- 福田和子事件と「殺人の時効」は今どう変わったのか
- 現在なら殺人罪は15年逃げても時効にならない
- 福田和子事件当時の公訴時効は15年だった
- 「時効」とは逮捕できなくなる日ではなく起訴できなくなる期限
- 福田和子が突然持ち出した「共犯者」の存在が捜査を難しくした
- 15年前の日記が「男性は東京にいた」と証明する手掛かりになった
- 強盗殺人罪で起訴されたのは時効成立のわずか11時間前
- 2004年に殺人罪などの時効が15年から25年へ延長された
- 2010年に殺人罪などの公訴時効そのものが廃止された
- では福田和子が1997年に逃げ切っていたら2010年に再び逮捕できたのか
- 現在もすべての犯罪から公訴時効がなくなったわけではない
- 福田和子事件は時効制度が大きく変わる前の時代を象徴する事件だった
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福田和子事件と「殺人の時効」は今どう変わったのか
『金曜ミステリークラブ(逃亡犯・福田和子最大の謎SP!!時効成立目前で逮捕…なぜ!?)(2026年8月28日)』を見ると、「もし現在だったら15年逃げれば時効になるのか」が気になります。結論から言うと、現在、殺人罪など死刑に当たる人を死亡させた犯罪には公訴時効がありません。福田和子が逃亡した1980~1990年代との違い、時効21日前に逮捕しても安心できなかった理由まで整理します。
この記事でわかること
- 現在なら福田和子事件と同種の犯罪に時効があるのか
- 事件当時はなぜ15年で時効だったのか
- 逮捕後も時効成立11時間前まで捜査が続いた理由
- 2004年・2010年の法改正で何が変わったのか
現在なら殺人罪は15年逃げても時効にならない
(出典:FNNプライムオンライン「“福田和子”事件いま明かされる“取調室”での攻防!」)
現在の制度では、殺人罪や強盗殺人罪など、人を死亡させた犯罪のうち死刑に当たるものについて公訴時効はありません。
2010年4月27日に刑事訴訟法が改正されました。
それまで殺人罪の公訴時効は25年でしたが、この改正によって廃止されています。つまり現在、殺人事件を起こした人物が国内で20年、30年と逃げ続けたとしても、「一定期間が過ぎたから起訴できない」という結末にはなりません。
福田和子事件が起きた1982年とは、法律そのものが大きく変わっています。
福田和子事件当時の公訴時効は15年だった
福田和子による事件が起きたのは1982年8月19日です。
当時の公訴時効制度では、死刑に当たる罪の時効期間は15年でした。
福田和子は事件後に逃亡し、東京で整形した後、石川県などで偽名を使って生活。1988年以降は北海道から山口県まで各地を転々としました。
その間にも時計は進み続けます。
1997年になると、事件から15年となる8月19日が目前まで迫っていました。7月29日に福井市で逮捕された時点で残されていたのは21日です。
現在の感覚では「殺人なのに15年で捜査できなくなるの?」と驚きますが、当時はこれが法律上の期限でした。
「時効」とは逮捕できなくなる日ではなく起訴できなくなる期限
ここは福田和子事件で特に分かりにくいところです。
1997年7月29日に逮捕されたのなら、
「もう本人を捕まえたのだから時効は関係ない」
と思いたくなります。
しかし、公訴時効は単なる「逮捕期限」ではありません。
刑事訴訟法では、公訴の提起、つまり検察官が裁判所へ起訴することによって時効の進行が停止する仕組みになっています。
そのため福田和子を逮捕しただけでは終わりではありませんでした。
警察と検察には残された21日間で、
事件を立証する
→起訴できるだけの証拠を固める
→検察が起訴する
ところまで進める必要がありました。
だから「時効21日前の逮捕」は、ゴールというより、もう1つの時間との戦いの始まりだったのです。
福田和子が突然持ち出した「共犯者」の存在が捜査を難しくした
逮捕後、福田和子は殺害について別の男性が関わったという趣旨の供述をしました。
問題は、その男性がすでに亡くなっていたことです。
事件が起きたのは15年前。
男性本人へ事情を聞くこともできず、親族に聞いても「15年前の8月19日にどこにいたのか」を簡単に思い出せる状況ではありませんでした。
もし福田和子の説明を崩せなければ、強盗殺人として起訴するための立証が難しくなります。
残り時間が少なくなる中、捜査側が見つけたのが男性の残していた日記でした。
15年前の日記が「男性は東京にいた」と証明する手掛かりになった
親族のもとから見つかった日記には、事件当時の行動をたどる手掛かりが残っていました。
警察は日記だけで結論を出したわけではありません。
男性が勤務していた会社の関係者などにも聞き込みを行い、記載内容を裏付けていきました。
その結果、1982年8月19日に男性は東京におり、愛媛県松山市にはいなかったことが裏付けられます。
これによって福田和子が持ち出した共犯者をめぐる説明が崩れました。
約15年前の日記が、時効直前の重大事件で起訴へ進むための重要な材料になったのです。
強盗殺人罪で起訴されたのは時効成立のわずか11時間前
捜査が間に合ったのは、本当にぎりぎりでした。
福田和子は1997年8月19日、時効成立の約11時間前に強盗殺人罪で起訴されました。
逮捕は21日前。
それでも最後は11時間前です。
この時間差を見ると、なぜ逮捕後も捜査側が急いでいたのかがよく分かります。
福田和子事件は「時効21日前に捕まった事件」として有名ですが、より正確には、
21日前に逮捕され、そこから21日間かけて証拠を固め、約11時間前に起訴までたどり着いた事件
でした。
2004年に殺人罪などの時効が15年から25年へ延長された
福田和子が逮捕されてから7年後、公訴時効制度に大きな変更がありました。
2004年の刑事訴訟法改正です。
それまで15年だった死刑に当たる犯罪の公訴時効が、25年へ延長されました。
ただし、この2004年改正については、施行前に起きた犯罪の公訴時効は従来の規定によるという経過措置が置かれていました。
そのため、単純に「法律が変わったから過去のすべての殺人事件が25年になった」というわけではありません。
そして、その6年後にさらに大きな改正が行われます。
2010年に殺人罪などの公訴時効そのものが廃止された
2010年4月27日、「刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律」が成立し、その日に公布・施行されました。
ここで制度が一段階大きく変わります。
人を死亡させた罪について、
- 死刑に当たる犯罪 → 公訴時効を廃止
- 上限が無期懲役などの犯罪 → 30年
- 上限が20年の懲役などの犯罪 → 20年
- それ以外の一定の死亡犯罪 → 10年
という形に見直されました。
殺人罪や強盗殺人罪のように死刑が法定刑に含まれる犯罪では、現在、年月が経過するだけで起訴できなくなる制度はありません。
背景には、殺人事件などの遺族から、時間が経過しただけで刑事責任を追及できなくなることへの見直しを求める声が高まったことなどがあります。
では福田和子が1997年に逃げ切っていたら2010年に再び逮捕できたのか
ここが一番面白いポイントです。
答えはできません。
2010年の改正では、施行された時点で公訴時効がまだ完成していなかった対象事件について、新しい時効制度を適用できる仕組みになりました。
一方、すでに公訴時効が完成していた犯罪には新しい規定を適用しないことも明確に定められています。
福田和子事件の時効期限は1997年8月19日でした。
仮に福田和子がその日まで起訴されず時効が成立していたなら、2010年の法改正まで約13年が経過しています。
したがって、
「2010年に殺人の時効がなくなったから、昔の時効成立事件も全部復活した」
わけではありません。
福田和子事件についていえば、1997年の最後の11時間に起訴できたかどうかが、その後の裁判そのものを左右する重大な分岐点でした。
現在もすべての犯罪から公訴時効がなくなったわけではない
「殺人の時効がなくなった」という言葉から、犯罪にはもう公訴時効が存在しないと誤解しやすいところです。
実際には、すべての犯罪の時効が廃止されたわけではありません。
2010年の改正で特別に扱われた中心は「人を死亡させた罪」です。
その中でも死刑に当たる犯罪は時効なしとなり、その他については犯罪の法定刑などに応じて期間が設定されています。
つまり現在でも、
犯罪の種類によって公訴時効の有無や期間は違う
ということです。
「殺人事件の時効廃止」と「公訴時効制度そのものの廃止」は同じ意味ではありません。
福田和子事件は時効制度が大きく変わる前の時代を象徴する事件だった
福田和子は1982年から1997年まで14年344日逃亡しました。
あと21日で逮捕そのものが注目を集めなくなるわけではなく、当時はその先に「起訴できなくなる期限」が本当に迫っていました。
逮捕後も供述をめぐる攻防が続き、15年前の日記を発見し、関係者から証言を集め、ようやく時効成立約11時間前に起訴。
現在なら同種の殺人事件について、15年という期限を目指して逃げ続ける意味はありません。
そう考えると福田和子事件は、整形や20以上の偽名だけでなく、「殺人にも時効があった時代」を象徴する事件として見ると、なぜ全国が最後の21日間に注目したのかがより分かりやすくなります。
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