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吉田安成とは?300年ぶり仁王像大修理と高知の山奥に移住した理由【ナゼそこ?】

ナゼそこ?

高知の山奥で仏像を彫る世界級の仏師

『ナゼそこ?(世界的名鑑に載る超一流の人物がナゼ山奥に?300年ぶり大偉業SP)(2026年9月3日)』で気になる人物は、高知県香南市の山里で活動する仏師・吉田安成さんです。14歳の仏像との出会いを転機に木彫の世界へ進み、国宝修理の現場などで技術を磨いてきました。東京から高知へ移った理由、世界的な職人名鑑に掲載された背景、約300年の時をつないだ仁王像修理まで詳しく見ていきます。

この記事でわかること

  • 世界的名鑑に載った人物の正体
  • 14歳で仏師を志した人生の転機
  • 東京から高知の山奥へ移った理由
  • 約300年の時をつないだ仁王像大修理

世界的名鑑に載る人物は仏師・吉田安成さん

Homo Faber Guide 掲載のお知らせ – よしだ造佛所

(出典:Homo Faber Guide

高知県の山奥で暮らす超一流の人物は、よしだ造佛所の代表仏師・吉田安成(よしだ やすまさ)さんです。

1974年に石川県で生まれ、岐阜県で育ちました。仏像を新しく彫る「造像」だけでなく、長い年月を経て傷んだ古い仏像を修理し、次の時代へ残していく仕事をしています。

これまで成田山新勝寺の薬師如来模刻や鎌倉・円覚寺の大休正念像の彫刻などに携わり、文化財修理の経験も積んできました。2003年には全国木彫刻コンクール井波で「救世観音」が北日本新聞社賞を受賞しています。

そして2024年、世界の優れた職人を紹介するHomo Faber Guideに木彫家として掲載されました。

掲載ページでは単なる「wood sculptor」だけではなく、宗教木彫像を制作・修復する「busshi」として紹介されています。活動場所も高知県香南市です。

世界的名鑑「Homo Faber Guide」に載るほどの技術

吉田さんが掲載されたHomo Faber Guideは、スイス・ジュネーブを拠点とする国際的非営利団体ミケランジェロ財団が展開する、職人や工芸を紹介するプラットフォームです。

番組紹介にある「サグラダ・ファミリア修繕者らが並ぶ名鑑」という手掛かりとも一致します。

実際に同じHomo Faberには、スペイン・バルセロナで活動し、サグラダ・ファミリア建設で窓や柱、階段などの石彫に携わった石彫家ジャン・ブリアックも掲載されています。

その世界的な職人たちと同じ場所で、吉田さんは日本の「busshi」として紹介されているのです。

吉田さん自身は、仏師とは単に美しい木彫を作る人ではなく、神仏への精神性を持ちながら仏教文化を伝える役割を担う存在だと語っています。

古いものをただ新品のように直すのではなく、何百年も受け継がれてきた時間や祈りまで次へ渡していくところに、一般的な木彫作家とは違う仕事の重みがあります。

父子家庭や不登校を経験した少年が14歳で仏師を志した

吉田さんの人生で大きな転機となったのが14歳での仏像との出会いです。

幼少期には父子家庭で育ち、不登校や引きこもりも経験しました。

Homo Faberの人物紹介には、14歳のとき釈迦如来像を前にし、その穏やかな姿に強く心を動かされ、宗教彫刻を生涯の仕事にすると決めたことが記されています。

一時的な興味ではありませんでした。

中学校の卒業式を終えた翌日には、木彫で知られる富山県南砺市の旧井波町へ向かい、木彫家・土田信久さんのもとで5年間修業しています。

10代で親元を離れ、すぐに職人の道へ入ったことになります。

不登校や引きこもりを経験した少年が、自分の人生をかけられるものを見つけ、卒業直後から専門修業に入ったという流れを知ると、14歳の出会いがどれほど大きかったのかが分かります。

国宝修理の現場で古い仏像を受け継ぐ技術を磨いた

井波で木彫の基礎を身につけた後は、仏師・岩松拾文さんのもとでさらに6年間修業しました。

その後、京都の美術院国宝修理所で学び、木造文化財の保存修理を手掛ける明古堂に勤務。新しい仏像を彫る技術と、古い仏像を残す技術の両方を身につけていきます。

この経歴は、後の吉田さんの仕事を理解するうえで重要です。

新作なら、自分が望む形へ彫り進められます。一方、文化財修理では、自分の作品にしてはいけません。残されている部材や彫刻、過去の修理跡を読み取りながら、できる限り歴史を損なわず未来へ渡す必要があります。

吉田さんは新しい仏像を作る一方、高知の竹林寺、京都の浄教寺、高知の定福寺、愛媛の大安寺など各地の仏像修理を手掛けてきました。

「作れる人」であるだけでなく、「残せる人」であることが大きな強みです。

東京から高知へ、さらに羽尾の山里へ移った理由

吉田さんは2016年によしだ造佛所を設立し、2017年に東京から高知県へ活動拠点を移しました。

そして山奥暮らしにつながる大きな出来事が、香南市夜須町羽尾にあるまきでら長谷寺の仁王像修理でした。

長谷寺は山の上にあり、周辺では過疎化が進んでいました。仁王像は長年傷みが目立ち、寺や檀家にとって修理が悲願となっていました。

修理には数年かかるため、2020年の春から仁王像を預かることになった吉田さん一家は、寺の近くへ住まいと工房を移します。

しかもこれは職人側だけの判断ではありませんでした。

仁王像を遠くの工房へ預けてしまうのではなく、地元の人たちが修理の過程を見守れるよう、「吉田仏師に集落に住み込んでもらって修復してもらおう」と檀家の間で話がまとまった経緯があります。

つまり、便利な都会を離れて偶然山奥に住んでいるのではなく、地域に残る仏像と向き合う仕事そのものが、現在の暮らす場所につながっているのです。

約300年の時をつないだ長谷寺仁王像の「令和の大修理」

山奥への移住理由と深くつながっているのが、まきでら長谷寺の仁王像です。

修理は2020年に始まりました。

仁王像を解体したところ、阿形の胎内から宝永4年(1707年)に行われた修理を記録した墨書が発見されました。吽形にも同じ1707年の修理時の墨書が残されていました。

300年以上前に像の内部へ残された記録が、再び人の目に触れたことになります。

詳しい調査では、造像当初とみられる顔の部分を残しながら、江戸時代の大修理で多くの部分が作り直されていたことも分かってきました。

吉田さんたちは傷んだ部材をただ交換するのではなく、構造の記録、写真撮影、樹種や年代の科学的な調査なども組み合わせながら作業を進めています。

そして4年間に及んだ修理を終え、2024年10月に仁王像は山門へ戻りました。11月4日には開眼法要が営まれています。

1707年に仁王像を修理した人々が内部へ記録を残し、それを300年以上後の職人たちが受け取る。そして令和の修理記録が、さらに何百年先へ渡されていく。

この仕事は1体の仏像を直すだけでなく、江戸時代と令和、そして未来をつなぐ修復になっています。

妻・吉田沙織さんも「よしだ造佛所」を支えている

吉田さんの仕事を一緒に支えているのが妻の吉田沙織さんです。

沙織さんは看護師として働いた経験があり、作家の秘書や個人専属看護師、クリニックの医療相談室などでも仕事をしてきました。

2人が出会ったのは東京の弓道場でした。

妊娠・出産を機にクリニックを退職し、よしだ造佛所へ。現在は吉田さんの職人技と、沙織さんが持つ医療・事務・企画・発信などの経験を組み合わせながら、小さな工房を夫婦で営んでいます。

仁王像修理でも、修理そのものだけでなく地域への情報発信やイベントなどを組み合わせ、仏像を地域の人が改めて知る機会につなげてきました。

長い時間をかける文化財修理では、職人の技術だけでなく、その価値を地域の次の世代へ伝えることも大切です。

山里に家族で暮らすことと、工房の仕事がきれいに分かれているわけではなく、暮らしそのものが活動の一部になっていることが分かります。

2026年も文化財修理と新しい仏像制作が続いている

仁王像の大修理を終えて活動が一区切りしたわけではありません。

2024年には能登半島で国の文化財レスキューによる被災仏像の応急処置にも参加。2025年にも同事業へ参加したほか、ドイツから木彫・造仏を学ぶインターンを受け入れました。

2026年には、愛媛県の大安寺にある地蔵菩薩坐像と観音菩薩坐像、高知県香南市指定文化財となっているまきでら長谷寺の十一面観音立像などの修理に取り組んでいます。

さらにYAMAKINとの現代仏像プロジェクトも始まりました。

何百年前の像を守る仕事と、新しい時代の仏像を生み出す仕事が同時に進んでいるのが吉田さんの現在です。

14歳で見つけた「仏師」という仕事が、国宝修理の現場を経て高知の山里へつながり、世界の職人を紹介する場にも届きました。

山奥だから仕事から離れているのではなく、山奥に残る寺や仏像、人々の記憶と近い場所にいること自体が、現在の吉田さんの仕事につながっているのです。

羽尾工房を訪ねる場合は予約が前提

吉田さんが活動する羽尾工房は、高知県香南市の山間部にあります。

Homo Faber Guideでは香南市の工房として掲載され、訪問については予約制と案内されています。一般的な観光施設のように自由に入場する場所ではないため、作品や制作について相談したい場合も事前に連絡してから訪れる形になります。

周辺には仁王像修理の舞台となったまきでら長谷寺もあります。

世界の職人を紹介する名鑑に名前が載りながら、仕事場は大都市ではなく高知の小さな山里。その一見不思議な組み合わせも、これまでの歩みをたどると必然だったことが見えてきます。


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