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ラウール腰のケガで世界大会辞退から復活!1年半の体づくりとBUMPY世界2位まで【それスノ】

スポーツ

ラウールが世界大会辞退から再びアメリカへ戻るまで

日本予選を制しながら、世界大会には出られなかった――。ラウールさんにとってBUMPYの挑戦には、そんな大きな挫折がありました。『それSnow Manにやらせて下さいSP(ラウール世界一へ…米・ダンス大会出場)(2026年8月28日)』で完結する977日の物語。その転機となった腰のケガ、1年半続けた体づくり、ほなつさん・ゆいなさんとの再始動をたどると、世界2位までの結果がさらに違って見えてきます。

この記事でわかること

  • ラウールが2024年の世界大会を辞退した理由
  • ケガのあと1年半続けた体づくり
  • BUMPYを1年4か月後に再始動した経緯
  • 再挑戦で日本1位、世界2位まで進んだ道のり

ラウールは腰のケガで2024年の世界大会を辞退した

ラウール&ほなつちゃん ダンス公式大会出場(AI 生成)

(出典:TBSテレビ「ラウール&天才キッズダンサー・ほなつちゃんがダンス世界一を目指し公式大会に出場」

ラウールさん、ほなつさん、ゆいなさんの3人で結成されたBUMPYは、2024年の日本予選を制し、アメリカで行われる世界大会への切符を手にしました。

ところが、本番を約1か月後に控えた時期にラウールさんが腰を負傷。3人は世界大会への出場を辞退することになります。

ここで大切なのは、BUMPYが予選で敗れたわけではないことです。

日本一になり、世界大会への出場資格を自分たちの力で獲得したにもかかわらず、そのステージに立てませんでした。

世界一を目指して練習してきた3人にとって、「負けたから終わった」のではなく、勝ったのに先へ進めなかったという形で最初の挑戦が終わっています。

なお、腰の負傷について具体的な診断名までは示されていないため、症状を特定して語ることはできません。

はっきりしているのは、このケガによって世界大会への出場を断念し、それが次の挑戦へ向けた体づくりにつながったことです。

「また同じことを起こさない」ため1年半の体づくりを続けた

世界大会を辞退したあと、ラウールさんはただ次の機会を待っていたわけではありません。

専属トレーナーを付け、約1年半にわたってケガをしにくい体をつくるための取り組みを続けました。

これはBUMPY再挑戦の中でも見逃せない部分です。

ラウールさんはSnow Manとして歌やダンスのステージに立つ一方、モデルや俳優としても活動しています。その中で世界大会を目指すためには、大会用の振付を覚えるだけではなく、最後まで踊り続けられる状態をつくる必要がありました。

しかも、BUMPYが出場するMiniCrew部門は3〜4人で構成する競技です。

大人数のチームとは違い、1人が十分に動けないことによる影響が大きくなります。

3人全員がステージ上で動き切ることが前提になるため、ケガを経験したラウールさんにとって**「踊れる体で本番までたどり着くこと」自体が再挑戦の重要な課題**になりました。

BUMPY再始動は世界大会辞退から1年4か月後だった

時間が動き始めたのは2025年11月

世界大会辞退から1年4か月後、ラウールさんがほなつさんとゆいなさんのもとを訪れ、BUMPYで再び世界一を目指すことを提案しました。

一度中断したチームが、同じメンバーで戻ってきたことになります。

興味深いのは、ほなつさんがラウールさんについて「リベンジしたいと思うから、絶対に来ると思っていた」という趣旨の言葉を残していることです。

前回の辞退は、ラウールさん1人だけの問題ではありませんでした。

ほなつさん、ゆいなさんも再び日本予選から挑戦しなければ、世界大会には戻れません。

だからこそ、再始動は単なる「企画復活」ではなく、3人全員がもう一度同じゴールを選び直した瞬間だったといえます。

前回優勝していても日本予選からやり直す必要があった

再結成したからといって、そのままアメリカ大会へ行けるわけではありません。

BUMPYは再び日本大会へ出場し、世界大会への出場権を取り直す必要がありました。

ラウールさん自身も、前回は日本予選で優勝していたため、再び予選へ挑ませることに対して責任を感じていたことを語っています。

この状況は、BUMPYの再挑戦を理解するうえでかなり重要です。

2024年に日本一になった実力があっても、2026年大会ではゼロからスタート。

しかも、ほなつさんとゆいなさんは成長し、周囲のチームも変化しています。

「前に勝った3人だから今回も勝てる」ではありません。

そのため、新しいBUMPYでは振付や構成にも変化が加えられました。

ロックなど複数のスタイルを取り入れて作品を作り直した

HHIの競技では、ヒップホップだけでなく、ロッキング、ポッピング、ブレイキング、ワッキング、ハウス、アフロなど幅広いダンススタイルを作品へ取り入れることが推奨されています。

2026年のBUMPYも新たな挑戦としてロックダンスなどを練習。

前回と同じ演技を持って戻るのではなく、世界一を狙うために作品そのものを作り直しました

ここで苦戦したのがゆいなさんです。

すでに別チームで世界一を経験している実力者ですが、新しい動きでは思うように踊れず、練習中に涙を流す場面もありました。

一方で、ラウールさんにもケガを経験した身体で新しい振付に対応する課題があります。

過去の実績をそのまま使うのではなく、3人とも新しい課題を抱えた状態で日本予選へ向かいました。

2泊3日の合宿で変わったのはダンスだけではなかった

再挑戦では、3人の関係にも変化がありました。

日本予選前には2泊3日の合宿を実施。

ラウールさんが率先して感じたことを伝えるようになり、ほなつさんとゆいなさんも少しずつ率直に意見を言い合うようになりました。

BUMPYには独特の難しさがあります。

ラウールさんと10代の姉妹では、年齢も普段の活動環境も大きく違います。

それでも大会では3人が対等なダンサーとして1つの作品を完成させなければなりません。

MiniCrewはわずか3〜4人で構成され、演技時間も1分25秒〜1分35秒。短い時間の中で動きの質やメンバー同士の一致性などが評価されます。

誰か1人が遠慮しているだけでも、作品の完成度に影響します。

技術を磨くと同時に、率直に言い合える関係を作ったことも再挑戦の重要な変化でした。

2026年4月12日に再び日本一になった

そして迎えた2026年4月12日の日本予選。

BUMPYはMiniCrew部門に出場しました。

ここで再び結果を出し、アメリカ・アリゾナで行われる世界大会への出場権を獲得します。

2年前にもたどり着いていた場所です。

ただ、今回は意味が違いました。

最初の挑戦では世界大会への切符を手にしたあとでケガが発生しました。

今回はそこへ戻るまでに、

世界大会辞退 → 1年半の体づくり → BUMPY再結成 → 新しい作品づくり → 合宿 → 日本予選

という長い道のりがあります。

日本予選突破はゴールではなく、ようやく「2年前に止まった場所まで戻ってきた」瞬間でした。

アメリカでは予選9位から世界2位まで上がった

アメリカで待っていたのは、順調な世界大会ではありませんでした。

MiniCrew部門でBUMPYは予選9位

決勝進出圏外という厳しい位置からのスタートになりました。

しかし準決勝では一気に2位まで順位を上げ、そのまま決勝でも上位に残ります。

最終結果は世界2位・銀メダルでした。

優勝したのは日本代表の1DUB1。

BUMPYは世界一には届かなかったものの、公式結果にMiniCrew部門の銀メダリストとして名前を残しました。

予選9位から世界2位まで上がったことを考えると、アメリカでも簡単に銀メダルを獲得したわけではありません。

ケガによる辞退が977日の物語を大きく変えた

BUMPYの挑戦を結果だけで見るなら、2026年の「世界2位」が一番大きな数字です。

しかし、ラウールさん個人の物語として見ると、その前にある2024年の世界大会辞退こそが大きな転機になっています。

日本一になったのに出場できなかった。

その経験から専属トレーナーと約1年半の体づくりを続け、1年4か月後には自分から姉妹に再挑戦を持ちかける。

そして、もう一度日本予選を勝ち抜き、今度は3人そろってアメリカのステージに立つ。

最後には世界大会の表彰台までたどり着きました。

世界一という目標には届かなかったものの、前回は立つことさえできなかった世界大会で最後まで踊り、銀メダルを持ち帰ったという点に、今回の再挑戦の大きな意味があります。

ケガがなければ977日という長い物語にはならなかったでしょう。

それでも、そこで終わらず同じ3人でもう一度挑んだからこそ、BUMPYの世界2位は単なる大会順位以上の結果になりました。


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