食品会社の味の素が半導体を支えるまで
「味の素」と聞いて、半導体を思い浮かべる人はほとんどいないはずです。ところが同社は、高性能なCPUやサーバーを支える絶縁材料「味の素ビルドアップフィルム(ABF)」を生み出した企業でもあります。『カンブリア宮殿(驚異の大進化!味の素 世界攻略の舞台裏)(2026年8月20日)』をきっかけに気になる、食品と半導体がどうつながったのか、ABFの役割、開発に携わった中村茂雄社長、さらに遺伝子治療まで広がる事業を分かりやすく見ていきます。
この記事でわかること
- 味の素が半導体分野に進んだ理由
- ABFが高性能半導体で果たす役割
- 中村茂雄社長とABF開発の深い関係
- 半導体から遺伝子治療まで広がる事業
味の素が半導体事業を手がける理由
最初に大事なのは、味の素が半導体そのものを製造しているわけではないという点です。
味の素グループが手がけているのは、半導体パッケージ基板に使われる層間絶縁材料「味の素ビルドアップフィルム(ABF)」です。製造を担っているのはグループ会社の味の素ファインテクノです。
半導体チップは、それだけではパソコンやサーバーの基板とつなぐことができません。チップとプリント基板の間には、非常に細かな配線を何層にも重ねた「半導体パッケージ基板」が必要になります。
その配線同士が意図しない場所で電気的につながらないように隔てるのが絶縁材料です。ABFは、この重要な部分に組み込まれています。
「味の素が半導体を作っている」と聞くとかなり意外ですが、正確には半導体の高性能化を支える重要材料を作っている会社ということになります。
しかもABFは、高性能パソコンやデータセンターのサーバーなどで使われるFC-BGAと呼ばれる半導体パッケージ向け絶縁材料で、世界的に非常に高いシェアを持っています。味の素グループは約95%という数字を紹介しています。
ここまで知ると、「食品会社がなぜそんな材料を作れたのか」という疑問がさらに大きくなります。
味の素の半導体材料ABFは「味の素」の研究から生まれた
食品と半導体をつないでいるのが、味の素グループが長年蓄積してきたアミノ酸を起点とする素材研究です。
ABFの源流をたどると、うま味調味料「味の素」の主成分であるグルタミン酸ナトリウムの製造に行き着きます。
グルタミン酸ナトリウムを製造する過程で生じた副産物から塩素化パラフィンが生まれ、そこから樹脂に機能を与える素材、難燃剤、エポキシ樹脂の硬化剤などへ研究が広がりました。
さらに、さまざまな素材を組み合わせる素材技術と配合技術が蓄積され、接着剤などのエポキシ樹脂関連製品へ発展。その延長線上で半導体用絶縁材料ABFが誕生しています。
つまり、
うま味調味料 → 素材研究 → 樹脂技術 → 絶縁材料 → 半導体
という長い技術の積み重ねがあったわけです。
まったく無関係な業界へ突然参入したわけではありません。このつながりを知ると、「なぜ味の素に半導体材料を作れるのか」がかなり理解しやすくなります。
従来の液体絶縁材料を「フィルム」に変えたことが大きな転機
味の素グループでは1970年代から、アミノ酸に関するノウハウを応用した絶縁性のあるエポキシ樹脂を研究していました。
1990年代に入ると、パソコンの性能向上とともにCPUの端子数が増え、半導体パッケージ基板の配線も急速に複雑になります。
そこで必要になったのが、より細かな加工に対応できる絶縁材料でした。
当時使われていた液体タイプの絶縁材料には、塗りムラや気泡が発生しやすく、塗った後に乾燥させる工程も必要という課題がありました。
味の素グループが挑んだのは、この絶縁材料をフィルム状にすることでした。
フィルムなら基板に貼り付けて使用できます。
有機物であるエポキシ樹脂や硬化剤と、無機物の微粒子を均一に混ぜ、絶縁性能だけでなく耐久性、熱への強さ、加工のしやすさまで両立させる必要がありました。
この難しい条件をクリアして完成したのがABFです。
単に「電気を通さない素材」を作ったのではなく、半導体基板を大量生産しやすくする加工方法まで変えたところが大きなポイントです。
ABFが高性能CPUで重要になる仕組み
ABFの役割を理解すると、なぜこれほど重要な材料なのかが分かります。
現在の高性能CPU内部では、極めて小さな電子回路が形成されています。一方、CPUを載せるプリント基板側の配線は、それよりずっと大きなサイズです。
この大きさの違う2つをいきなり接続することはできません。
そこで間に入り、細かな配線から徐々に大きな配線へ橋渡しするのが半導体パッケージ基板です。
ABFを絶縁層として重ね、その表面にレーザー加工や銅メッキによって微細な回路を形成していきます。
イメージとしては、
CPU
↓
細かな配線
↓
ABFを使った多層基板
↓
徐々に大きな配線
↓
プリント基板
という関係です。
ABFそのものが計算をしているわけではありません。それでも、高性能な半導体を実際の電子機器として使える形につなぐためには欠かせない材料です。
普段目にすることのないフィルムがパソコンやサーバーの性能を陰で支えているというのは、かなり面白いところです。
ABFが世界で高いシェアを持つ理由
約95%というシェアだけを見ると、「特殊な素材をいち早く開発したから」と考えたくなります。
しかし、強さは材料そのものだけではありません。
半導体は世代が変わるたびに高性能化し、必要とされる絶縁材料の性質も変わります。パソコン向けとサーバー向けでも要求される仕様は同じではありません。
味の素ファインテクノでは顧客の要望に合わせてABFを改良し、用途に応じた複数のシリーズを展開してきました。
さらに特徴的なのが、単に材料を納入するだけでなく、半導体や基板の設計段階から顧客と関わることがある点です。
半導体の世代が変わる
↓
必要な材料性能が変わる
↓
顧客と次世代材料を検討する
↓
新しいABFを開発する
こうした関係が積み重なれば、簡単に別の材料へ置き換えられる商品とは性格が違ってきます。
高いシェアだけでなく、材料・加工ノウハウ・顧客との共同開発が組み合わさっていることが、ABFの強さを理解するうえで大切です。
中村茂雄社長はABF開発に携わった研究者
ここでもう1つ面白いのが、現在の味の素社長中村茂雄さんとABFとの関係です。
中村さんは経営畑だけを歩いてきた人物ではありません。
1992年に東京工業大学大学院を修了して味の素へ入社し、中央研究所で機能性材料の開発に携わりました。そして1996年から、ABFの開発に加わっています。
中村さん自身は大学時代、生分解性プラスチックの発酵合成を研究していました。
発酵技術への関心から味の素に入社し、「新しいものを開発して人の役に立ちたい」という思いを持っていた一方、最初に配属されたのは食品ではなく電子材料の研究部門でした。
人生は分からないものですね。
食品開発を思い描いて入った会社で電子材料に配属され、その研究がやがて世界的な半導体材料へ育ち、本人は後に会社のトップになりました。
ABFの成果では2011年に日本化学会化学技術賞を受賞。2019年にはABFを製造する味の素ファインテクノの社長も務め、その後ラテンアメリカ事業などを経験し、2025年2月に味の素の代表執行役社長に就任しています。
ABFは一度「コア事業ではない」と存続の危機も経験した
今では味の素を代表する先端材料の1つですが、ABFは最初から将来を約束された事業ではありませんでした。
中村茂雄さんは、ABFの研究開発中に「コア事業ではない」としてテーマ存続の危機が何度もあったことを振り返っています。
それでも開発を続け、半導体パッケージ基板がセラミックからプラスチックへ切り替わっていく市場の変化にも後押しされ、1999年に大手半導体メーカーへの採用と量産開始につながりました。
結果だけを見ると「食品会社が半導体分野で大成功した」という華やかな話ですが、その前には長い基礎研究と、事業そのものがなくなるかもしれない時期がありました。
ABFの歴史で特に印象的なのはここです。
既存の食品事業とは離れて見えた研究を捨てずに続けたことが、数十年後の大きな事業につながったわけです。
「アミノサイエンス」が食品と半導体をつないでいる
味の素グループでは、100年以上にわたるアミノ酸研究から生まれた素材・機能・技術・サービスや、その研究を社会へ応用していく科学的アプローチを「アミノサイエンス」と呼んでいます。
ここを押さえると、味の素という会社の見え方が少し変わります。
「ほんだし」「Cook Do」「コンソメ」「クノール」などを販売する食品メーカーである一方、研究の根っこには、発酵、アミノ酸、化学、素材設計などの技術があります。
その技術を食品に使えば、おいしさや栄養につながる。
素材へ展開すればABFにつながる。
バイオ医薬へ展開すれば、医薬品製造を支える技術にもつながります。
つまり事業分野は違って見えても、研究技術を別の用途へ応用するという点では1本の線でつながっているのです。
味の素は食品だけで売上1兆円を超えた会社ではない
味の素グループの2026年3月期売上高は1兆5,837億円となりました。
内訳を見ると、調味料・食品が8,960億円、冷凍食品が2,893億円、ヘルスケア等が3,283億円などとなっています。
もちろん売上の中心は今も食品です。
それでも3,000億円を超えるヘルスケア等の事業を抱えていることを考えると、「調味料を作っている会社」だけでは全体像を捉えられなくなっています。
半導体材料が突然飛び出してきたように見えるのも、消費者が普段目にする商品と、企業向けに提供している材料や技術との距離が大きいからでしょう。
半導体に続き遺伝子治療へ広がる味の素の事業
もう1つ大きく広がっているのが医薬品の開発・製造支援です。
味の素グループは2023年、米国オハイオ州のForge Biologicsをグループに加え、遺伝子治療薬のCDMO事業へ進出しました。
CDMOとは、製薬会社などから医薬品の開発や製造を受託する事業です。
Forge Biologicsは、治療に必要な遺伝子を細胞へ届ける「運び屋」として使われるAAVベクターなどの製造技術を持っています。味の素が長年培ってきた細胞培養用の培地技術とも組み合わせ、AAVベクターの生産量を約2倍に高める培地用サプリメントも開発しています。
半導体と遺伝子治療は、一見するとまったく違う分野です。
しかし両方に共通するのは、完成品を一般消費者へ直接販売するだけではなく、他社の高度な製品づくりを材料や技術で支える事業だという点です。
ABFが半導体産業を材料から支えるように、医薬品分野では研究・製造技術から新薬開発を支えています。
ABFの生産拡大は2032年稼働予定の新工場へ
ABFは過去の成功商品として終わっているわけではありません。
味の素と味の素ファインテクノは2026年5月、岐阜県可児市に新たなABF生産工場を建設する計画を発表しました。
2028年に着工し、2032年の稼働開始を予定しています。
現在の川崎市の本社工場、群馬県昭和村の群馬工場に続く第3の生産拠点となり、生産能力の拡大だけでなく、災害などで1拠点が停止した場合にも供給を維持しやすくする狙いがあります。
AIの普及によって大量の計算を行うデータセンターや高性能サーバーの重要性が増すほど、それを支える半導体パッケージ材料にも高い性能が求められます。
味の素を見るときは、スーパーの食品売り場だけでなく、パソコンやAIサーバーの内部にも同社の技術が入っていると考えると、その事業の広がりが一気に分かりやすくなります。
「味の素がなぜ半導体なのか」という疑問の答えは、異業種へ突然進出したからではありません。
うま味調味料から始まった素材研究を長く積み重ね、その技術を時代が求める新しい分野へ応用し続けた結果がABFです。そして、その開発に携わった研究者が現在の社長を務めているところまで含めて見ると、食品会社から先端技術企業へ広がってきた道筋がよく見えてきます。
参考リンク
気になる生活ナビをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。


コメント