14歳で見つけた「仏師」という生きる道
『ナゼそこ?(世界的名鑑に載る超一流の人物がナゼ山奥に?300年ぶり大偉業SP)(2026年9月3日)』で紹介される仏師・吉田安成さんには、仁王像の大修理とは別にもう1つ深く知りたい人生があります。父子家庭で育ち、不登校や引きこもりも経験した10代。その時期に仏像と出会い、14歳で仏師を志すと、中学校を卒業した翌日には木彫の町・井波へ向かいました。現在、中学生へ伝えている言葉までたどると、その歩みが一本につながります。
この記事でわかること
- 14歳で仏師を志したきっかけ
- 中学卒業翌日に井波へ向かった経緯
- 国宝修理の技術を身につけるまでの修業
- 2026年に中学生へ伝えた自身の経験
14歳で釈迦如来像と出会い仏師になる道を選んだ
(出典:四国仏師 吉田安成 公式X)
吉田安成さんが仏師への道を選んだのは、まだ14歳のときでした。
よしだ造佛所の経歴には、初めて仏像を手に取った14歳のときに「これだ」と感じ、仏師を志したと記されています。
世界の工芸職人を紹介するHomo Faber Guideでは、さらにそのときの様子が紹介されています。
吉田さんは釈迦如来像を前にした際、その姿から感じた穏やかさに強く心を動かされ、宗教彫刻を仕事にすると決めました。単に木彫が好きだったから職人を選んだのではなく、仏像そのものとの出会いが進む方向を決めたことが分かります。
幼少期には父子家庭で育ち、不登校や引きこもりも経験しました。
10代前半は、この先何をして生きていくのかさえ見えにくい時期だったはずです。そこから仏像という具体的な目標を見つけたことが、その後30年以上続く職人人生の出発点になりました。
中学校の卒業式を終えた翌日に井波へ向かった
吉田さんの経歴で特に印象的なのが、仏師を志してから実際に動き出すまでの速さです。
1990年、中学校の卒業式を終えた翌日から富山県南砺市の旧井波町で修業を始めています。
師事したのは木彫家の土田信久さん。ここで5年間にわたり木彫の基礎を身につけました。
井波は木彫刻で知られる土地です。
2026年に吉田さんが高知県香南市の夜須中学校で行った職業講話では、中学卒業後に井波へ渡り、約200人もの木彫刻家が暮らす環境の中で5年間修業したことが紹介されています。
高校、大学、専門学校へ進んでから職人を目指したのではありません。
14歳で方向を決め、中学校を卒業するとすぐ、本格的な職人の世界へ入っています。
現在の吉田さんが高度な彫刻技術を持つ背景には、この10代から積み重ねた長い時間があります。
5年間の木彫修業からさらに6年間の仏師修業へ進んだ
井波で5年間学んでも、修業は終わりませんでした。
1995年からは仏師の岩松拾文さんに6年間師事します。
この工房では川崎大師の両大師制作も担当しました。木そのものを彫る技術から、寺院に納められる仏像を制作する専門的な技術へと仕事の幅を広げていきます。
その後は京都の美術院国宝修理所でも半年間学びました。
美術院は木造彫刻修理の選定保存技術保持団体で、国宝や重要文化財を含む文化財の保存修理に取り組んでいます。修理では形を整えるだけでなく、像の内部構造や材料、過去の修理歴なども確認しながら処置を決めます。
新しい仏像を彫る技術と、何百年も残ってきた仏像を壊さず次代へ渡す技術。
吉田さんはこの両方を学んでいきました。
成田山新勝寺や円覚寺の仕事にも参加した
その後、木造文化財の修理などを手掛ける明古堂に勤務し、文化財修理と新しい仏像の制作に携わりました。
担当した仕事には、
- 成田山新勝寺の薬師如来模刻
- 鎌倉・円覚寺の大休正念像の彫刻
などがあります。
2003年には全国木彫刻コンクール井波へ「救世観音」を出品し、北日本新聞社賞を受賞しました。
さらに2014年には東洋美術学校保存修復科の非常勤講師となり、自ら学ぶ立場から、文化財保存を学ぶ若い世代へ技術を伝える側にも回っています。
14歳で仏像に心を動かされた少年が、やがて寺院の仏像を制作・修理し、後進を教えるまでになったことになります。
不登校を経験した吉田安成さんが現在は中学生へ生き方を伝えている
この人生をさらに印象深いものにしているのが、2026年の夜須中学校での職業講話です。
吉田さんは地元の中学2年生を前に、自分が13〜14歳のころに仏像と出会い、中学校卒業後に井波へ渡った経験を語りました。
生徒たちへ伝えたのは、最初から巨大な目標を立てることではありません。
好きなことを見つけて続けること。
そして、手が届きそうな目標から始め、小さな成功体験を重ねていくことの大切さでした。
失敗についても、そこで終わらず最後まで続ければ、成功につながる経験になるという考えを伝えています。
かつて学校へ行けない時期を経験した本人が、30年以上後に地元の中学校へ招かれ、自分の仕事と生き方を話している。
これは吉田さんの経歴の中でも象徴的な出来事です。
「学校生活が順調だったから職人になった」という一直線の人生ではありません。
10代で一度立ち止まり、その時に出会ったものを自分の仕事へ変え、今度は同じ年代の子どもたちへ経験を渡しています。
「好きなことを続ける」が世界的評価までつながった
吉田さんは2016年によしだ造佛所を設立し、翌2017年には東京から高知へ移住しました。
新しい仏像の制作だけでなく、古仏の修理や地方寺院の文化財保存にも取り組み、活動は高知の山間部へ広がっていきます。
そして2024年にはHomo Faber Guideへ掲載されました。
運営するミケランジェロ財団は、世界各地の優れた工芸職人や工芸文化を紹介しています。
よしだ造佛所は掲載時、仏師を単純に英語へ置き換えず「busshi」と表現されたこと、そして吉田さんの来歴から「ikigai」という概念が取り上げられたことを特に印象的だった点として紹介しています。
14歳のときに見つけたものが、一時的な夢で終わらなかったからこそ、世界へ紹介される仕事まで続きました。
10代の修業経験は今の文化財修理にも生きている
仏像制作は、彫刻刀で形を彫れば終わる仕事ではありません。
文化財修理では、像の傷みを確認し、内部構造や過去の修理痕を調べ、元の材料や技法を尊重しながら必要な処置を選びます。
美術院でも、X線CTや赤外線撮影、樹種同定、年輪年代調査などの科学調査を必要に応じて組み合わせています。
吉田さんが後に約300年ぶりとなる長谷寺仁王像の大規模修理へ取り組めた背景には、10代の木彫修業から始まり、仏師の工房、国宝修理の現場、文化財修理会社と積み上げてきた経験があります。
山奥に暮らす世界級の仏師という現在だけを見ると、非常に特殊な人生に見えます。
しかし始まりまで戻ると、その原点は意外なほどシンプルです。
14歳で「これだ」と思えるものに出会い、翌年にはその世界へ飛び込んだ。
吉田安成さんの現在につながる最大の転機は、そこにあります。
タイトル:吉田安成が14歳で仏師を志した転機|不登校から中学卒業翌日に井波へ【ナゼそこ?】
カテゴリー:伝統工芸
肩書:14歳から木彫の道を歩む文化財修復の仏師
関連商品:初心者向け木彫・仏像彫刻用の彫刻刀セット
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