床下の「お宝」調査から見えてきた対馬・青木家の歴史
『世界の何だコレ!?ミステリー(投稿!あの出来事は一体…床下にお宝が?)(2026年8月19日)』で大掛かりな調査が行われたのが、長崎県対馬にある青木さんの築約200年の家です。かつてトレジャーハンターが「床下に宝がある」と訪れたという家を掘り進めましたが、結果以上に興味深かったのが、古文書や県指定天然記念物の大ソテツにつながる家の歴史でした。
この記事でわかること
- 築約200年の家で行われた床下調査の結果
- 約60年前にトレジャーハンターが訪れた経緯
- 青木家に残されていた古文書と対馬の歴史
- 敷地にある「対馬唐洲の大ソテツ」の文化財としての価値
床下を9日間掘っても「お宝」は見つからなかった
結論からいうと、青木さんの家の床下をのべ9日間にわたって掘ったものの、宝と呼べるものは発見されませんでした。
今回の調査が始まったきっかけは、現在は空き家となっている築約200年の家に残されていた、青木さんの少年時代の記憶でした。
青木さんが小学6年生だった約60年前、突然トレジャーハンターが訪ねてきて、「この家の床下には宝があるので掘らせてほしい」と申し出たといいます。
家族は驚いたものの、父親が了承。実際に床下を掘り進めると石でできた壁のようなものが現れました。
トレジャーハンターは、その先に宝があると考えてさらに掘ろうとしましたが、家が傾くほど大掛かりな作業になる可能性があり、途中で中止されました。
その記憶が約60年後の再調査につながったわけです。
約60年前に見た「石の壁」が最大の手がかりだった
再調査では、洞窟などの調査に詳しい専門家も参加し、昔掘られた場所を追う形で床下を掘り進めました。
ところが、地下には水がたまり、作業は簡単には進みません。
最終的には家主の了承を得て玄関部分まで解体し、重機を使う大掛かりな調査となりました。
最大の手がかりは、約60年前の調査で青木さんが覚えていた「石の壁」です。
昔掘られたとされる最深部まで到達すれば、同じ壁が姿を現す可能性がありました。
しかし、今回の調査ではその場所まで掘り進めても石の壁は確認されず、さらに作業を続けても宝につながるものは発見されませんでした。
子どもの頃に実際に自宅が掘られ、その光景を覚えていた人が約60年後にもう1度確かめるというだけでも、かなり珍しい調査だったといえます。
青木家には「殿様から与えられた領地」に関係する古文書が残っていた
床下から宝は出ませんでしたが、青木家では別の意味で非常に興味深いものが残されていました。
それが古文書です。
青木さんが家に残っていた古文書を学芸員に預けたところ、領地に関係する目録であることが分かりました。
ここで重要なのは、「宝が埋められていた」という話と古文書を直接結びつけることではありません。
古文書そのものが、この家に長い歴史があることを示す資料だからです。
対馬には、江戸時代に対馬藩を治めた宗家に関する膨大な史料が残っています。
長崎県対馬歴史研究センターによると、対馬藩庁の資料を中心に、朝鮮半島との外交・貿易拠点だった倭館や江戸藩邸に関係する資料などが「宗家文庫」として受け継がれてきました。現在もその大部分が同センターに引き継がれています。
青木家の古文書についても、こうした対馬独特の歴史の中で見ると、単なる古い紙ではなく、家と土地の歩みを知る重要な手がかりになります。
敷地の「対馬唐洲の大ソテツ」は長崎県指定天然記念物
もう1つ、青木家の歴史を物語る存在があります。
対馬唐洲の大ソテツです。
対馬市の県指定文化財一覧には、所在地を対馬市豊玉町唐洲、所有者を青木氏として掲載されています。天然記念物として指定されたのは1978年3月31日です。
番組で青木さんが語っていた「家の敷地にあるソテツを天然記念物に指定するとき、家についても文化財にする話があった」というエピソードともつながります。
床下の宝という話だけを聞くと伝説めいた印象がありますが、大ソテツについては行政の文化財記録にも残る確かな歴史があります。
家の庭にある植物が県指定天然記念物として長く守られてきたことからも、この場所が地域にとって特別な存在であることが分かります。
対馬に古文書や歴史資料が数多く残る背景
対馬は、日本列島と朝鮮半島の間に位置する島です。
とくに江戸時代の対馬藩は、朝鮮との外交や貿易で重要な役割を担いました。
そのため対馬には、一般的な地方史だけではなく、藩政や土地、外交、交易などに関する文書が数多く残されています。
長崎県対馬歴史研究センターには宗家文書を中心とする史料群が受け継がれており、対馬藩庁、倭館、江戸藩邸などに由来する文書も含まれています。
国立国会図書館も「宗家文書」について、同センターが一紙物、冊子物、絵図類などの目録を刊行していることを紹介しています。
青木家から見つかった領地に関係する古文書が興味深いのは、こうした島全体の歴史ともつながっているからです。
大掛かりな発掘に教育委員会が関わる理由
今回の調査では、対馬市教育委員会文化財課の担当者も現場を確認しました。
古い家の地下を大規模に掘れば、想定していなかった遺構や歴史資料が見つかる可能性があります。
文化庁によると、周知の埋蔵文化財包蔵地で土木工事などを行う場合には事前の届出が必要で、新たに遺跡を発見した場合にも届出が求められます。また、出土品が文化財に当たるかどうかについては教育委員会による鑑査の仕組みがあります。
つまり、古い土地を掘って何かが出れば、単純に「見つけた人のお宝」で終わるとは限りません。
歴史的価値のあるものを守り、記録していく必要があるためです。
今回のように築約200年という古い家を大規模に掘削する場面で、文化財の担当者が確認に加わったことには大きな意味があります。
「何も出なかった」で終わらない青木家の床下調査
9日間掘って宝が出なかったという結果だけを見れば、少し肩透かしに感じるかもしれません。
しかし、調査を通して浮かび上がったのは、むしろ青木家そのものが長い歴史を受け継いできた場所だったことです。
約200年前から残る家があり、約60年前には床下を掘った人物がいました。
さらに家には領地に関係する古文書が伝わり、庭には現在も長崎県指定天然記念物の大ソテツがあります。
地下に金銀財宝が眠っていたという証拠は得られませんでしたが、家や土地に積み重なった歴史は確かに残っていました。
特に「対馬唐洲の大ソテツ」が行政の文化財記録に残され、青木氏の所有と明記されている点は、この家の物語を知るうえで見逃せない事実です。
宝探しから始まった調査が、最後には対馬の家と土地が受け継いできた歴史をたどる話になったところが、今回のエピソードの一番興味深いところです。
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