松原正がネパールのミツマタ事業を続けた大きな転機
日本の紙幣を支えるネパール産ミツマタには、原料調達だけでは語れないもう1つの物語があります。『世界で開け!ひみつのドアーズ(ネパール・ミツマタ生産者にありがとう旅)(2026年9月2日)』からさらにたどると、株式会社かんぽうの松原正さんが赤字事業から撤退しなかった背景に、ネパールの村で聞いた忘れられない言葉と、農村の暮らしの変化がありました。
この記事でわかること
- 松原正さんがミツマタ事業を続けた理由
- 村の長老から聞いた言葉が転機になった経緯
- 赤字事業に「3年」という期限を設けた背景
- ミツマタが雇用・教育・女性の仕事につながった仕組み
松原正を動かしたのはネパールの村の長老から聞いた言葉
(出典:JICA「新紙幣の原料『みつまた』を通じて支え合う日本とネパール」)
株式会社かんぽうの代表取締役・松原正さんがネパールのミツマタ事業を引き継いだのは2013年です。
その決断を語るうえで欠かせないのが、ネパールの村で聞いた長老の言葉です。
長老から、ミツマタによる収入が生まれたことで、貧困を背景に子どもが売買されることがなくなり、自分自身も娘を育てることができたと聞いたことが、松原さんの強い決意につながったとされています。
ここは慎重に受け止めたい部分でもあります。
「ネパール全体でミツマタによって人身売買がなくなった」という意味ではありません。あくまで事業に関わった村の長老が、自分たちの村に起きた変化として松原さんへ伝えたエピソードです。
それでも、単に売り上げや生産量だけを見るのとはまったく違う重みがあります。
松原さんにとってミツマタ事業は、日本へ紙幣原料を届ける仕事であると同時に、すでに現地の家族の暮らしと結びついた事業になっていました。
2013年に引き継いだ事業は長年赤字だった
現在では日本の紙幣を支える重要な事業になっていますが、最初から採算が取れていたわけではありません。
ネパールの山岳地帯へ日本から社員を派遣するには、渡航費だけでなく、現地での長距離移動や技術指導にも費用がかかります。
ミツマタを栽培しても、農家へ加工方法を教え、品質をそろえ、日本まで安定して輸送できなければ事業にはなりません。
こうした負担から、ミツマタ事業は長年赤字が続き、株主から事業継続に否定的な意見が出る状況になっていました。
松原さんが事業を引き継いだ2013年は、「社会的に意義があるから続ける」だけでは済まない段階だったことが分かります。
会社として事業を続ける以上、利益を出せなければいつか継続できなくなります。
この難しさが、ミツマタ事業のもう1つの重要なポイントです。
「3年でめどが立たなければ撤退」という条件で再出発した
松原さんは2013年、株主に対して3年間で事業継続のめどをつけ、それができなければ撤退するという考えを示しました。
かなり厳しい条件です。
一方で松原さん自身は、ネパールでミツマタに携わる人々や、収入によって学校へ通えるようになった子どもたちを目の前で見ています。
事業を終了すれば、日本企業側の赤字は止められます。
しかし、その仕事を生活の一部にしていた農家にとっては収入源が失われます。
そこで松原さんが重視したのが、社会貢献だから赤字でも続けるのではなく、ネパールにも日本にも利益のある事業として成立させることでした。
この考え方が、その後のJICAとの連携につながっていきます。
転機は2016年のJICAとの連携だった

(出典:JICA「新紙幣の原料『みつまた』を通じて支え合う日本とネパール」)
事業継続への大きな転機となったのが2016年です。
株式会社かんぽうは在ネパール日本大使館へ相談し、その後JICAの支援事業につながりました。
ここで大きく変わったのは、日本人がずっと農家を指導する方式から、ネパールの人がネパールの人へ技術を伝えられる仕組みへ移っていったことです。
森林事務所の職員や森林保護官などが栽培・加工方法を学び、さらに生産者グループをまとめる方法まで身につけました。
誰かが毎回日本から来なければ作れない状態では、事業は長く続きません。
現地に「教えられる人」を増やすことで、生産者自身が技術を広げられるようにしたことが、持続可能な仕組みづくりにつながりました。
ミツマタ加工は女性が地域で収入を得られる仕事にもなった

(出典:JICA「新紙幣の原料『みつまた』を通じて支え合う日本とネパール」)
ミツマタ事業が農村へ広がった理由の1つが、巨大な工場や大量の電力を必要としないことです。
収穫した枝は蒸して柔らかくし、皮をはがして洗い、乾燥させます。
こうした加工は山村でも行うことができ、家事や子育ての合間に女性が参加できる仕事にもなりました。
現金収入を得られるようになったことで、女性の社会参加にもつながっています。
農村で仕事が増えることには、もう1つ大きな意味があります。
仕事を求めて都市部や海外へ出稼ぎに行かなければならなかった人に、地元に残って生計を立てる選択肢が生まれるからです。
単に紙幣原料を増産するだけでなく、「村の中で収入を生み出す」という仕組みが事業の土台になっています。
ミツマタの収入で学校を建てた村や海外留学した女性もいる
ミツマタ事業の影響は、働いている本人の収入だけにとどまりません。
得られた収入を子どもの学費に使う家庭が生まれ、教育を受けて海外留学を果たした女性もいます。
さらに、ミツマタ事業による利益を使って学校を建てた村もあります。
ここで最初の長老のエピソードにつながります。
貧困が深刻な地域では、「収入がない」という問題が教育、出稼ぎ、家族の生活など複数の問題へ連鎖します。
反対に、地域の中に安定した収入源ができれば、そのお金を学校や子どもの教育へ回せるようになります。
ミツマタは紙幣になる植物ですが、ネパールの農村では収入を生み出し、その収入を次の世代へつなげる作物にもなってきました。
株式会社かんぽうは官報販売会社なのになぜネパールで農業をしているのか
株式会社かんぽうの中心事業は、もともと農業ではありません。
1921年創業で、官報の提供、官報公告の取次ぎ、政府刊行物の販売などを行ってきた会社です。
官報事業を通して当時の大蔵省印刷局、現在の国立印刷局とのつながりがあり、日本国内で紙幣原料となるミツマタ生産者が減っていることを知りました。
そこで1990年からネパールで調査を始め、自生地を探し、栽培・加工技術を伝える事業へ発展していきました。
会社の通常業務だけを見ると、「官報販売会社がなぜネパールの山で植物を育てているのか」と不思議に感じます。
しかし、
官報販売 → 印刷局との関係 → 紙幣原料不足を知る → ネパールで調査 → 農村で栽培・加工 → 日本へ輸出
とつなげてみると、現在の事業まで1本の線で結ばれます。
赤字事業が日本とネパール双方に必要な仕事へ変わった
2013年に松原さんが引き継いだ時点では、撤退の可能性まであったネパールのミツマタ事業。
その後は現地で技術を教えられる人が育ち、生産地域も拡大しました。
日本側には紙幣原料を安定して確保できるメリットがあり、ネパール側には農村で働き続けられる仕事が生まれます。
大切なのは、どちらか一方が支援し続けなければ成立しない関係ではなく、日本にもネパールにも続ける理由がある事業へ変わったことです。
村の長老から聞いた言葉、3年で結果を出すという決断、JICAとの連携、現地への技術移転。
現在まで続くミツマタ事業をたどると、紙幣の原料そのもの以上に、松原正さんが「なぜ撤退しなかったのか」が大きな物語になっています。
- 外務省「和紙原料『みつまた』の栽培・加工技術を原産地ネパールで日本企業が普及」
- JICA「新紙幣の原料『みつまた』を通じて支え合う日本とネパール」
- 株式会社かんぽう「100th Anniversary」
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