戦時中、飼い犬まで「献納」された理由
柴犬などの日本犬が絶滅寸前まで減った時代を掘り下げると、もう1つ重い歴史に行き着きます。『歴史探偵(犬と日本人 はるかなる旅)(2026年9月2日)』から関連して知っておきたいのが、戦争末期に行われた犬の献納・供出です。1944年には飼い犬まで対象とする方針が全国へ伝えられました。一方で、すべての犬が同じ扱いだったわけではありません。天然記念物の日本犬などには除外規定もありました。
この記事でわかること
- 戦時中に飼い犬が献納された理由
- 1944年に出された犬に関する要綱
- 柴犬など天然記念物の日本犬が除外された理由
- 八王子で約200頭が献納された記録
1944年には一般家庭の飼い犬まで献納・供出の対象になった
(出典:アジア歴史資料センター「戦争にペットまで動員されたってホント?」)
戦争末期の日本では、一般家庭で飼われていた犬まで献納や供出買い上げの対象になりました。
大きな転機となったのが1944年です。
軍需省化学局長と厚生省衛生局長の連名で全国の地方長官へ通牒が出され、**「犬原皮増産確保並狂犬病根絶対策要綱」**に基づく取り組みが進められました。
目的には、
軍需に必要な皮革の確保
狂犬病対策
飼育されている犬の整理
などがありました。
当時は戦争の長期化によって、衣類や食料、金属だけでなく皮革も深刻に不足していました。
人間だけではなく、犬を含む動物まで戦時体制へ組み込まれていったのです。
犬の毛皮は突然利用され始めたわけではなかった
犬の供出が本格化した背景には、戦争による長期的な物資不足がありました。
日本ではもともと皮革原料の一部を海外からの輸入に頼っていました。
しかし戦争が進むにつれて入手が難しくなり、1938年には皮革の使用や配給に対する統制が強まります。
翌1939年には、犬の皮も統制対象となる皮革資源の1つに含まれました。
さらに1941年になると、農林省が野犬の毛皮を管理する動きも進みます。
最初から家庭犬を大量に対象にしたわけではありません。
野犬などから始まり、
戦争の長期化
↓
皮革不足が深刻化
↓
利用できる動物の範囲が広がる
↓
一般家庭の犬にも及ぶ
という流れでした。
戦争末期になるほど、人間の日常生活と戦争との境界がなくなっていったことが分かります。
すべての犬が供出対象だったわけではない
ここは特に誤解しやすいところです。
「戦争中、日本中の柴犬が毛皮にするため一律に供出された」
と考えるのは正確ではありません。
1944年の要綱では、供出対象から除外される犬が定められていました。
対象外だったのは主に、
- 軍用犬
- 警察犬
- 登録された猟犬
- 天然記念物に指定された日本犬
です。
天然記念物の日本犬には保存すべき文化的な価値が認められていたためです。
柴犬は1936年に天然記念物へ指定されていました。
秋田犬は1931年、甲斐犬は1934年など、日本犬の保存運動は戦争以前から進んでいます。
つまり戦時中には、
「犬を資源として利用しようとする動き」と「日本犬を絶やさず残そうとする動き」が同時に存在していた
ことになります。
天然記念物なら日本犬全体が安全だったわけではない
除外規定があったからといって、日本犬が戦争の影響を受けなかったわけではありません。
日本犬保存会は、第2次世界大戦によって多くの日本犬が犠牲になったとしています。
犬を飼うこと自体が難しい時代でもありました。
人間の食料さえ不足する中、犬に十分な餌を確保するのは簡単ではありません。
さらに飼い主の出征、疎開、空襲など、犬を取り巻く生活環境そのものが崩れていきました。
日本犬保存会も1943年11月の全国展覧会を最後に活動を休止。
再び活動を始められたのは1948年です。
天然記念物という制度だけで血統を守ることはできません。
実際に犬を飼い、繁殖させ、次の世代へつなぐ人がいなければ、犬種は残らないからです。
八王子では約200頭が献納された記録が残る
犬の献納が単なる国の方針ではなく、地域社会で実際に行われていたことを示す資料も残っています。
東京都八王子市には、当時使われた**「犬の献納運動」の回覧板ビラ**が保存されています。
八王子市中央図書館の調査では、1944年12月5日に市が畜犬の一斉検査を実施し、約200頭が献納されたという記録が確認されています。
回覧板を通じて地域住民へ犬の献納を呼びかけていました。
現在なら、家庭で暮らしている犬を社会全体で差し出すという発想そのものが想像しにくいものです。
しかし当時は町内会や隣組などを通じ、日常生活のさまざまな部分で戦争への協力が求められていました。
犬の献納も、その延長線上にありました。
犬だけではなく猫やウサギなども動員された
戦時中に利用された動物は犬だけではありません。
皮革不足を補うため、
ウサギ
猫
ネズミ
イタチ
などさまざまな動物が対象になりました。
特にウサギは成長が早く飼育もしやすいため、毛皮を防寒用に利用できる動物として飼育自体が奨励されました。
国立国会図書館で公開されている札幌市公文書館の研究では、北海道を含め全国各地で犬や猫の供出・献納運動が行われた事例が整理されています。
犬の歴史を調べているはずなのに、ここまで来ると見えてくるのは人間社会そのものです。
物資がなくなったとき、人間が何を「資源」と考えるようになるのか。
犬の供出は、その極端な時代を物語る記録でもあります。
戦後に柴犬を復活させた「石号」の血統が重要だった理由
この歴史を知ると、前の記事で取り上げた石号の重要性もさらに分かりやすくなります。
石号が発見され、血統登録されたのは1936年。
その後、
石号
↓
アカ号
↓
紅子号・アカ二号
↓
中号
と血統がつながりました。
日本犬保存会は、戦後の柴犬発展に石号の存在が非常に大きかったとしています。中号は「戦後柴犬中興の祖」と呼ばれる犬になりました。
戦争前に保存活動が始まっていなければ。
石号が発見されていなければ。
その子孫が戦時期を越えられなければ。
現在の柴犬の歴史は大きく違った可能性があります。
戦争末期の犬の供出と柴犬保存の歴史は、別々の出来事ではありません。
犬が失われていく時代と、その血統を何とか残そうとした時代が重なっていたのです。
犬の献納運動は「犬と日本人」の暗い歴史も伝えている
縄文時代には狩猟のパートナーとして犬を埋葬した人々がいました。
江戸時代にはおかげ犬の旅を見知らぬ人々が助けました。
近代になると、日本犬を絶滅から救おうと保存活動も始まります。
その一方で、戦争末期には家庭で暮らす犬まで物資として扱われる時代が訪れました。
犬と日本人の歴史は、いつの時代も温かな話だけで続いてきたわけではありません。
だからこそ現在、柴犬や秋田犬など日本犬が普通に暮らしていることも、決して当たり前ではなかったと分かります。
「戦時中の犬はどうなったのか」を知ることは、日本犬がなぜ保存され、血統を残す活動が現在まで続いているのかを理解するうえでも重要な歴史です。
気になる生活ナビをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。


コメント