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冨士久食堂の齊藤ファミリーが守る60年継ぎ足し秘伝タレと3世代の味【世界!ニッポン行きたい人応援団】

グルメ

群馬・高崎で3世代が守り続ける老舗食堂

群馬県高崎市で長く愛されてきた冨士久食堂。『世界!ニッポン行きたい人応援団(究極の“ニッポンの定食”をマスターするために大冒険!)(2026年8月17日)』では、パラグアイで定食屋を開くことを夢見るエリアスさんが、この店で生姜焼き作りを学びます。気になるのは、60年継ぎ足されてきた秘伝のタレだけではありません。齊藤昭夫さんと政子さんが始めた店を、息子、孫の世代へつないできた家族の歩みにも、冨士久食堂ならではの魅力があります。

この記事でわかること

  • 群馬の老舗食堂「冨士久食堂」の場所と特徴
  • 齊藤昭夫さん・政子さんから続く3世代の店の歴史
  • 60年継ぎ足されてきた秘伝のタレと生姜焼き・焼肉定食
  • エリアスさんが冨士久食堂で学ぶ意味と店舗の利用情報

群馬の老舗食堂は高崎市の「冨士久食堂」

エリアスさんが生姜焼き作りを学ぶ「群馬の老舗食堂」は、群馬県高崎市中里見町の冨士久食堂です。

住所は群馬県高崎市中里見町121-2。高崎市街地から榛名方面へ向かう国道406号沿いにあり、周辺には果樹園の直売所なども並びます。高崎駅からは車で約20分と紹介されている郊外型の大衆食堂です。

ラーメン、丼もの、定食などが並ぶ昔ながらの食堂で、長く親しまれてきたメニューの1つが甘辛いタレを絡めた焼肉定食です。2026年8月17日の回では、さらに「生姜焼き」が取り上げられ、創業以来継ぎ足してきたタレとともに、ご飯の炊き方や美しい配膳まで、定食を完成させる技術が伝えられます。

単に人気料理を食べられる店というだけではなく、味と店を家族で受け継いできたところが冨士久食堂の大きな特徴です。

齊藤昭夫さんは18歳で食堂の世界に入り約3年で独立

冨士久食堂の歴史をたどると、店主の齊藤昭夫さんの若い頃に行き着きます。

昭夫さんは18歳の頃、高崎市柳川町にあった「冨士久食堂」で働き始めました。当初から自分で店を構えていたわけではありません。

ところが働き始めて約3年後、支店を出さないかという話が持ち上がります。昭夫さんはその機会をつかみ、若くして独立しました。

そして1965年、妻の齊藤政子さんとともに、自分たちの冨士久食堂の歩みを始めます。最初から現在の中里見町に店があったわけではなく、群馬八幡などで営業しながら移転を重ねてきました。

本店にあたる柳川町の店や、かつて存在したほかののれん分け店が次々と姿を消す中、冨士久食堂の名前と味を守り続けてきたのが齊藤家でした。

ここが興味深いところです。

現在残る「冨士久食堂」は、最初から完成された老舗だったのではありません。18歳の青年が飲食店に入り、20代前半で自分の店を任され、妻と働きながら少しずつ地元に根付かせてきた結果、60年を超える歴史につながっています。

開店当初の苦労を支えたのは地元で働く常連客だった

独立したからといって、すぐ繁盛店になったわけではありません。

開店当初は資金に余裕がなく、客足も伸びず、苦しい時期がありました。それでも当時の群馬八幡周辺には工業団地があり、仕事を終えた人たちが食事や酒を楽しむために店へ立ち寄るようになります。

次第に冨士久食堂は、料理を食べて帰るだけではない場所になっていきました。

常連客が店で将棋を始め、夜遅くまで過ごすこともあり、昭夫さん自身が一緒に将棋を指していたというエピソードも残っています。

地域の人との距離の近さは、後の冨士久食堂にも受け継がれています。

現在の中里見町周辺へ移った当初も、周囲には店が少ない場所だったものの、やがて昼時には列ができるほどになりました。長時間店で過ごす常連客もいたほどで、昭夫さんと政子さんは忙しい日々を2人で支えていきました。

料理の味だけでは説明できない、人と店とのつながりが長い歴史を作ってきたことが分かります。

2代目・齊藤英昭さんは東京のホテルレストランで経験を積んだ

昭夫さんと政子さんだけで始まった店は、やがて次の世代へとつながります。

2代目となったのが息子の齊藤英昭さんです。

英昭さんには、東京のホテル内にあるレストランで働いた経験があります。その後、1990年代初頭に結婚を機に高崎へ戻り、冨士久食堂の次の担い手として厨房に入るようになりました。

これは冨士久食堂の味を考えるうえでも大事なポイントです。

単に親の店だからそのまま手伝い始めたのではなく、外の飲食店で経験を積んだうえで家業へ戻っています。

長く続いてきた昭夫さんの味を守りながら、外で得た料理人としての経験も持つ英昭さんが加わったことで、冨士久食堂は「初代だけが料理を作れる店」ではなく、次の世代へ技術を渡せる店へ変わっていきました。

3代目・齊藤大斗さんまで料理のバトンが渡った

さらに冨士久食堂では、孫世代にも料理が受け継がれてきました。

高崎市の地域情報で齊藤ファミリーとして紹介されたのが、昭夫さん、政子さん、英昭さん、そして孫の齊藤大斗さんです。当時はこの4人が親子3代で厨房を支える姿が紹介されていました。

大斗さんはもともと料理が好きで、大学在学中には海鮮居酒屋でアルバイトを経験しています。長男でもあり、以前から将来は店を継ぐことを考えていました。

受け継いだのは看板だけではありません。

昭夫さんから英昭さんへ、さらに大斗さんへと料理が伝えられ、チャーハンや野菜炒めなどでは大斗さんの調理技術を家族や客が評価する場面もありました。

一方で、昔からの料理をただ再現するだけではなく、新しいメニューを考える姿勢も見せています。

変えてはいけない味を守りながら、新しい世代なりの料理にも挑戦する。

老舗が長く続くために欠かせない世代交代を、冨士久食堂は家族の中で続けてきたことになります。

60年継ぎ足しの秘伝タレが生姜焼きの大きなポイント

今回、エリアスさんが学ぶ料理で特に気になるのが60年継ぎ足されてきた秘伝のタレです。

2026年8月17日の回では、冨士久食堂の人気メニューである生姜焼きを作る際、この秘伝タレを含めた調理技術を学ぶことが明かされています。さらに肉の焼き方だけではなく、ご飯や盛り付けまで含めて「定食」として完成させる方法を吸収します。

冨士久食堂では以前から、秘伝のタレを使った焼肉定食も人気メニューとして知られてきました。甘めの味付けが肉に絡み、ご飯と一緒に食べる昔ながらの定食です。

タレを長年継ぎ足すということは、単なるレシピの保存とは少し意味が違います。

材料と分量を書き残すだけではなく、日々使いながら味を維持し、次に必要な分を作り足し、その扱い方まで次の料理人へ渡していかなければなりません。

そのため60年続いたタレは、昭夫さんが作った味を英昭さんたちが守ってきた歴史そのものともいえます。

一方、冨士久食堂にはカツ丼など別の料理に使われる継ぎ足しのタレもあり、長年の営業の中でタレを使い分けながら味を守ってきました。カツ丼用では、醤油や砂糖などを独自に合わせて煮詰め、だしを加える工程も紹介されています。

生姜焼きだけではない冨士久食堂の人気メニュー

冨士久食堂の魅力は、生姜焼きだけに絞れません。

長年ほとんど変わらないメニュー構成の中で、よく注文されてきた料理には焼肉定食、自家製餃子、にらたまラーメン、カツ丼などがあります。

特に餃子は皮も自家製。野菜をたっぷり使い、ニンニクを効かせた昔ながらのタイプです。

にらたまラーメンは、しょうゆベースのスープにとろみを付け、ふんわりとした玉子を合わせた一杯。大衆食堂でありながら、ラーメンから丼、定食まで選択肢が多いのも特徴です。

焼肉定食は、甘辛いタレを肉に絡めたご飯が進む料理。

こうした料理を何十年も提供してきたからこそ、エリアスさんにとっては「生姜焼き1品の作り方」を覚えるだけではなく、日本の大衆食堂がどのように定食を作り、客に出してきたのかを学べる場所になっています。

エリアスさんが冨士久食堂を修業先に選んだ意味

エリアスさんは、パラグアイで定食屋を開くことを夢見て日本を訪れています。

その修業先として冨士久食堂は非常に象徴的です。

高級日本料理店ではなく、地域の人が普段使いする大衆食堂。

料理も、特別な日にだけ食べるものではなく、ご飯、味噌汁、おかずを組み合わせた日常の定食です。

しかも冨士久食堂には、

18歳から料理の世界に入った昭夫さん
→東京のホテルレストランで経験を積んだ英昭さん
→料理好きの孫世代

という技術継承の流れがあります。

そこへ海外から日本の定食文化を学びたいエリアスさんが加わる形になります。

家族の中で受け継がれてきた味が、今度は国境を越えて伝えられていくという点に、この修業の面白さがあります。

秘伝のタレそのもの以上に、「長く愛される定食をどう作るのか」という考え方まで持ち帰れるかが大きなポイントになりそうです。

冨士久食堂の場所・営業時間・駐車場

冨士久食堂は、群馬県高崎市中里見町にあります。

  • 店名:冨士久食堂
  • 住所:群馬県高崎市中里見町121-2
  • 営業時間:11:00~15:00、17:00~21:00
  • ラストオーダー:昼14:00、夜20:00
  • 定休日:水曜日
  • 駐車場:あり
  • 電話:027-374-0343

店舗の公式SNSでもこの営業時間と水曜定休、駐車場ありと案内されています。高崎市の店舗紹介では、安中駅から約3.8kmの場所です。

テレビで紹介された直後は、普段より来店が集中することも考えられます。家族で営む食堂なので、遠方から訪れる場合は営業状況を確認してから向かうと安心です。

冨士久食堂は「60年の味」と「家族の継承」が重なる食堂

冨士久食堂を知ると、60年継ぎ足した秘伝タレだけが老舗の理由ではないことが見えてきます。

18歳で食堂の仕事を始めた齊藤昭夫さんが若くして独立し、妻の政子さんと店を育てました。

そこへ東京のホテルレストランで経験を積んだ息子の英昭さんが戻り、さらに孫の大斗さんら次の世代へと料理が渡っていきました。

焼肉定食、生姜焼き、餃子、ラーメン、カツ丼。

特別に奇抜な料理ではなく、何度でも食べたくなる日常の料理を家族で作り続けてきたことこそ、冨士久食堂の強さです。

そして2026年には、その味を学ぶためにパラグアイからエリアスさんが訪れます。

齊藤家の中で続いてきた技術継承が、海外で日本の定食屋を開きたい人へつながる。

60年継ぎ足されたタレと同じように、人から人へ受け継がれていく料理の歴史が、冨士久食堂にはあります。

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