目的ではなく、映画館で過ごした時間や人との出会いを、次の世代にも残そうとしたからです。

友人2人との活動はどこから始まったのか

河本さんは、映画館を復活させたいという思いを、映画好きの友人2人に話しました。

友人たちもその考えに賛同し、3人で活動を始めます。

友人2人の氏名は、確認できる公式の資料では明らかにされていません。

2004年9月には、任意団体「尾道に映画館をつくる会」を立ち上げました。

ただし、すぐに建物の改装や映画館の開業へ進んだわけではありません。

最初に行ったのは、公共ホールや商店街の空きスペースなどを使った自主上映会です。

およそ2か月に1度のペースで映画を上映しながら、尾道で映画を見たい人が本当にいるのかを確かめていきました。

映画館をつくるには、まとまった資金だけでなく、開館後に足を運んでくれる観客が必要です。

そこで河本さんたちは、大きな資金集めを始める前に、小さな上映会を積み重ねました。

上映会は計15回行われ、延べ8500人が訪れています。

最初は数人だったスタッフも徐々に増え、活動を支える人の輪が、商店街や地元企業へ広がっていきました。

たしかに「映画館をつくりたい」という言葉だけでは、本当に続けられるのか不安を感じる人もいるでしょう。

一方で、実際に上映会を開き、多くの観客が集まる姿を見せれば、尾道に映画館を求めている人がいることを伝えられます。

思いだけで走り出すのではなく、地域の反応を確かめながら段階的に進めたことが、後の募金にもつながったと考えられます。

2006年10月にはNPO法人シネマ尾道を設立し、映画館の開館を目指す活動は、より継続的な取り組みへ変わっていきました。

2700万円の募金は何に使われたのか

市民や地元企業などから集まった募金は、合計2700万円に達しました。

このお金は、閉館していた旧尾道松竹の建物を、再び映画館として営業できる状態へ整えるために使われています。

主な目的は次のとおりです。

  • 旧尾道松竹の建物の改装
  • 消防法に対応するための工事
  • 興行場として営業するために必要な設備の整備
  • 映画を安全に上映するための環境づくり

古い映画館は、座席を掃除し、スクリーンを整えるだけでは再開できません。

多くの観客を迎える施設として、避難経路や消防設備などを整え、映画館として営業するための条件を満たす必要があります。

2700万円という金額だけを見ると、かなり大きな資金に感じられます。

しかし、建物の工事や映画館の設備をまとめて整える費用として考えると、決して余裕のある金額ではありません。

募金活動では、商店街や地元企業の協力を受けながら、尾道市民や全国の映画ファンへ支援を呼びかけました。

現在のクラウドファンディングのように、インターネット上だけで資金を集めたわけではありません。

上映会や地域での活動を通じて、映画館を必要とする理由を直接伝えながら集めた、草の根の募金でした。

個人的には、2700万円という数字以上に、そこまで多くの人が「尾道に映画館を残したい」と考えたことに大きな意味があると感じます。

1人の資産家や大企業が映画館をつくったのではなく、多くの人の小さな支援が集まり、街のスクリーンを取り戻したからです。

2008年の開館後にも存続危機があった

2008年10月18日、旧尾道松竹の建物を改装したシネマ尾道が開館しました。

2001年に尾道松竹が閉館してから、7年ぶりに尾道市内へ映画館が戻ったことになります。

しかし、開館できたからといって、その後の運営が安定したわけではありません。

地方の小さな映画館では、観客が少ない日でも、人件費、電気代、上映作品の費用、建物の修繕費などがかかります。

さらにシネマ尾道は、開館後に映画業界全体の大きな変化にも直面しました。

2010年代に入ると、映画の上映方法はフィルムからデジタルへ急速に変わります。

配給会社が認めるデジタル上映設備を持っていなければ、新しい映画の配給を受けられなくなり、作品を上映できません。

観客が座る椅子や建物が残っていても、映写設備が時代に対応できなければ、映画館として営業を続けられないのです。

シネマ尾道はデジタル映写設備を導入するために支援を募り、2014年までに152人から224万3501円を集めました。

支援金は、すでに導入していたデジタル映写機の支払いに充てられています。

設備を新しくしても、すぐに観客が増えるとは限りません。

それでも導入しなければ新作を上映できないため、映画館にとっては避けられない出費でした。

実際に小さな映画館を支えることを考えるときは、日々の入場料だけでなく、このような高額な設備更新が必要になることも知っておきたいところです。

さらに2023年には、デジタル映写機や建物の老朽化に対応するため、再びクラウドファンディングを実施しました。

目標額450万円に対し、491人から集まった金額は582万6380円です。

資金は、中古デジタル映写機の購入と入れ替え、老朽化した建物の一部改修などに使う計画が示されました。

シネマ尾道の歩みは、2008年の開館で完成したわけではありません。

設備が古くなり、存続が難しくなるたびに、地域の人や全国の映画ファンが支えてきた歴史でもあります。

シネマ尾道が映画を見る場所以上の存在になった理由

シネマ尾道では、通常の映画上映だけでなく、映画を通じた地域活動も行われています。

代表的なのが、子どもたちが映画監督などと一緒に短編作品をつくるこども映画制作ワークショップです。

子どもたちは完成した映画を見るだけではありません。

作品づくりに参加し、自分たちがつくった映画を実際のスクリーンで上映します。観客の前で舞台あいさつを経験する機会も設けられてきました。

また、河本さんは地元の小学校で映画に関する出張授業を行っています。

映画の面白さを伝えるだけでなく、将来、尾道から映画監督や映画に関わる人が育ってほしいという思いが込められています。

運営にも、社員やアルバイトだけでなく、地元の大学生や社会人などのボランティアが関わっています。

大きな映画館では、チケットを買って映画を見た後、そのまま帰ることも珍しくありません。

一方、1スクリーンの小さな映画館では、支配人と観客、映画をつくった人、地域の住民が言葉を交わす機会が生まれます。

映画を見ることに加えて、人が出会い、思いを共有できる点が、シネマ尾道の大きな特徴です。

配信サービスが広がった現在、自宅でも多くの映画を見られるようになりました。

そのため、「映画を見るだけなら映画館へ行かなくてもよい」と考える人もいるでしょう。

たしかに作品を見るという目的だけなら、自宅の方が便利な場合もあります。

それでも映画館には、知らなかった作品と偶然出会ったり、同じ場にいる人の反応を感じたり、上映後も映画の余韻を持ちながら街を歩いたりする時間があります。

個人的には、配信が便利になった今だからこそ、シネマ尾道のような場所が残る意味は大きいと感じます。

シネマ尾道を訪れる前に確認したいこと

シネマ尾道は、1スクリーン112席の小さな映画館です。

複数の作品を同じ時間帯に上映する大型のシネマコンプレックスとは異なり、作品ごとに上映期間や上映時間が決められています。

訪れる前には、次の点を確認しておくと安心です。

  • 当日の上映作品と上映時刻
  • 特別上映や舞台あいさつの入場方法
  • チケットの販売方法
  • 休館日やスケジュール変更
  • 近隣の有料駐車場の場所と料金

JR尾道駅からは徒歩約1分ですが、映画館専用の駐車場はありません。

近隣駐車場の割引サービスもないため、車で訪れる場合は、駐車場所と料金を事前に確認しておきたいところです。

上映作品、料金、休館日などは変わる可能性があります。

過去の紹介情報だけで判断せず、訪問する日の上映案内を確認することが大切です。

シネマ尾道が復活できたのは、河本清順さん1人の力だけではありません。

友人2人との小さな活動に始まり、自主上映会へ足を運んだ観客、募金に協力した市民や企業、運営を手伝うボランティア、全国の映画ファンへと支援が広がりました。

そして開館後も、子どもたちや地域の人が映画に関われる活動を続けたことで、危機のたびに「残したい」と思う人が現れています。

シネマ尾道は、市民が一度だけ映画館を復活させた物語ではありません。

映画館を街に必要な場所として、今も育て続けている物語なのです。

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