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バッテリィズが氷100km運搬に挑戦!富士山の氷を将軍に献上した江戸時代の保存術|千鳥かまいたちゴールデンアワー

雑学

バッテリィズが富士山麓から東京まで氷を運ぶ!江戸時代の氷運搬を再現する100kmの大実験

2026年10月14日(水)放送の日本テレビ『千鳥かまいたちゴールデンアワー』2時間スペシャルでは、お笑いコンビのバッテリィズが、富士山麓から東京まで約100kmの道のりを自転車で走り、氷を溶かさずに運ぶ大実験に挑戦します。

今回の挑戦の背景にあるのは、江戸時代に行われていた氷の献上です。

冷蔵庫がなかった時代、富士山周辺の天然氷は非常に貴重なものでした。富士山の氷穴に保存された氷が、将軍への献上品として使われていた歴史があります。

しかし、夏の暑さの中で大量の氷を遠くまで運ぶのは簡単ではありませんでした。

1861年には、氷事業の先駆者・中川嘉兵衛が富士山麓で採った氷を横浜へ運ぼうとしましたが、最初に100トンあった氷は、到着時にはわずか8トンに減っていました。

バッテリィズの100km挑戦を通して、冷蔵技術のなかった時代の氷運びの難しさと、日本の冷却・保存技術の歴史に注目が集まります。

この記事でわかること

  • バッテリィズが挑戦する氷100km運搬の内容

  • 江戸時代に富士山の氷を将軍へ献上していた歴史

  • 中川嘉兵衛が100トンの氷を運び、8トンしか残らなかった理由

  • 富士山の氷穴の仕組みと天然氷を保存する技術

バッテリィズが富士山麓から東京まで約100kmの氷運搬に挑戦

バッテリィズが挑戦するのは、富士山麓から東京まで、氷を溶かさずに届けるという大実験です。

移動距離は約100km。交通手段には自転車を使います。

現代では、冷凍車や保冷設備を利用すれば、氷を遠方まで運ぶことができます。

しかし、冷却装置を使わずに長距離を移動する場合は、外気温や日差し、移動時間、氷を包む材料によって溶け方が変わります。

今回の挑戦では、江戸時代の氷運びを再現するというテーマのもと、長距離輸送の難しさに迫ります。

  • 挑戦者:バッテリィズ

  • 出発地:富士山麓

  • 目的地:東京

  • 移動距離:約100km

  • 移動手段:自転車

  • 挑戦内容:氷を溶かさずに目的地まで運ぶ

  • 番組ゲスト:小泉孝太郎、今田美桜

かつて富士山の氷は、将軍に献上されるほど価値のあるものでした。

その歴史を現代の自転車による大実験として取り上げることで、氷の保存や輸送の難しさを体感する企画になっています。

江戸時代の富士山の氷は将軍への献上品だった

江戸時代、富士山周辺には夏でも氷が残る場所がありました。

その代表的なものが「氷穴」と呼ばれる天然の洞窟です。

富士山周辺には火山活動によって作られた洞窟が多く存在します。溶岩が流れた後に地下空間が残り、内部が低温に保たれる場所があります。

国土交通省の富士砂防事務所では、富士山の氷穴について、夏でも氷が絶えず、冷蔵庫がなかった江戸時代には将軍への献上品として利用されたことを紹介しています。

当時の氷は、現在のように誰でも手軽に使えるものではありませんでした。

冬の間に確保した氷や雪を保存し、暑い季節に使うことは、特別な技術と手間を必要とする行為でした。

氷は宮廷や武家社会でも重視され、夏に氷を贈る習慣が受け継がれていました。

江戸幕府でも、富士山の雪や氷を届ける行事が行われています。

氷を大量に製造する機械がなかった時代、天然氷は季節を越えて保存するだけでも価値がありました。

さらに、それを山から取り出し、暑い平地を通って遠くまで運ぶ必要があったのです。

富士山の鳴沢氷穴は夏でも氷が残る天然の冷蔵庫

富士山の氷の保存技術を知るうえで、重要な場所が山梨県鳴沢村にある「鳴沢氷穴」です。

鳴沢氷穴は、富士山の火山活動によって生まれた溶岩洞穴です。

1929年12月17日には、国の天然記念物に指定されました。

洞窟の内部には冷たい空気がたまり、天然の氷が見られる場所があります。

氷穴が低温を維持する仕組みには、地形と地下の岩盤、空気の循環などが関係しています。

地上では夏の強い日差しによって気温が高くなっても、地下には太陽光が直接届きません。

さらに、冷たい空気がたまりやすい洞窟の構造が、氷の保存に適した環境を作っています。

鳴沢氷穴では、かつて春先に切り出した氷を四角く整え、夏まで積み上げて保存していました。

現在も、当時の保存方法を伝えるために、四角い氷を並べた展示が行われています。

自然の洞窟を利用することで、機械を使わずに低温環境を確保していたのです。

現代の電気冷蔵庫とは仕組みが異なりますが、自然の冷気を生かした保存施設という点で、氷穴は貴重な存在でした。

中川嘉兵衛は1861年に富士山麓から氷100トンの輸送に挑戦した

江戸時代末期、天然氷を商売として広めようとした人物がいました。

それが、1817年に三河国、現在の愛知県東部で生まれた中川嘉兵衛です。

嘉兵衛は、1859年の横浜開港を機に横浜へ移住しました。

横浜ではイギリス公使のもとで料理を学び、その後、牛肉や牛乳の販売を始めました。

当時の日本では、牛肉や牛乳などの保存が大きな課題でした。

冷蔵庫がないため、暑い季節に食品を長く保存することが難しかったのです。

嘉兵衛は医師のヘボン博士から、食品の衛生管理における氷の重要性を教えられ、氷を大量に供給する事業を始めようと考えました。

そして1861年、横浜で氷室建設の許可を得て、富士山麓で採氷を開始しました。

この時に試みたのが、富士山麓から横浜まで天然氷を運ぶ事業でした。

ただし、嘉兵衛が実際に使った輸送ルートは、今回のバッテリィズの東京までの自転車ルートとは異なります。

嘉兵衛は馬と帆船を使って、氷を横浜へ運ぼうとしたのです。

100トンの氷が8トンに!中川嘉兵衛を苦しめた輸送中の融解

中川嘉兵衛が富士山麓で採った氷を運ぶために選んだのは、木箱とおがくずを使う方法でした。

氷を木箱に詰め、おがくずで包むことで、外からの熱の影響を抑えようとしたのです。

輸送の流れは次のようなものでした。

  1. 富士山麓で天然氷を採取する。

  2. 木箱におがくずを詰め、氷を包む。

  3. 馬を使って静岡市の江尻港まで運ぶ。

  4. 江尻港から帆船で横浜へ輸送する。

しかし、輸送中に氷は大きく溶けてしまいました。

採氷した時点で100トンあった氷は、横浜に到着したときには8トンしか残っていませんでした。

つまり、最初の量の92%が失われたことになります。

大量の氷を運んでも、目的地に届くころにはわずかな量しか残らない。

これでは採氷や輸送にかかった費用を回収することも難しくなります。

それでも嘉兵衛は事業を諦めませんでした。

その後も諏訪湖、日光、釜石、青森などで氷の採取と輸送に挑戦しましたが、思うような成果を上げられませんでした。

氷を採ることだけでなく、輸送中に溶かさないことが事業成功の大きな条件だったのです。

富士山で失敗した中川嘉兵衛は北海道の五稜郭で氷事業に成功

何度も失敗した中川嘉兵衛が、最後にたどり着いた場所が北海道の函館でした。

函館には寒冷な気候に加え、船を使って大量の氷を輸送できる港がありました。

嘉兵衛が注目したのは、五稜郭周辺の水質と、函館から京浜地区へ船で運べる条件です。

その後、アメリカから技術者を招き、氷の採取や保存方法の改良に取り組みました。

そして1869年、天然氷約500トンの採取と、京浜地区への輸送・販売に成功しました。

富士山麓での最初の挑戦から8年後のことでした。

さらに1870年には600トン、1873年には1,200トンと生産量を増やしていきます。

1871年には函館に3,500トンを貯蔵できる大型の氷室を建設しました。

1873年には東京・日本橋箱崎町にも大型氷室を建設し、氷を安定して販売する体制を整えました。

嘉兵衛が販売した氷は「函館氷」と呼ばれ、輸入されていたボストン氷との競争でも評価されるようになりました。

1877年には、東京・上野公園で開催された第1回内国勧業博覧会に函館氷を出品し、一等賞を受賞しています。

富士山麓から始まった氷の輸送への挑戦は、やがて日本の氷産業を発展させる事業へとつながりました。

氷を長時間溶かさないために重要なのは断熱と移動時間

バッテリィズの100km運搬を理解するうえで、氷が溶ける仕組みも重要です。

氷は周囲から熱を受け取ることで溶けていきます。

氷の温度が0℃に達した後も、固体から液体へ変わるためには熱エネルギーが必要です。

ニチレイが公開している「氷の実験室」では、0℃の氷1gを0℃の水に変えるために、約80calのエネルギーが必要だと説明しています。

氷を溶かさないためには、外部から入る熱をできる限り減らす必要があります。

一般的な保冷のポイントは次のとおりです。

  • 断熱材: 外の熱が氷へ伝わるのを抑える。

  • 容器の密閉: 温かい空気が入り込むのを減らす。

  • 直射日光を避ける: 太陽光による加熱を防ぐ。

  • 移動時間: 熱の影響を受ける時間を短くする。

  • 氷の大きさ: 同じ質量なら、大きな塊は細かい氷より表面積が小さく、一般に溶けにくい。

江戸時代末期に中川嘉兵衛がおがくずを使ったのも、熱の伝わり方を抑える工夫の1つでした。

おがくずは繊維の間に空気を含むため、断熱材としての役割があります。

しかし、断熱材だけで完全に熱を遮断することはできません。

長い時間をかけて移動すれば、少しずつ熱が氷へ伝わり、融解が進みます。

今回のバッテリィズの大実験も、単純な自転車の長距離走行だけではなく、氷をどのように守りながら運ぶかが重要なテーマとなります。

実用情報|鳴沢氷穴では江戸時代の氷の保存文化を体感できる

富士山の天然氷と昔の保存方法に興味を持った人は、鳴沢氷穴を見学できます。

鳴沢氷穴は、富士山麓の青木ヶ原樹海にある天然記念物の洞窟です。

洞窟内部では、天然氷や氷の保存方法を紹介する展示などを見られます。

施設情報

  • 施設名:鳴沢氷穴

  • 所在地:山梨県南都留郡鳴沢村8533

  • 文化財指定:国指定天然記念物

  • 指定日:1929年12月17日

  • 通常営業時間:9時00分~17時00分

  • 大人料金:350円

  • 小学生料金:200円

  • 電話番号:0555-85-2301

営業時間は季節や混雑状況などによって変更されるため、訪問前に公式サイトで確認してください。

洞窟内は天井が低い場所や滑りやすい場所があるため、歩きやすい靴を用意することが大切です。

江戸時代に貴重だった氷が、どのような自然環境で保存されていたのかを知ることができる施設です。

まとめ

2026年10月14日放送の『千鳥かまいたちゴールデンアワー』では、バッテリィズが富士山麓から東京まで約100km、氷を溶かさずに自転車で運ぶ大実験に挑戦します。

冷蔵庫がなかった江戸時代、富士山周辺の氷穴で保存されていた氷は、将軍への献上品になるほど貴重なものでした。

その後、1861年には中川嘉兵衛が富士山麓から横浜への氷輸送を試みましたが、100トンあった氷はわずか8トンに減ってしまいました。

それでも挑戦を続けた嘉兵衛は、1869年に函館で天然氷の輸送・販売に成功し、日本の氷産業の発展に大きく貢献しました。

私たちが普段何気なく使っている氷も、かつては採取から保存、輸送まで大変な手間がかかる貴重品でした。

バッテリィズの100km挑戦は、そうした氷の歴史と、熱を防ぎながら物を運ぶ技術の難しさを感じられる企画です。

参考リンク


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