山田ルイ53世が経験した6年間のひきこもりと社会復帰まで
『あさイチ(子どもが不登校になったら…そのとき親はどうすれば?)(2026年8月26日)』のゲスト、山田ルイ53世さんには、中学2年生から約6年間ひきこもっていた時期があります。しかも、それ以前は勉強もサッカーも得意な優等生でした。なぜ学校へ行けなくなったのか、20歳ごろに動き出した転機、大学進学から芸人になるまでをたどると、不登校の先にある進路は1つではないことが見えてきます。
この記事でわかること
- 山田ルイ53世さんが中学2年で不登校になったきっかけ
- 約6年間のひきこもり生活で感じていたこと
- 20歳ごろに社会へ動き出した転機
- 大学進学から髭男爵、執筆活動へつながった経緯
山田ルイ53世は中学2年から約6年間ひきこもっていた
現在はお笑いコンビ髭男爵のメンバーとして知られる山田ルイ53世さんですが、14歳ごろから20歳になるころまで、約6年間にわたる不登校・ひきこもりを経験しています。
意外なのは、それ以前の山田さんが学校生活につまずいていた生徒ではなかったことです。
小学生時代には児童会長を務め、サッカーでも活躍。小学6年生から半年ほど受験勉強をして、進学校として知られる六甲中学校、現在の六甲学院中学校に合格しました。
中学校でもサッカー部でレギュラーとなり、成績は学年上位。本人によれば調子がよいときには学年3番以内に入るほどでした。
「学校生活がうまくいっていた子でも不登校になる」という点は、山田さんの経験を理解するうえで大切です。
外から順調に見えていても、本人の中では負担が積み重なっていることがあります。
不登校の直接のきっかけは登校中の失敗だった
山田さんが学校へ行けなくなる直接のきっかけになったのは、中学2年生のとき、登校途中に便を漏らしてしまった出来事でした。
思春期の山田さんにとって非常に恥ずかしい経験となり、夏休みを挟んだあと学校へ戻れなくなります。本人は後年、この出来事から約6年間ひきこもったことを繰り返し語っています。
ただし、山田さん自身も、この出来事だけがすべてではなかったと振り返っています。
「優秀な山田くん」でいなければならない重圧が積み重なっていた
背景にあったのが、優秀な自分であり続けなければならないという意識でした。
進学校の勉強や宿題、サッカー部の活動に加え、通学にも長い時間がかかっていました。
成績がよく、周囲からも「できる子」と見られている。
それ自体は一見よいことですが、本人にとっては、
「この評価を落としてはいけない」
「できる自分でいなければならない」
というプレッシャーにもなっていました。
山田さんは、そうした疲れが蓄積していたところに登校中の失敗が重なり、張り詰めていたものが切れたような状態だったと振り返っています。
不登校を考えるとき、「何があったのか」という直前の出来事だけを見ると、その前に積み重なっていた負担を見落としてしまうことがあります。
山田さんの場合も、1つの失敗だけではなく、そこへ至るまでの疲れや自分自身への要求の高さが深く関係していました。
家にいても気持ちが楽だったわけではなかった
学校へ行かなくなれば、つらい環境から離れてゆっくり休めるように見えます。
しかし山田さんが語るひきこもり生活は、単純な「休暇」とはまったく違うものでした。
学校へ行っていない罪悪感、同級生から取り残されていく焦り、劣等感などが頭から離れず、家にいても精神的には忙しかったと振り返っています。学校のチャイムや外を歩く人の声にも敏感になり、自分と比べて苦しくなることがありました。
さらに厄介だったのが、完璧主義です。
学校に行かないなら勉強をすればいいと考えても、「きちんとやらなければ」という思いが強すぎることで動けなくなることもありました。
外からは何もしていないように見えていても、本人の頭の中では不安や自己否定とのやり取りが続いている。
山田さんの経験は、不登校中の子どもを見るときに、表面の生活だけでは判断できないことを伝えています。
6年間を「意味のある経験」に美化していない
山田さんの不登校経験で特徴的なのは、過去を無理に美談にしていないことです。
「あの6年間があったから今がある」と言われることに対し、山田さん自身は自分にとって6年間は「無駄だった」と考えていると語っています。
これは「不登校の期間には意味がない」という一般論ではありません。
不登校経験を大切な時間だったと感じる人もいれば、そうではない人もいる。そのどちらであってもよく、苦しかった経験を無理に成長物語へ変換する必要はない、という山田さんらしい考え方です。
子どもに対しても、
「この経験を将来の強みにしよう」
「この時間にも意味がある」
と大人が先回りして意味づけすることが、必ずしも本人の助けになるとは限りません。
まず本人がどう感じているのかを尊重することが大切になります。
大きな転機は20歳を目前に見た成人式だった
約6年間ほとんど社会から離れていた山田さんが動き始めるきっかけは、20歳を迎えるころに訪れました。
テレビで成人式のニュースを見たことです。
それまでは「自分ならそのうち追いつける」という気持ちもありましたが、同世代が成人を迎えている姿を見て、山田さんは強い焦りを感じました。
そこで勉強を始め、現在の高等学校卒業程度認定試験にあたる大学入学資格検定・大検に合格します。
興味深いのは、最初から人生の大きな目標が決まっていたわけではないことです。
山田さんが後に大切にしているのは、「完璧な計画を作ってから始める」のではなく、できることをとりあえずやってみるという考え方でした。
6年間止まっていた人生が、一気に元通りになったわけではありません。
大検を受けるという小さな行動が、次の選択につながっていきました。
大検合格から愛媛大学へ進学した
大検に合格した山田さんは、愛媛大学法文学部へ進学します。
中学2年から長期間学校を離れていたことを考えると、「不登校になったら進学できない」という一本道ではなかったことがよく分かります。
ただ、大学進学ですべてが解決したわけでもありませんでした。
授業についていくことに難しさを感じ、大学には行ったり行かなかったりするようになります。
そんな中、先輩から誘われて大学祭で漫才を経験しました。
ここでお笑いのおもしろさを知ったことが、人生の次の転機になります。最終的に大学を中退し、上京して芸人の道へ進みました。
学校へ戻り、そのまま卒業して一般企業へ就職するというルートだけが「社会復帰」ではありません。
山田さんの場合は、大学へ進学し、そこで偶然出会った漫才から別の道が開きました。
髭男爵としてブレイクしたのは不登校から十数年後
上京後は芸人として活動し、髭男爵を結成。
ワイングラスを持った貴族キャラクターと「ルネッサーンス!」のフレーズで知られるようになり、2008年前後にテレビ出演が急増しました。
ただ、山田さん自身が「ひきこもりから戻ってきた」と実感したのは、家から出られるようになった20歳でも、大学へ進学した時点でもなかったといいます。
芸人の仕事だけで生活できるようになった32歳ごろに、ようやく「戻ってきた」という感覚を持てたと語っています。
これは、不登校からの回復を「学校へ行った日」で区切れないことをよく表しています。
外へ出られる。
勉強を始める。
進学する。
人と関わる。
仕事をする。
自分で生活できる。
それぞれが別の段階です。
子どもが動き始めても、すぐに以前と同じ状態になるとは限りません。山田さん自身も、長い時間をかけながら少しずつ社会との接点を増やしていきました。
芸人だけでなく執筆でも不登校経験を伝えている
現在の山田さんは芸人活動だけでなく、ラジオ、ナレーション、コメンテーター、執筆など幅広い分野で仕事をしています。2026年にも不登校をテーマにした講演や発信を続けています。
自身の半生をまとめた代表作が『ヒキコモリ漂流記 完全版』です。
中学時代からひきこもり生活、大学、芸人としての下積み、親になってからまでが書かれています。単なる成功談ではなく、本人が当時抱えていた焦りや恥ずかしさ、家族との関係なども含めて描かれた作品です。
また、『一発屋芸人列伝』では自身を含む「一発屋」と呼ばれた芸人を取材・執筆し、雑誌ジャーナリズム賞の作品賞を受賞しました。
「テレビに出る芸人」だけではなく、経験を言葉にする書き手として仕事の幅を広げてきたことも、山田さんの現在を知るうえで外せません。
不登校の先を「成功か失敗か」で決めなくていい
山田さんの歩みは、
不登校
→ひきこもり
→大検
→大学進学
→大学中退
→芸人
→ブレイク
→執筆・ラジオ・講演
と、何度も方向を変えています。
きれいな一直線ではありません。
だからこそ、子どもが不登校になったときに「今すぐ元の学校生活へ戻さなければ人生が終わる」と決めつけないための1つの実例になります。
山田さんは「逃げる」という選択そのものも否定していません。合わない場所から離れたり、方向転換したりすることも人生にはあるという考えを語っています。
不登校を経験したから必ず強くなるわけでもなければ、その経験を将来の仕事に生かさなければならないわけでもありません。
山田さん自身がたどった道から見えてくるのは、止まったあとでも別の場所から動き出すことはできるということです。
学校へ戻ることだけを唯一のゴールにしないという考え方を、山田ルイ53世さんの人生そのものが具体的に示しています。
参考リンク
気になる生活ナビをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。


コメント