縄文人はなぜ犬を人と同じように埋葬したのか
約7000年以上前の日本で、犬はすでに人間のすぐそばで暮らしていました。『歴史探偵(犬と日本人 はるかなる旅)(2026年9月2日)』から、さらに掘り下げたいのが縄文犬の埋葬です。愛媛県では国内最古級の埋葬犬が発見され、千葉県の加曽利貝塚からも何体もの犬が丁寧に葬られています。犬は単なる猟の道具ではなかったのか。骨に残された傷まで見ると、縄文人と犬のかなり深い関係が見えてきます。
この記事でわかること
- 日本最古級の埋葬犬が見つかった場所
- 縄文犬の大きさや顔つき
- 犬が狩猟でどんな役割を果たしていたのか
- 傷ついた犬を縄文人が世話していたと考えられる理由
日本最古級の埋葬犬は愛媛県の上黒岩岩陰遺跡で見つかった
(出典:久万高原町観光協会「上黒岩岩陰遺跡」)
日本で犬の骨そのものが確認されるのは約1万年前までさかのぼります。
その中でも特に重要なのが、愛媛県久万高原町にある上黒岩岩陰遺跡です。
ここから見つかった2頭分の犬骨は、国内最古級の「埋葬された犬」とされています。
骨から得られた放射性炭素年代は、およそ7400~7200年前。縄文時代早期末から前期初頭にあたります。2頭とも体の各部分の骨がかなり残っており、偶然散らばった骨ではなく、犬の体を埋めた状態だったことが分かっています。
愛媛県の資料でも、上黒岩岩陰遺跡から縄文早期にさかのぼる20体以上の人骨とともに、2頭の日本犬の埋葬骨が発見されたことが紹介されています。
重要なのは、食べ終わった動物の骨とは扱いが違うことです。
縄文人は少なくとも一部の犬を、死んだ後も特別な存在として扱っていました。
縄文犬は現在の柴犬くらいの小型犬だった
縄文犬というと、大きなオオカミのような姿を想像するかもしれません。
実際には、一般的な縄文犬の体高は約38~45cm。現在の柴犬ほどの小型犬が中心だったことが分かっています。
ただし、顔つきは現在の柴犬とは少し違っていました。
頭骨を見ると、額から鼻先までのくぼみが浅く、鼻筋が比較的まっすぐ通った細長い顔をしています。
上黒岩岩陰遺跡の犬についても、1頭は体高約38cm、もう1頭は約41cmと推定されています。現代の柴犬と近い大きさでありながら、より原始的で精悍な顔つきをしていたと考えられています。
つまり、
「柴犬ほどの大きさで、現在の日本犬より少しオオカミを思わせる顔をした犬」
をイメージすると近そうです。
約7000年前、日本人のそばにはすでにこうした犬がいたことになります。
犬はイノシシやシカを追う重要な狩猟パートナーだった
では、縄文人はなぜ犬を飼っていたのでしょうか。
大きな役割の1つが狩猟です。
縄文時代の人々にとって、イノシシやシカなどの狩猟は重要な食料確保の手段でした。
犬は獲物を見つける、追い立てる、逃げる方向を変えるといった役割を果たしたと考えられています。
文化庁も、縄文時代の犬について、狩猟採集生活に欠かせないパートナーであり、その重要性を示すものとして犬の埋葬例を挙げています。
人間だけでイノシシを追うより、嗅覚や走力に優れた犬がいる方が圧倒的に有利です。
現在の猟犬にも通じますが、人と犬がお互いの能力を補うことで狩猟を成立させていたのでしょう。
ただし、縄文犬を単純に「狩猟用の道具」と考えると説明できないものが残っています。
その1つが犬の傷です。
骨折した後も生きていた犬がいる
千葉市の加曽利貝塚では、縄文犬の骨から興味深い痕跡が見つかっています。
犬の脚の骨には、骨折した後に治癒した痕跡を持つ例があります。
骨折した瞬間に死んだのであれば、骨は治りません。
傷が治るまで犬が生きていたことを意味します。
狩猟生活をする犬にとって脚の大けがは致命的です。少なくとも治癒するまでの間、自力だけで食べ物を確保することは難しかったでしょう。
そのため、こうした犬については、人間から食べ物を与えられるなど、一定期間世話を受けながら生きていた可能性を考えることができます。
上黒岩岩陰遺跡の犬にも、生前に歯を失った後、歯を支えていた部分が治癒した痕跡があります。大型獣との狩猟で傷を負った可能性も指摘されています。
働けなくなれば捨てる。
そういう関係だけではなかったことが、犬自身の骨から見えてきます。
加曽利貝塚では6体の犬が埋葬された状態で発見された
(出典:愛媛県公式観光サイト「上黒岩遺跡考古館」)
縄文人と犬の関係を考えるうえで、もう1つ重要なのが千葉市の加曽利貝塚です。
1960年代の発掘調査では、6体分の犬が埋葬された状態で見つかりました。
散らばって出土した犬骨まで含めると、最低でも15体分が確認されています。
加曽利貝塚は単純なゴミ捨て場ではありませんでした。
食べた貝や動物の骨、壊れた道具などが捨てられる一方、人間や犬を葬る場所としても使われています。
千葉市は、貝塚には狩猟のパートナーだった犬も埋葬されており、亡くなった仲間を葬る神聖な場所としての側面があったと説明しています。
食料になったシカやイノシシの骨が出る場所で、犬については体を残したまま埋める例がある。
この違いは大きいでしょう。
縄文人にとって犬は、ほかの動物とは少し違う位置にいたことがうかがえます。
人間のすぐそばに犬を埋葬した例まである
さらに縄文時代には、人間と犬の距離の近さを強く感じさせる埋葬例があります。
宮城県の前浜貝塚では、埋葬された人骨のすぐ脇から縄文犬が出土した例が研究されています。
犬は雄の成犬で、人とほぼ同じ時期に埋められた可能性が考えられています。
すべての縄文犬が人間と同じ扱いを受けていたわけではありません。
犬骨には埋葬されたものだけでなく、ばらばらの状態で出土する例や、骨に切断痕が見られる例もあり、犬の利用方法は地域や時代によって複雑だったことが分かってきています。
それでも、
人間の近くに犬を葬る
傷ついた犬を生き延びさせる
全身を残した状態で丁寧に埋葬する
という例が存在することは重要です。
縄文人と犬の関係を「飼い主とペット」と現代の言葉だけで置き換えることはできませんが、単なる利用動物以上の関係が生まれていたことは十分に感じられます。
上黒岩の2頭は約50年間行方不明になっていた
上黒岩岩陰遺跡の埋葬犬には、発見後にも驚くような物語があります。
2頭の骨が発掘されたのは1962年。
ところが発掘調査後、この貴重な犬骨は所在が分からなくなってしまいます。
それから約半世紀。
2011年、慶應義塾大学三田キャンパスの考古資料収蔵庫の一角から、上黒岩岩陰遺跡のものとみられる2頭分の犬骨が発見されました。
東京大学、北海道大学、聖マリアンナ医科大学などの研究者も加わって調べた結果、行方不明になっていた上黒岩の犬骨であることが確認されました。
さらに骨そのものから年代測定が行われ、約7400~7200年前という年代が得られます。
つまり、
1962年に発掘
↓
所在不明になる
↓
2011年に大学の収蔵庫で再発見
↓
最新の方法で研究
↓
国内最古級の埋葬犬であることが改めて確認
という経緯をたどっています。
約7000年前の犬が、現代でもう1度“発見された”ような出来事です。
縄文犬を見ると日本人と犬の関係は想像以上に古い
現在、犬を「家族」と表現する人は珍しくありません。
しかし、人と犬が特別な関係を持つようになったのは最近のことではありません。
日本列島では約1万年前から犬の骨が確認され、7000年以上前には、亡くなった犬を全身のまま埋葬する文化がありました。
狩りではともに獲物を追う。
けがをすれば世話をする。
そして死ねば埋葬する。
もちろん縄文時代のすべての犬が同じ扱いを受けていたわけではありません。
それでも、一部の犬が人間社会のかなり内側で生きていたことは、残された骨が伝えています。
卑弥呼の時代の「こまき」、江戸時代の「おかげ犬」、そして現在の柴犬へ。
日本人と犬の長い歴史をたどるなら、その出発点に近いところにいるのが縄文犬です。
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