住吉大社のおみくじにも使われたネパール産ミツマタ和紙
日本の紙幣を支えるネパール産ミツマタには、もう1つ意外な行き先があります。『世界で開け!ひみつのドアーズ(ネパール・ミツマタ生産者にありがとう旅)(2026年9月2日)』につながる歴史をたどると、大阪・住吉大社のおみくじにもネパールで生産された手漉きミツマタ和紙が使われてきた実績があります。紙幣原料から神社のおみくじへ広がった経緯を見ていきます。
この記事でわかること
- 住吉大社のおみくじとネパール産ミツマタの関係
- 株式会社かんぽうが2003年に初納入した経緯
- おみくじ以外にも使われた住吉大社の授与品
- 紙幣原料だけではないミツマタ和紙の用途
住吉大社のおみくじにはネパール産の手漉きミツマタ和紙が使われた
(出典:JICA「新紙幣の原料『みつまた』を通じて支え合う日本とネパール」)
大阪の住吉大社とネパール産ミツマタには、少し意外なつながりがあります。
株式会社かんぽうの沿革には、ネパールでのミツマタ事業から生まれた手漉きミツマタ和紙を使ったおみくじを、2003年に住吉大社へ初めて納入したことが記録されています。独特の風合いを持つ和紙として利用が広がりました。
日本のお札と神社のおみくじ。
一見するとまったく別のものですが、どちらもつながっているのがミツマタの丈夫な繊維から生まれる紙です。
さらに興味深いのは、ネパールの山村で栽培・加工された植物が、そのまま紙幣原料として輸入されるだけではなく、手漉き和紙という形になり、日本の伝統文化の中でも使われるようになったことです。
2003年の納入より前からネパールでミツマタ事業が育てられていた
住吉大社のおみくじだけを切り取ると、珍しい和紙を採用した話に見えます。
しかし、その背景には10年以上にわたる取り組みがありました。
株式会社かんぽうがネパールでミツマタの開発に乗り出したのは1990年です。
日本国内で紙幣原料となるミツマタの生産者が減るなか、ヒマラヤ周辺が原産地とされることを手がかりにネパールへ向かい、現地調査や栽培・加工技術の普及を進めていきました。
その後、1997年には現地法人KANPOU-NEPALが設立されています。
つまり、2003年のおみくじ納入は突然始まった商品開発ではありません。
ネパールで育てる→加工技術を伝える→現地で紙を作る→日本で使う
という仕組みが少しずつ形になった先に生まれた製品の1つでした。
おみくじだけでなく誕生記や住吉踊りのうちわにも使われた
ネパール産ミツマタ和紙と住吉大社との関係は、おみくじだけではありません。
ミツマタ事業についてまとめた資料では、大阪での活用例として、
- 住吉大社のおみくじ
- 誕生記
- 伝統的な住吉踊りで使われるうちわ
などにネパール産ミツマタによる紙が使われたことが記されています。
ここが、かなり面白いところです。
ネパールの山村で作られたミツマタが、日本銀行券という非常に近代的な製品だけではなく、神社や伝統行事といった昔から続く文化の中にも入っていきました。
「海外から輸入した原材料」というだけではなく、日本の和紙文化へ再びつながる素材になっていることが分かります。
ミツマタは紙幣だけでなく和紙に向く丈夫な繊維を持つ
ミツマタがこうした用途に使われる理由は、その繊維にあります。
国立印刷局でも、紙幣用紙にはミツマタやアバカなどの原材料が使われ、独特の感触と丈夫さを持つ紙が作られています。
ミツマタは古くから和紙の原料として使われてきました。
紙幣では何度も折ったり、人から人へ渡ったりしても耐えられる丈夫さが求められます。
一方、おみくじや記念品では、耐久性だけでなく天然繊維ならではの手触りや紙の風合いも価値になります。
同じ植物でも、
紙幣では性能を生かし、和紙製品では風合いを生かす
という使われ方の違いがあります。
ネパールでは収穫後の皮むきや加工まで多くの作業が必要

(出典:JICA「新紙幣の原料『みつまた』を通じて支え合う日本とネパール」)
ミツマタは、木を刈ればすぐ和紙になるものではありません。
山間部で収穫した枝を運び、蒸して皮をはがし、洗浄し、乾燥させ、品質をそろえていきます。
ネパールで進められてきた事業では、単に植物を育てる方法だけではなく、高品質な白皮を作るための加工技術まで現地へ伝えることが重視されてきました。
こうした加工を現地で行えることには、大きな意味があります。
原木をそのまま安く売るのではなく、加工する工程そのものが地域の仕事になります。
女性が参加できる仕事も生まれ、農村に現金収入を残す仕組みへ発展していきました。
住吉大社のおみくじの紙も、その長い工程の先にある製品の1つと考えると見え方が変わります。
ミツマタ事業はもともとネパールへの社会貢献からつながった
さらに歴史をさかのぼると、株式会社かんぽうとネパールとの関係は、ミツマタ探しだけから始まったわけではありません。
もともと同社は、社会貢献活動としてネパールへ井戸を贈る活動を行っていました。
その後、日本でミツマタ生産量が減少していたことから、1990年にネパールで調査を開始。
自生地で村おこしを兼ねた栽培・加工指導を行い、刈り取った場所には植林することで森林保全にも取り組んできました。
ここにも1本の流れがあります。
ネパールとの交流があり、その土地にミツマタがあり、日本では原料が不足していた。
そこから紙幣原料を生産する事業が始まり、さらに手漉き和紙、おみくじ、うちわなどへ用途が広がっていきました。
紙幣用だけに依存しないことがミツマタ産地を支える
ミツマタの需要を考えるうえで、おみくじや和紙製品への展開にはもう1つ重要な意味があります。
農産物は、買い手が1つしかなければ、その需要が減ったときに産地全体が影響を受けます。
そのため、紙幣用原料以外にも高品質なミツマタを使える市場を広げることが検討されてきました。
手漉き和紙、芸術用紙、神社の授与品などへの活用は、紙幣だけとは違う出口になります。高品質なミツマタを日本の和紙技術へ活用することが、伝統文化の維持にもつながると考えられています。
「おみくじに使われた」という小さなエピソードのようでいて、その背景には産地を長く残すための販路づくりという意味もあります。
ネパールの山村と大阪の住吉大社が1枚の和紙でつながった
ネパールのヒマラヤ周辺で育てられたミツマタ。
農家が収穫し、加工し、手漉き和紙へと姿を変え、その紙が遠く離れた大阪の住吉大社で使われました。
紙幣の原料として考えると「ネパールから日本への輸入品」ですが、おみくじまでたどると、もう少し身近に感じられます。
財布の中のお札と、神社で手にするおみくじが、同じネパール産ミツマタからつながっている。
30年以上続いてきたミツマタ事業には、そんな意外な広がりもあります。
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